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第550話

 矢を受けた瞬間に五月が何か言いたげに口を動かしたが、千尋はそんな五月を見る事もなく背を向けた。


 五月が大気に還ると千尋を襲おうとしていた龍たちの行動も止まった。皆、身を翻し一斉にどこかへ向かって飛び去っていく。


「羽鳥」


 誰も居なくなった監獄の側で千尋が声をかけると、羽鳥は力なく零れ落ちる木葉の手を握りしめ抱きしめていた。


「少しだけ、抜けても良いかな?」


 こんな時でも決して泣き言を言わず感情を見せない羽鳥の肩を千尋は軽く叩いた。


「ええ、好きなだけ。後は私と流星に任せてください」

「……ありがとう。これ渡しておくよ。君たちの屋敷が壊された時の事を、僕なりに考えてみた。それからこれも。何かの役に立つと良いけど」


 それだけ言って羽鳥はこちらを見もせずに手紙と木葉が持っていた瓶を千尋の手の平に置くと、木葉を抱いて立ち上がりそのまま歩き出す。どこへ向かうつもりなのかは分からないが、千尋は何も言わずにその場を立ち去った。


 木葉は最後の最後に羽鳥を庇った。それが木葉が考えた自分の無実を証明する為の手段だったのだろう。


 こんな時、鈴ならどうするのだろうか。何て羽鳥に声をかけるのだろうか。またあの自由な発想力で何か解決策を考えてくれるだろうか。


 軋むような心の内を抑え込んで、千尋は飛び去った龍たちの後を追う。


 五月が消えた途端に龍たちが飛び去った所をみると、どうやら操っている人物が消えると次の操る者の元へ向かうようだ。


 という事は、この先に居るのは恐らく琴音だろう。


 初は琴音が本当に離宮から姿を消した事を聞いて、あの抜け道を使うべきかどうかを考えていた。今はもう完全に原初の龍と同化しているのか、力を使っていなくても頭の中でずっと声が鳴り響いている。


 そのあまりの鬱陶しさに初は頭を掻き毟り叫んだ。


「煩いのよ! いい加減に黙りなさい! 私を誰だと思っているの!? この都の王妃になる者なのよ!?」


 けれど声はどんどん大きくなり、やがて自分の声すら聞こえないのではないかと思うほどだ。そんな初の叫び声を聞きつけて兼続が部屋へ飛び込んできた。


「お前、力を使ったのか!?」

「使ったわよ! 持っている物を使って何が悪いというの!? ああ、そうね、あなたが元凶よ。全ての元凶はお前、お前、お前、お前」


 初には目の前の目だけギラギラさせた年老いた龍がもう誰なのか分からなかった。ただ分かるのは、この男こそが全ての原因だと言う事だけだ。


 両手をダラリとぶら下げて近寄る初が怖いのか、兼続はじりじりと後ずさる。


 そんな兼続を初は焦点の合わない目で見つめた。


「私を手に入れようなど無駄な事。正しい器でなければ、私の力は制御など出来ぬ。愚かな王。不当な手段で手に入れた地位はさぞかし甘美だっただろう。だが私は約束は違えぬ。我が友、頼近と交わした契約を私は守り抜く」


 初はそう言って良く分からないまま手を前に突き出した。その指先から水の矢が何十という束になって兼続に襲いかかる。


「初! 初、俺だ! 父だ! 目を覚ませ、その力を千尋に——っ」


 兼続は慌てた様子で結界を張ったが、矢はあっさりとそれをすり抜けて兼続の体に突き刺さり、呆気なく、実に呆気なく大気に解けていった。


 当時の王を罠にかけて事故に遭わせて王位を奪い、その王が大切にしていた者や自身の娘、そして家臣を散々利用してその地位にしがみついた男の最後は、あまりにもつまらないものだった。


 初はもう自分が何をしているのかも分からなかった。ただ分かるのは今にも溢れ出しそうな憎しみと痛みだけだ。


「千尋……そうよ、千尋を探さないと」


 それだけ言って初はもう一度手を上げた。その途端に壁が大きな音を立てて崩れ去る。原初の龍の力は初の元々の雷の力にも作用する。そしてその力を利用すればありえないような事が簡単に出来てしまう。


 これは同じ雷竜の琴音が教えてくれた事だったが、琴音はどうしてこの方法を知っていたのだろうか。


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