上の子を見て下の子も鈴に向かって両手を伸ばしてきたので、鈴は条件反射で上の子を抱きしめ、もう片腕で下の子を抱えて頬ずりする。
どうして自分がそんな事をしたのかは分からなかったけれど、この二人を見ると自然と笑みと涙が溢れてくるのだから仕方ない。
そんな鈴を見て最後に千尋が近寄ってきて優しい手つきで鈴の髪を撫でた。
「あなたが全てを忘れてしまっても、私達が覚えています。この子は千隼。そしてこの子は瑠鈴。あなたと私の子ですよ。私達は都で一番の夫婦です」
「夫婦!?」
その言葉に驚いて思わず二人を見下ろすと、二人はまだ鈴に甘えるように離れようとはしない。
「ママ、I love you」
ぐりぐりと胸におでこを押し付けてきてそんな事を言う千隼を、鈴は堪らなくなって強く抱きしめた。この感触を知っている。鈴はこの子達をとてもよく知っている。
それなのに思い出せないのがもどかしくて仕方なかった。
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鈴はあれから一週間もの間眠り続け、無事に目覚めたと思ったのに——。
「覚えて……ないですって!?」
目を覚ました鈴の様子を神森家の皆と楽と菫に伝えると、菫が机を叩いて立ち上がった。その勢いでふらついた菫を隣から楽がしっかりと抱きとめる。
「ええ。どこまで記憶が無いのかは分かりませんが、少なくとも私の事は忘れていました」
その事実に気づいた時、千尋は少しだけ傷ついた。
けれどそれはほんの少しだけだ。何よりも事故に遭った二人の命があった事が嬉しかった。
それに鈴は本当に瑠鈴を守りきった。
鈴が事故に巻き込まれた直後はその事に大してネガティブな気持ちも抱いてしまったが、日が経つにつれてそんな考えは綺麗に消え去ってしまっていた。
鈴は龍でも逃げ出してしまいそうな状況でも、我が子をその命を削ってでも守りきったのだ。
それは感動や喜びなどという言葉では言い表せない。記憶など、全て千尋が覚えていれば良い。また新しく紡いでいけば良いのだ。
それに記憶を失っているとは言え、全てを完全に忘れ去ってしまっている訳ではないかもしれない。
「あんた、その割に慌ててないじゃないか」
憤るような雅に千尋は頷いた。
「当然です。また鈴さんに恋してもらえば良いだけの話ですから」
「随分と自信があるんだね」
「もちろん。鈴さんの事に関しては自信しかありませんよ。鈴さんと瑠鈴の命が助かった。これ以上を望んではバチが当たってしまいます。ですからここからは私が自力で頑張りますよ。それよりも心配なのは子どもたちです」
千隼はあれからずっと瑠鈴を離そうとしない。そして本能で何かを察知しているのか鈴に近寄ろうともしない。
「それはそうですよね……瑠鈴はともかく、千隼はもう大体の事は理解出来ますし……」
「下手に会わせない方が良いんじゃないか?」
「俺もそう思います、千尋さま。千隼が可哀想です」
喜兵衛と栄、楽はそう言うが、それを聞いて弥七が眉根を寄せた。
「俺は会わせた方が良いと思う。ちーちゃんは賢い。ちゃんと説明すれば理解する」
「私もそう思いますよ、弥七。たとえ記憶を失くしてしまっても、肌に残る感触やそれ以外の感覚をそう簡単に忘れる事など出来ません。それが愛しいものであればなおさら。ですから私は二人に決めてもらおうと思います」
千尋の言葉に皆が渋々ではあるが頷いた。
それから千尋は千隼の元へ向かうと、千隼は瑠鈴を抱きしめたまま急ごしらえの子供部屋で眠ってしまっていた。
そんな千隼を起こして千尋は今の鈴の状況を丁寧に説明すると、千隼は真剣な顔をしてただじっと聞いていた。
「どうしますか? ママに会いますか?」
千尋の問いかけに千隼は考える間もなくコクリと無言で頷いた。この時の千隼が何を思ったのかは分からない。
けれどその顔はもう、少し前の赤ん坊の顔ではなかった。
そしてやはり千尋の思った通り、鈴は千隼と瑠鈴を抱きしめ涙を零したのだ。
記憶は細胞の全てでするものだ。どこかが損傷しても、全て消え去ってしまう事など決して無い。それが強い結びつきであればあるほど。
それから千尋は一連の片がつくまで全ての時間を鈴と過ごそうと決めた。もう二度と離れない。誰が何と言おうとも。