翌日、千尋は流星に呼び出されていた。流星の執務室には高官達がズラリと押しかけていて、その真中で流星が頭を悩ませている。
「何事ですか、王」
「千尋くん! やっと来た! 早速なんだけど近い内に琢磨の所に行ってやってくれない?」
「近い内とはどれぐらいですか? 私にも色々と予定があるのですが」
むしろ木葉が現れた事で今はそれどころではないのだが。
けれどそれは流星には言えない。羽鳥とも相談して、木葉の事はまだ流星には伝えてはいないのだ。もちろんこの話は息吹にはしてある。
流星が原初の水を受け継いでは居ないという確証が無い限り、出来るだけ流星と木葉は関わらせないようにしたい。
千尋の言葉に流星は深い溜息を落とす。
「最低でも一週間以内には向かって欲しい」
「随分と急ですね。何かあったのですか?」
「あー……うん。それが——」
流星が口を開こうとしたその時、他部署を管理する同僚が忌々しげに口を開いた。
「琢磨どのはどうしてもお前に会いたいそうだ。今までは何とか俺達が宥めていたが、もうそろそろ限界なんだ」
「そうだぞ、千尋。行くと必ず「千尋は?」と尋ねられ、その後居ないと分かると不機嫌になる。何とかしてくれ」
「一日で良いんだ! 頼むからあの偏屈な爺さんの相手してきてやってくれ」
次々に同僚からそんな事を言われて千尋は渋々頷いた。まぁ流石の初達もすぐに手を出して来たりはしないだろう。
「分かりました。では3日後にしましょう。梨苑を連れて行きます」
千尋の言葉に高官達と流星が同じような顔をしてホッとしたような顔をしている。どうやらよほど琢磨に嫌味を言われたらしい。
琢磨は偏屈ではあるが悪い龍ではない。それは千尋もよく分かっているのだが、あの龍至上主義な所だけはどうにかならないものかと常々思っていた。
「では私はこれで」
「ああ、ありがとう、千尋くん」
「いいえ、どういたしまして」
千尋はそれだけ言って流星の部屋を出るとすぐさま梨苑に連絡を取り、3日後の約束を取り付けた。そしてその後、鈴と二人でよく行く地上の本を取り扱っているあの書店へ向かう。
「お! 千尋さま! ちょうど連絡を差し上げようと思っていた所だったんですよ!」
鈴と二人で通っているうちに、この書店の店主は千尋にも随分と気安く話しかけてくれるようになった。これは全て鈴のおかげだ。
千尋はにこやかに店に入るとインクと紙の匂いに目を細める。
「こんにちは店主、何か新作が入ったのですか?」
「アガサ・クリスティの新作が入りましてね! これがもう、傑作ですわ!」
ちなみにこの店主も今やアガサ・クリスティの立派な信者である。
これも鈴がすっかりハマってしまって、店主に散々宣伝をしたからだ。そのおかげで店主まで英語の勉強を始め、今や辞書片手に洋書を読んでいる。
「新作が出るたびにその言葉を聞いている気がしますね」
毎度同じ事を言う店主に思わず千尋が目を細めると、店主もおかしそうに笑う。
「いや~外れの無い作家というのも凄いもんです。それになんと! とうとう翻訳されましてね! これですわ!」
そう言って店主は嬉々として翻訳された本を持ってきた。そこには日本語で『スタイルズ荘の怪事件』と書かれている。
「随分かかりましたね。ですが、これでもっと普及しそうです」
「そうなんですよ! だからもう大量に仕入れてやりましたよ! で、新刊はこちらです。海の向こうでも今や大流行してるらしくて、今回は友人に頼み込んで発売日に仕入れる事が出来ました!」
「これはこれは、ご友人に是非お礼をお伝えしておいてください」
店主はどうやら海外の友人に声をかけてわざわざ本を仕入れてくれたらしい。丁寧に二冊も。
千尋はその二冊と翻訳された本二冊を買い、屋敷へと戻った。翻訳された本は一冊は雅に、もう一冊は琢磨への土産にしようと思っていた。