ただ、木葉がどういう意図を持って動いているのかだけが、千尋にも分からなかった。
「とりあえず私達も行きましょう。業を煮やして都に攻め入られるのだけは避けなければ」
「そうだね。あぁ、久しぶりに腕が鳴るなぁ!」
どこか嬉しそうにそんな事を言う流星の顔には、軍人時代に培ったであろう仄暗い笑みが浮かんでいる。
「私は極力戦いたくないので、頑張ってくださいね」
流星とは違って争い事は出来るだけ避けたい千尋に、流星は苦笑いを浮かべて言う。
「君を見てると思うよ。力って言うのはそれに適した人が持たないと意味が無いんだなって」
「むしろ私が平和主義者で良かったじゃないですか」
「君のどこが平和主義者だって?」
こちらに白い目を向けてそれだけ言って飛び立った流星の後を追おうとして、ふと鈴が出掛けに持たせてくれた筒状の帯飾りに目をやると、そこから何かがはみ出している事に気付く。
「ん?」
何だろうと思って筒を開けてみると、そこには鈴のお守りの中に入っていた両親からの手紙が入っている。ハッとして手紙を取り出して開くと、あの時には無かった鈴の両親の文字の下に、新しく鈴の英字が並んでいるではないか。
『たとえ記憶を失くしても、私はあなたを永遠にお慕いしています。両親のようにいつか私が先に逝く日が来ても、私は全身全霊をかけてあなたをずっと愛していると誓います。私の幸せを願ってくれた両親の夢は叶いました。だから次は私達の夢を一緒に叶えましょうね、千尋さま』
その文字を読んで千尋は息をつまらせた。この気持ちを何て表現すれば良いのだろう。気がつけば手の甲にはさっきよりもずっと濃い婚姻色が現れている。
「ああ、私はどこまであなたに支えられているのでしょうね……」
鈴の大きな愛情はずっと孤独で誰からも愛してもらえなかった千尋の心をいつも満たしてくれる。
まるで恵みの雨のように降り注ぐ暖かで柔らかな愛情を、鈴はいつだって千尋に惜しみなく与えてくれるのだ。
千尋はその手紙を丁寧に折りたたんで筒に戻すと、壊れてしまった耳飾りにつけた。すると不思議と2つに割れたはずの鈴の音が聞こえた気がする。
その音は千尋が大好きな鈴の軽やかな声ととてもよく似ていた。
都の外に出て一番に目に入ったのは、一般の龍が入っていた牢獄の周りに、数え切れない程の龍の群れがまるで魚の群れのようにぐるぐると旋回していた事だ。
何かの儀式なのか何なのか、皆一様に虚ろな目で目的も無くただ旋回しているように見える。
それを息吹の部隊が異様な物を見るような目をして見ていた。
「あなた達! ここで何を?」
思わず千尋がそちらへ向かうと、この牢獄の責任者だと思われる龍がハッとした顔をしてこちらへやってきて早口で話し出す。
「それが我々にも分からないのです! 突然囚人たちが暴れ出したと思ったら、一斉に壁を突き破って外に出て……」
「あれですか」
「……はい」
それを聞いて千尋は責任者が止めるのも聞かずに旋回する龍に近づくと、龍たちは口々に何かを呟いていた。
耳を澄ますとまるでうわ言のように「止めろ、止めろ、戻れ、戻れ、こんな事に使うな、使うな」と言っている。
誰に向けての言葉か分からないままその場を離れようとした千尋だったが、その群れの中に見知った龍がいる事に気づいた。
「羽鳥!」
「ああ、千尋」
「あなた、何をしているのです!?」
「木葉を探してたらこの群れに辿り着いたんだよ。千尋、木葉は無理やり連れ出されていた。これを」
群れから外れた羽鳥が手渡してきたのは、小さな折り紙の鶴だ。
「これは?」
「これは木葉の遊びなんだ。目が見えない彼女はいつも折り紙を折っていた。その中でも特に鶴が好きで、いつかこの鶴のように飛び立ちたいって言いながら折ってたんだよ。でもこの鶴を見て」
言われて千尋がその鶴に視線を落とすと、鶴は羽の所が無惨に切り裂かれてしまっている。両羽を失くした鶴は、飛び立つどころか不安定で自立する事さえ出来ない。
「意図的に羽根を千切られていますね」
「そうなんだ。君たちも気づいていると思うけど、木葉は僕と交渉をして今回捕まった。そしてこの折り鶴を置いて消えた。これは木葉からの暗号だと考えるべきじゃないかな?」
「ではどうしてここへ?」
「鶴が沢山あったからだよ。そしてその鶴達はこんな風に円を描いて置かれていた。けれどその鶴達は木葉が折った物じゃない」
そこまで聞いて千尋は思った。それは完全に羽鳥をおびき出すための罠だと。
「罠ですか?」
「そうだね」
「それなのに、のこのことやってきたのですか?」
「そうだよ」
「何故?」
千尋の言葉に羽鳥はやけにスッキリした笑顔を浮かべて肩を竦める。
「だって、失敗したら木葉は一人で死んでしまうじゃないか。僕が看取るって約束したのに」
「あなたは——」
そこまで言って千尋は口を噤んだ。羽鳥はこれが罠だと分かっていて、それでもここへやってきたらしい。