初が大気に溶けたあとに聞こえてきたのは、初の狂ったような笑い声とも泣き声ともつかない声だ。
けれど千尋は未だに円環を解いてはいなかった。その狙いは琴音に狙いが定められている。
「さて、それでは最後です。琴音さん、あなたの計画はすっかり邪魔されてしまいましたが、どうします?」
そう言って千尋は袂から羽鳥に預けられた瓶を取り出した。中には黒くてドロリとした液体が入っている。
それを見て琴音の顔色が一瞬変わったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて話し出す。
「ああ! もう千尋さまの手に渡っていたのですね!」
「違うでしょう? あなたが狙っていたのは原初の龍と契約する権利。違いますか?」
「そんな事考えても居ません! 私はずっとそのお力を千尋さまにお渡ししたかったのです! お慕いしている人と仲違いなど、したくありませんもの……」
琴音は俯いて上目遣いでこちらを見上げてくるが、そんな琴音を見て千尋は微笑んだ。
「そうでしょうか? あなたは初で実験をしたのですよね? 前王は引き継いだ力を使おうとしなかった。それでは実際に原初の龍の力でどこまで出来るか分からない。だから初を契約者にしようと前王に進言したのですよね?」
「何を仰っているのか意味が分かりません。私はただ純粋にその力は本来の方の元へ戻るべきだと考えていて——」
「なるほど。あなたも未だに私が原初の龍の生まれ変わりだなどという戯言を信じているのですか? そんな訳が無いでしょう。あなた達もご存知の通り、原初の龍はその魂も体も無理やりこの都に今も留められているのですから」
それを聞いて何故か流星が納得したように手を打っているが、まさか流星も本気で信じていたのだろうか?
「本当じゃん。それじゃあ千尋くんはただ馬鹿みたいに力が強い水龍って事?」
「そういう事です。でもそれもじきに終わりますよ。今は瑠鈴が居ます。だから狙われたのですよ。この方に」
千尋はそう言って琴音を指さした。その行動に琴音の体がビクリと震える。
「え? こいつにそこまでする理由ある?」
「邪魔でしょうからね。女の水龍など自分が伴侶になる事も出来なければ、鈴さんが居る限り親になる事も出来ない。だから二人まとめて始末しようとして、あの屋敷全壊事件を起こした。あなたはもう随分前から離宮を抜け出して都に何度か戻ってきていたのでしょう? だから私の噂が本当だという事も知っていた。けれどそれを初と五月さんには悟られないようにしなければならなかった。初達と私が和解をしてはいけなかったのですよね?」
千尋の言葉に琴音はことさら深い笑みを浮かべて首を振る。
「いいえ、それは違いますわ。私は実際に見た上で判断したのです。あなたは盛大なお芝居をしているのだと。抱きたくない女を抱きわざと婚姻色を出して、見せかけの家族円満を演じているのだと。だから私は決意したのです。そんな役目を演じているのであれば、誰かが敵にならなければご自分で幕引きなど出来ませんでしょう?」
自信満々にそんな事を言ってのけた琴音に思わず千尋は流星と顔を見合わせて首を傾げる。恐らく互いの顔にはっきりと「この人は一体何を言っているんだろう?」と書かれているに違いない。
「えっとさ、琴音さん? いや、もう討伐対象だから別に教えなくても良いんだろうけど千尋くんってさ、皆が思ってるほど器用じゃないんだよ。むしろ鈴さんに出会うまでがこの人のお芝居だった訳だよ。だから今君が言った事は「私はあなたの事を上辺しか知りませんでした」って言ってるのと同義なんだよね」
呆れた口調の流星に後ろで仲間たちも頷いている。
「それは王達の方が千尋さまを上辺でしか判断していないのです。私には分かるのです。この方の苦しみが。それを救えるのは私だけ。だって、これほど長い間この方を目で追ってきたのですから」
「あ、これ駄目な奴だ。時間が全てだと思っちゃってる奴だ」
「そのようですね。まぁ何でも構いませんが、全てはあなたのただの思いこみです。私は今とても幸せで、その邪魔をしようとするあなた達はそちらの台本通り、私の敵でしかありません。ですから私はきちんとその台本の終わりを修正して実行しましょう。これで万事解決です」
そう言って千尋は微笑んだまま全ての円環を琴音に向けた。それを見て琴音がようやく息を呑む。
「……千尋さま?」
何か言いたげな琴音を無視して千尋は笑みを消すと、円環を琴音の周りに配置する。
「一つお伝えしておきましょう。私が今からあなたを攻撃するのは、決して討伐命令が出ているからではありません。私の最愛の妻を、家族を愚弄し、何度も危険な目に遭わせたからです。そしてあなた達がそれはもうしつこく私の幸せを潰そうとしたからです。大気に戻っても、どうかその事を忘れないでくださいね」
千尋は琴音を見下すように見下ろすと、何の躊躇いもなく円環を使った。それを見て琴音が龍に戻って振り返り声を張り上げる。
「役目を果たしなさい!」
と。