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第537話

 鈴の記憶が戻らないまま一月が過ぎた頃、千尋は仮の屋敷に流星を呼びつけていた。


「流星、琢磨にあなたからも伝えては頂けませんか。もう贈り物はいらないし、二度と会う気も無いと」


 冷めた口調で言うと、流星は苦笑いを浮かべて困ったように言う。


「いや、それは俺に言われても無理だよ。琢磨が一度決めたら梃子でも動かない事は千尋くんが一番良く知ってるでしょ? ところで鈴さんの具合はどう? 記憶は?」

「鈴さんの記憶ですか? 全く戻っていませんよ。それでもうちは以前の通りです。まぁ、恥ずかしがって未だに口づけすら許されませんが。おまけに共に寝る事すら許されませんが、不便があるとすればそれぐらいですよ」


 それを聞いて流星は何かに納得したように頷いた。


「あー……なるほど。それで最近の君はご機嫌斜めなのか。ていうかね、それが普通だから。今までの君が異常だったんだからね!?」

「異常? それはあなたの価値観でしょう? 私の中ではもう口づけは挨拶です。それなのに鈴さんは私の顔が美しすぎて直視出来ないと言うのですよ。顔を真っ赤にして。こちらはその度に襲いかかりそうになる衝動を必死になって堪えているというのに」

「うん、それは遠回しな惚気だね。で、あの琢磨が完全にしょげ返って俺に仲裁を頼んで来たんだけど、どうしても許せない?」

「許せません。と言いたい所ですが、許す許さない以前にまだ繋がっている可能性が否定出来ないのに会うことなど、ましてや鈴さんに会わせる事など出来ないと言っているのです」


 別に琢磨に怒っても仕方ないのは分かっている。分かっているが、理屈ではないのだ。琢磨が初達と連絡を取った事で鈴と瑠鈴があんな目に遭い、大切な箱庭は跡形も無く消え去り、おまけに鈴は記憶まで失くしたのだから。


 千尋の言葉に流星は深く頷いた。


「まぁ俺が千尋くんの立場でもそう考えるだろうから仕方ないね。琢磨にはせめて全てが終わって身の潔白が晴れたらにしろって伝えておくよ。それから琢磨から伝言。あのハーブティーとクッキーはどこかで売っているのか? ってさ。あとあの本は他にもあるのか? って」

「意外ですね。飲んで食べて読んだのですか」


 これは予想外だった。流石琢磨だ。龍至上主義であっても、公平さは千尋とどっこいどっこいだったのは伊達ではない。


「そうなんじゃないの? ねぇ、あの本何かめちゃくちゃ周りで流行ってるんだけど、そんなに面白いの?」

「面白いですよ。ちょうど雅が読み終えたので貸しましょうか?」

「うん。何か息吹が借りて来いって。洋書の方も売り切れてたんだってさ」

「それも意外ですね。どうしてまた」

「何かね、この間の事で鈴さんが瑠鈴を命がけで守ったでしょ? あれを見た人たちが鈴さんの、というか人間の愛情深さに驚いたみたいでさ。菫さんにしてもそうだけど、家族をとことん大切にするでしょ? まるで宝物みたいに。そういう感性を見習うべきだって思想が出来上がりつつあるみたい。それでまずは人間が書いた書物を読んでみようって事になったみたいだね、あと人間の脆さにもようやく気づいたみたいだよ」


 思いがけぬ所で都が千尋の望むように向かっているのが納得いかないが、鈴は結局命をかけて都を変えてくれたのかもしれない。


 けれどそんな事を鈴はしなくても良いのだ。ただ隣で幸せそうに笑っていてくれればそれだけで十分なのだ。


 千尋は深い溜息をついてソファにもたれた。


「鈴さんにそんな事をさせたい訳ではないのに」

「それは無理だ。君の妻だよ? 嫌でも注目される。ところでさ、いつまで俺に木葉さんの存在を隠すつもり?」

「気づいていたのですか?」

「まぁ流石にね。羽鳥の所に居るんだって?」

「ええ。羽鳥がまだ殺されていないので木葉さんは本当にただ送り込まれただけの可能性がありますが、どこまで聞きました?」


 原初の水の事についても聞いたのかどうか、それが知りたい。千尋のセリフに流星はフンと鼻を鳴らす。


「それだけだよ。盲目の美少女。ただそれだけ。誰も教えてくれないんだもん。てことはあれかな? 原初の水関連なのかな? 君たちが隠したいのは」

「そうですね。とは言えこれは木葉さんから聞いた話なのでどこまで信じて良いものか迷っているのですが、流星、原初の水を引き継いだ時、あなた水を飲んだりしましたか?」

「まさか! 原初の水を飲む!? そんなの馬鹿しかしないでしょ!? いや、馬鹿でもしないでしょ! あんな虹色の水怖くて飲めないよ!」


 それを聞いて千尋は流星を睨みつけた。


「それは鈴さんが馬鹿だと言っているのですか?」

「何の話? 待って、まさかとは思うけど鈴さん原初の水飲んだの!?」

「ええ。地上に居た時にペロっと舐めたそうですよ」

「はあ!? あの子やんちゃが過ぎない!?」

「全くです。ではやはり飲んでいないし、あなたが受け継いだのは虹色の水なのですね。その水の場所を教わっただけですか?」

「そうだよ。それがどうしたの」

「なるほど。やはりあなたは原初の水を受け継いでは居ないようです」


 木葉の言い分が正しいのであれば、今の流星の発言から原初の水を流星が受け継いでなど居ないという事が分かる。


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