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第520話

 初はこの一週間、誰とも口を利かなかった。兼続に聞いた話が本当だとすれば、千尋はあの罪を全て被って単身地上に下りた挙げ句、人間の小娘に傾倒したという事だ。


「許さないわ……そんな事、絶対に許さない!」


 爪を齧りながら叫ぶと、体の奥から煮えたぎるような怒りが湧いてきた。


 自分がもう姫ではないと言う事も、千尋に逆鱗を傷つけられたと言う事実も、千尋が人間の女と婚姻を結んで既に子どもまでもうけているという事も許せない。


 それは誰が悪いのか。考えるまでもなくその人間の女だ。


「千尋の加護があるから攻撃が出来ないですって? そんなもの、その女の力が尽きるまで攻撃すれば良いだけの事だわ。千尋も一体何を考えているの? 人間なんかと婚姻を結んで何をする気?」


 五月と琴音の話では千尋ははるか昔から虎視眈々と都を作り変える事を狙っていたようだと言っていたが、本当のところはどうなのだろう。


「だったら千尋が王になれば早いのに……何を考えているの? 私の水龍は……」


 そう、千尋は初の水龍だ。あの強く美しい水龍は幼い頃から初の物なのだ。幼い頃の千尋は誰とも交わらず、いつも一人で居た。冷たい視線を皆に向け、笑っている所なんてただの一度も無かったのだ。


 成長するにつれて神々しいほど美しくなっていく千尋を周りが放っておくはずも無かった。だから初は姫という立場を利用して千尋を側に置き、いつも千尋を守ってやっていたというのに。


「その恩を忘れたというの?」


 卑しい出自の千尋はその出自に相応しくない程の力を持ち、ようやく高官という相応しい立場にまで押し上げてやったのも初だ。


 初がまた爪を噛んでいると、そこへ声がけも無しに五月と琴音が入ってくる。


 二人のこんな態度にも内心は腹が立って仕方がないが、この二人はもうとっくに初を姫扱いなどしない。まるで気安い友人のように扱ってくる。


 けれど今は我慢するしかないのだろう。もうすぐまた元通りになるはずなのだから。そう、千尋が王になれば、その隣に立つのは初だ。


「お加減はどう? 初さん」

「顔色が大分良くなっているわ」


 二人は笑顔を浮かべてこちらに近寄ってくるが、その笑顔の裏では失脚した初の事を嘲笑っているのだろうと思うと虫唾が走る。


「そうかしら? あの薬湯がとてもよく効いているみたいだわ。味はイマイチだけれど」


 あの黒くてドロリとした薬湯を飲むと、体の中をまるで何か違う生き物が這いずり回るような感覚がしてとても気持ちが悪い。


 それなのにそれが終わると体がやけにすっきりして、体の奥底から力が溢れてくるかのようなのだ。


「あの薬湯は王族の方達しか飲めないのだから当然よ。私達も飲んでみたいものだわ」


 五月がそう言って初をチラリと見る。そんな五月を見て初は特に何も考えずに頷いた。あの気持ち悪い感覚をこの二人にも味わわせてやりたかったのだ。


「飲むと良いのよ、二人も。味は悪いけれど、力が漲ってくるようなの」


 そう言って初は手を床に翳した。すると、そこに小さな稲光が生まれる。


「まぁ凄い! そんな簡単にこんな小さな稲光を出すことが出来るなんて!」

「私も驚いたわ。雷龍は小さな雷を作る方が難しいというのに、こんなにも簡単なの」


 雷の力を制御するのはどの龍よりも難しいと言われているが、あの薬湯を飲みだしてからそれがいとも容易く出来るようになった。これには流石の初も驚いたし、この事を兼継に告げると感心したように喜んでいた。


「お父様には内緒にしておいてあげるわ。二人にもこの万能感を味わってほしいもの」


 この二人は兼続に比べれば御しやすい。そう思っての事だったのだが、二人はそれを聞いて顔を綻ばせた。


「良いの? それは私達もその水を扱っても良いという事?」

「もちろんよ」


 初はまだ知らなかった。あの薬湯が原初の水の原液で、その原液の支配者が今は自分だと言う事を。


 初の返事を聞いて二人は嬉々として部屋を出て行く。それと入れ違いに兼続が部屋へとやってきた。


「体調はどうだ?」

「お父様、随分良いわ。それで、これからの策は何かあるの? あの最後の捧げ物は作戦を成功させたのかしら?」

「いいや。だが懐には入り込めたようだ。やはり人間の血を引く羽鳥の同情を買うには捧げ物はちょうど良かったようだ」

「それは結構な事ね。それにしても原初の水に龍を死に至らしめる力があるだなんて思ってもいなかったわ」

「そうだな。ここでも散々実験したが、皆一口飲むだけで大気へと還る。しかし人間はしぶといな。龍化してからでなければ死なん」


 忌々しげに顔歪めた兼続に初も頷く。


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