本当は千尋に一番に知らせたかったが、千尋が会いに行ったのは琢磨という人間嫌いの龍だと言う。その龍は今も前王達の事を悪く思っていないと言っていたので、そんな人の前でこんな話をする事は出来ないと思ったのだ。
『ありがとう、鈴さん。その情報はまだうちの目も耳も仕入れてないよ』
「そうですか。ではやはりあの血判が使われたという事なのでしょうか?」
『そうなんだろうね。そうだ。木葉、ちょっと良いかな?』
『はい?』
鏡に木葉が映った。その佇まいはあの時とは随分違う。着ているワンピースは羽鳥が選んだのだろうか。美人の木葉にはぴったりの華やかな洋装に鈴はハッと息を呑んだ。
「木葉さん、とてもお綺麗です!」
思わず鈴が声をかけると、木葉の頬が少しだけ赤くなる。
『そう、なのかな? 見えないから分からないけれど、着やすいし動きやすいの。ただ少しはしたなくないかしら? 洋装って言うんでしょう?』
「はい! その中でもそれはワンピースって言います。はしたなくなんてありません! 今は洋装がだんだん流行ってきているので、最先端です!」
意気込んで鈴が言うと、木葉はおかしそうに肩を揺らす。
『今の生まれではない私が最先端というのもおかしな話ね。それで、何かあったの?』
それまで微笑んでいた木葉の顔が強張った。きっと何かを察したのだろう。そんな木葉に鈴が簡単に説明すると、木葉は頷く。
『返ってきた血判はあの水に溶かし込まれた。それは原初の龍に捧げられたも同じこと。自らの意思ではなく、原初の龍の管理者、もしくはあの水を扱う事を許された者の傀儡となる』
「っ!」
それはつまり、何も知らずに返信した人たちが無理やり初達の言いなりになると言うことだ。そんな事は許されない。
思わず鈴が拳を握りしめると、きっと顔をしかめていたのだろう。羽鳥が慰めるような口調でまた鏡に映り込んだ。
『ありがとう、鈴さん。その件に関してはこちらで対処するよ。この話はもう千尋にはしたの?』
「いえ。千尋さまは今日、琢磨さまに会いに行っているのです。人間嫌いの方の前で私が連絡をするときっと嫌な思いをされるだろうなと思って。なので羽鳥さま、どうか千尋さまにお伝えしてはいただけませんか? それから私は決して屋敷から出ないので、どうかご安心くだ——っ!?」
そこまで言って鈴はハッとして壁を見た。すると壁にかけられている絵が小刻みにカタカタと小さな音を立てている。
『鈴さん? どうかしたの? 鈴さん?』
「羽鳥さま、すみません何かちょっと——っ!」
その直後の事だ。突然屋敷が大きく揺れた。
それと同時に轟音が鳴り響き、鈴は羽鳥に失礼だとは思いながらも鏡を放置して部屋を飛び出し、子どもたちの部屋へと駆け込む。
千隼と夏樹はまだ幼稚園に行っているが、瑠鈴はまだこの部屋で昼寝をしている。鈴が気持ちよさそうにベッドの上でスヤスヤと眠る瑠鈴を抱えた次の瞬間、パラパラと天井から何かが落ちてき始めた。
「鈴!」
異変を察知して窓から部屋に飛び込んできたのは猫雅だ。
「雅さん! 瑠鈴を!」
そう言って瑠鈴を雅に手渡そうとした次の瞬間、耳に届いたのは聞いた事も無いような轟音と破裂音だった。
鈴は咄嗟にこちらへ駆け寄ってきた猫雅を窓から放りだし、瑠鈴を抱えたままその場に蹲る。
大きな轟音と強い衝撃に鈴は思わずうめき声を漏らした。それと同時に瑠鈴が目を覚まし泣き始めてしまう。
鈴は遠ざかる意識の中でそんな瑠鈴に必死になって声をかけ続けた。
「大丈夫、瑠鈴。パパが来てくれるから。大丈夫……だいじょう……ぶ」
屋敷はどうなってしまったのだろう。ここは千尋と今もなお作り続けている大切な箱庭だ。
鈴は次から次へと降り注いでくる瓦礫に埋もれてもなお瑠鈴に覆いかぶさり、その小さな愛しい命を守ろうとした。
千尋と約束をしたのだ。子どもたちは必ず守ると。
必ず、守るのだと。