琴音は才女だ。それは初も認めるが、五月がまさか琴音を出し抜くとは思ってもいなかった。
「それじゃあ、こちらの作戦がことごとく失敗したのも……」
「五月さんが情報を流していたのだと思うわ」
「けれどそれをして五月に何の得があるというの?」
「全てが終わった時、千尋さまに情報を流していたのは自分だと言う為よ。それは私がしようと思っていたのに!」
思わずと言わんばかりに漏れた琴音の言葉に、初は眉をひそめた。
「あなたも裏切るつもりだったの?」
冷たい初の言葉に琴音はハッとして口を噤んだが、すぐに視線を伏せる。
「……ええ。だって千尋さまが最終的にこちらに味方になる道筋が見えなかったの。でも……あなたが原初の龍の力を手に入れたでしょう? だからその考えは早々に捨てたのだけれど、五月さんは捨てなかったみたいね」
琴音の言葉に初は大きなため息を落として琴音を睨みつけた。
「あなたの処遇は全てが片付いたらにしてあげるわ。それまではせいぜい頑張る事ね。それで、五月はどうしたの?」
「それがどこにも見当たらないの。もしかしたら既に都に潜り込んでいるのかも」
「この離宮から逃げ出したと、そういう事?」
「ええ。隠し通路があるのよ。千眼が教えてくれたの。こっちよ」
そう言って琴音は初の手を引き歩き出した。やがて琴音が足を止めたのは、離宮の最奥にある部屋の掛け軸の前だ。
初はそこで琴音の手を振り払うと、冷たい視線を琴音に向ける。
「その言葉をどこまで信用して良いのかしらね? 残念だけれど、あなたの話も五月の話も同じぐらい胡散臭いのよ。でも隠し通路の話はありがとう。是非ともあなたが先に外へ出て頂戴な」
「っ!」
琴音は息を呑んで初を見上げてくる。この女も信用出来ない。この通路が罠だらけではないという保証はどこにもないのだ。
ところが琴音は傷ついたような顔をして初を見つめると、何も言わずに掛け軸をめくってそのまま姿を消してしまった。
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千尋は今しがた出来上がった書類をまとめると、それを全て梨苑に託した。
「梨苑、良いですか? こんな時になんですが、高官と補佐達の動きを良く見ておいてくださいね」
書類を受け取った梨苑は苦虫を潰したような顔をして頷く。
「こんな時でも仕事っすか?」
「こんな時だからこそです。非常事態にこそ、その人の本質が良く分かるというもの。琢磨にもその旨お伝えしておいてください」
「分かりました。はぁ、早く片付けてきてくださいね。それじゃ、俺はこれで」
そう言って梨苑はあからさまに面倒そうな顔をして部屋を出て行った。そんな梨苑の後ろ姿を見て羽鳥が肩を竦める。
「嫌そうな顔だね」
「今日は絶対に飲めないからでしょう。梨苑の適正もこれで分かりますよ」
「千尋くんはいつだって誰かを試してるけどさ、疲れないの」
呆れる流星に千尋はすかさず頷いた。こんな事で疲れたなどと言っていたら、都はずっとこのままである。
それに千尋にはもうこの疲れを癒やしてくれる家族という存在が居るのだ。
「疲れたら鈴さんに癒やしてもらうので問題ありません」
「あ、そ。さて、それじゃあ俺達も出陣しようか。その前に羽鳥、木葉さんが逃げたそうだよ」
そう言って流星が掲げたのは、木葉が居たと思われる独房が映った鏡だ。そこはもぬけの殻になっている。
それを聞いて羽鳥の表情が曇った。そんな羽鳥を見て千尋は羽鳥に尋ねる。
「羽鳥、あなたの監視は何をしていたのですか?」
「彼女が捕まった時点で解いたけど……一体誰が!?」
どうやらこれは流石の羽鳥も計算外の出来事のようで、冷静な羽鳥にしては珍しく今にも流星に掴みかからんばかりの勢いで近寄った。
「それを今調べてる。どうする? こっちにまわる?」
流星の言葉に羽鳥は拳を握りしめて頷いた。そして次の瞬間には窓から飛び出して行ってしまう。
そんな羽鳥を見て流星が呟いた。
「どう思う? 千尋くん」
「誰が手引をしたのか、という意味ですか?」
「そう。木葉さんの独房は、目が見えない木葉さんには少し難儀な独房になっていたんだ。それをいとも容易く抜け出している。という事は、確実に誰かが彼女を独房から連れ出したって事だ」
「なるほど。木葉さん自信には簡単に開けることは出来なかったという事ですね? では簡単でしょう。木葉さんは盲目ではなかったか、五月さんか琴音さんの手の者が手引をしたのでは?」
「それは誰?」
「さあ? 彼女たちは恐らく既に何も知らない初から原初の水を操る許可を得ているでしょう。それを使えば血判を送った龍を自由自在に操る事など容易いでしょうから」
木葉の言葉は今のところどれも正しかった。流星は引き継いだ水の場所を千尋に教えても未だにピンピンしている。とすれば、五月も琴音も原初の水を扱うようになっていたとしてもおかしくはない。