それは恐らく空を今も回っている龍たちに言ったのだろうが、初という根本的な主を失った龍たちは今は喜びの言葉を呟きながら虚ろに空を泳いでいた。
千尋の円環の矢は目標を決して違えず、見逃さない。
琴音は結局何の命乞いも出来ず、何百という千尋の円環に貫かれ、いとも容易く大気に戻っていった。
所詮ただの高官の娘だ。いくら才女と言われようが、千尋からすれば赤子のようなものである。
シンと静まりかえる中、それまで呆然としていた流星が未だにぐるぐると頭上を回り続ける龍たちを指さした。
「で、これは?」
「うーん……分かりません」
何せ肝心の契約者が何の秘密も漏らさずに先に殺されてしまったのだ。被害者はそれこそ誰も出なかったけれど、この後どうすれば良いのか分からない。
そこへ、突然腰から下げていた鏡が光った。
♡
鈴は木葉に言われた通りに千尋に連絡をした。木葉が教えてくれた事が正しければ、きっともう全ては終わっているはずだ。そして途方に暮れているのではないだろうか。
『鈴さん!? どうして!』
「千尋さま! どこかお怪我はありませんか!? それから木葉さんは!?」
まずは一番心配だった千尋の安否の確認と木葉の事を尋ねると、千尋は小さな息を飲み込んで視線を伏せた。
『私は元気ですよ。怪我もありません。ですが木葉さんは……』
千尋の言葉に鈴は全てを察する。やはり木葉の言った通りだった。彼女は覚悟を持ってその生命を使い、都を守ったのだ。
「実は昨夜、木葉さんから連絡があったのです。その時に私はとても大切な事を託されました。千尋さま、どうか迎えに来てはくれませんか?」
鈴が言うと、千尋はハッとしてこちらを凝視してくる。
『危ない事ですか? だとしたら許しません』
「危ないかどうかは分かりません。ただ、原初の龍と水についての事なのです」
その言葉が聞こえたのか、千尋の隣から流星が顔を出す。
『ごめん、聞こえちゃって。原初の水の話を君が木葉さんから引き継いだって言った? それはどんな事?』
「場所です。それから封印と引き継ぎの方法を聞きました」
はっきりと淀み無く言うと、千尋が大きなため息を落として頷く。
『今夜、迎えに行きます。深夜の一時きっかりに』
「はい、お待ちしています。千尋さま」
何か言いたげな千尋に呼びかけると、千尋は小首を傾げる。
「ありがとうございました。そして……全て片付いたら、たくさん戯けましょうね」
はしたないとは思ったけれど、千尋の顔は思っていたよりもずっと疲れ果てていた。当然だ。幼馴染や顔馴染を相手にしたのだから、きっと千尋は自分で思っているよりもずっと精神的に疲れているに違いない。
鈴の言葉を聞いて千尋は驚いたように目を丸くしたかと思うと、甘く微笑んで頷く。そんな千尋の反応を見て鈴は少しだけ安堵した。
その夜、千尋はたったの一分も遅れずに深夜に静かに地上へと降りてきた。
そして皆に挨拶をする事もなく、庭で待っていた鈴を無言で抱えてまた都へと戻る。
怒っているのだろうか。都に到着しても無言のままの千尋を覗き込むと、何故か片手で視線を遮られてしまった。
「あまり見ないでください。きっと酷い顔をしていると思うので」
「初さん達の事で、ですか?」
やはり相当に精神を消耗したのではないか。そう思ったのだけれど——。
「いえ、あなたが目の前に居るというのは、改めて奇跡のような事なのだなと実感してしまって」
それを聞いて鈴はすぐに羽鳥の事を言っているのだと気づいた。鈴はすぐさま千尋の手を取ると、そこに自分の指を絡める。
「奇跡ではありません。私達の出会いは必然でした。出会うべくして出会ったのです。それはどんな出会いもそうに決まっています」
鈴の言葉に千尋はようやくこちらを向いてくれた。その目はどこか切なげに揺れている。
「……そうですね。彼らの出会いも必要だった。どちらにとっても。そう、信じましょう」
「はい」
「本題に入りましょうか。とりあえず昔の私の屋敷へ向かいましょう」
そう言って千尋は鈴の手を引いて歩き出す。夜中だからか、通りには誰も居なくてシンとしている。
その雰囲気が怖くて鈴は思わず千尋の腕に抱きついて歩いていると、そんな鈴を見下ろして千尋が笑った。
「もしかしてお化けを警戒しています?」
「え!? は、はい、少しだけ」
「やっぱり! 大丈夫ですよ、鈴さん。都にはお化けは存在しません。何故なら龍の魂は大気に戻り、また新しい器を授かると言われているので」
「そ、そうですよね! そうでした! ふぅ」
胸を撫で下ろした鈴を見て千尋は今度は声を出して笑う。
「相変わらず可愛らしいですね、あなたは。二人も子どもを産んだと言うのに、いつまでも少女のままなのですから」
「そ、そんな事はありません! もうすっかり大人です!」
思わず言い返していると、千尋が楽しげに前方を指さした。そこには以前千尋が住んでいたという屋敷がまだボロボロの状態で建っている。
「いい加減に修理をするか売却すべきですね」
苦笑いを浮かべる千尋に鈴も思わず苦笑いを浮かべたが、ふとある事を思いつく。
「では修理をしてはどうでしょうか? いずれ千隼か瑠鈴が住みたいと言い出すかもしれませんよ?」
鈴の言葉に千尋はポンと手を打つ。
「それは名案です! 是非そうしましょう」
それから鈴は千尋に手を引かれて屋敷に入った。実は鈴はこの屋敷に入るのはこれが初めてだ。