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第522話

 屋敷へ戻ろうとしたその時、不意に名前を呼ばれて鈴が振り返ると、そこには絹と吉乃が笑顔でこちらに向かって手を振っている。


「絹さん! 吉乃さん! どうかされたのですか?」

「鈴! これを見て欲しいの! 新しくトレンチコートとアルスターコートのデザインを描いてみたのだけれど」

「えっ! 新しいデザインをご自分たちで!? 凄い! 見たいです!」


 洋装のデザインをとうとう自分たちでしてしまった二人に感動しながら、鈴は二人を屋敷に招き入れた。


 それから数時間。子どもたちが幼稚園に行っている間に鈴は久しぶりに友人達と何の憂いもなく話し、はしゃいだ。


 新しいコートの意見交換が終わると、そこからは友人同士の語らいが始まる。


「それじゃあ千尋さまは明日まで出張なの?」

「そうなんです。寂しいですけど一晩だけなので」


 嘘だ。本当はたった一晩でも泣きそうになる程寂しい。思わず視線を伏せた鈴を見て吉乃が鈴の脇腹を肘で小突いてきた。


「強がってるでしょう? 良いのよ、私達には見栄なんて張らなくても」

「そうよ! 楽しいばかりが恋愛じゃないわ! あ、もう夫婦だったわ!」

「絹ってば! でも分かる。この二人はいつまで経っても甘酸っぱいんだもの。たまに私も夫婦だと言う事を忘れてしまうわ」

「そ、そうですか?」


 それは褒められているのだろうか? それとも遠回しにもう少ししっかりしろと言われているのだろうか?


 そんな鈴の悩みなど吹き飛ばすかのように二人が声を揃えた。


「そうよ! だって鈴はいつまでも千尋さまに照れるし、千尋さまも千尋さまであなたを見つめる時の視線が熱いんだもの! もう傍から見ていても思わず目を覆いたくなるわ!」

「ご、ご迷惑をおかけしていましたか!?」


 最近では出来るだけ人前では戯けないようにしようと気をつけてはいるのだが、どうやら全く上手くいっていないらしい。


「迷惑なんかじゃないわ。でも恥ずかしくなってここらへんがむず痒くはなるわ」


 そう言って笑いながら絹と吉乃が胸の辺りを押さえた。


「でもそういうあなた達を見ているのが好きなの。だからついついこんな風に対になっているような洋装を作ってしまったのよ!」


 二人が見せてくれたデザインは確かに男女の対になったようなコートだった。そのコートを着た千尋を想像するだけで鈴は自分の顔が赤くなるのが分かる。


「そのコート、出来たらすぐに買いに行きますね! 絶対に絶対に売りきってしまわないでくださいね!」


 鈴が身を乗り出して言うと、二人は笑いながら頷いた。


「もちろんよ。このコートの構想はあなた達を見ていて思いついたんだもの! 何なら二人には一着ずつ差し上げるから、是非ともそれを着て街を歩いて広告になってちょうだいよ」

「こら! 吉乃!」

「ふふ、冗談よ! でも差し上げるのは本当。一番に着てみてほしいわ」

「い、いいの!?」


 思わず敬語も忘れた鈴に二人は笑顔で頷いてお茶を飲む。そしてここでふと何かを思い出したかのように吉乃が呟いた。


「やっぱりあの手紙に返信なんてしなくて良かったわよね、絹」

「本当よ。あんな手紙に私達の夢を叶える事なんて出来やしないわよ。それに夢は自分達で叶えるから楽しいのよね」

「手紙って?」


 手紙という単語に嫌な感じがして鈴が問いかけると、それまで笑顔だった二人は途端に神妙な顔をして話し出した。


「それがね、少し前に私達の所に差出人不明の手紙が届いたのよ。そこには私達の夢を叶えてあげるみたいな内容が書いてあったんだけど——」

「そ、それってもしかして……」


 その手紙は以前、菫の元に届いた物だろう。思わず呟いた鈴を見て二人は何かを察したかのように顔を見合わせて続きを話してくれた。


「やっぱり知ってるのね、鈴」

「うん。その手紙に返事をすると、血判を押して返信してほしいって言う手紙が届くらしいんです」

「血判?」

「そうなの。でも千尋さま達はその血判を何かの契約に使うつもりじゃないかって言ってた」


 何に使うかのおおよその目的は分かってはいるが、まだ市井にその話は下りてはいない。せっかく今は皆が自分のやりたい事を始めて活気づいているのに、そこに水を差したくないという千尋達の配慮だ。


 けれどやはり市井の人々は何かに感づいているようで、二人はじっと鈴を見つめて真剣な口調で言う。


「鈴、私達はその手紙には返信しなかったわ。でも返信をしてしまった人を私達は何人か知ってる。その人達がね、今大変なのよ」

「大変?」


 その話は初耳だと鈴が首を傾げると、二人は互いの顔を見合わせて頷き合う。


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