屋敷の中は壊されてしまった屋敷とは違い、やけに殺風景だ。飾りも調度品も何も無く、かつてここに誰かが住んでいたとは思えないほどだった。
「定期的に掃除だけはしておいて良かったです。まさかここにあなたを招くことになるとは思っても居ませんでした。急ぎだったのでお茶もお菓子もありませんが許してもらえますか?」
「もちろんです」
そう言って案内されたのは客間だ。鈴は促されるまま大きな一枚板の机を挟んで千尋と向い合せに座ると、木葉から引き継いだ話を全て千尋に話した。
全て聞き終えた千尋は腑に落ちないのか、さっきからしきりに首を傾げている。
「やけに詳しいですね」
「はい、私もそう思ったんです。何か変だなって。どう思いますか?」
そう、木葉はやけに原初の水や龍に詳しかったから鈴も不思議だった。前王がそんな事を軽蔑している人間に漏らすとは思えなかったからだ。
「そうですね……考えられるのは、木葉さんは前の前の王に捧げられたという事でしょうか?」
「それはどれぐらい昔なのですか?」
「その当時の王の名は頼近。若くして亡くなった水龍なのですが、その方が王位についていたのは私が生まれる前ですよ」
「そ、そんなにですか!?」
「ええ。ですから私も驚いているのです。だって羽鳥が木葉さんが視力を失い始めたのは最近だと言っていたでしょう?」
「は、はい。仰ってましたね」
ではそれまではどうやって龍化していたというのだ。そこまで考えて鈴はハッとした。
「ま、まさか!」
同じことを考えていたのか、千尋も大きく頷く。
「恐らくそれが正解です。木葉さんの想い人とはその頼近でしょう。そして二人は恋仲だった。決して許される事のない関係だった」
「っ……そんな……」
鈴は俯いて唇を噛み締める。では前王はそれを知っていて木葉をわざと生かしておいて利用したというのか。そして木葉は頼近との最後の約束を守るために今までたった一人で生きてきたと言うのか。
「あまりにも長い年月を彼女はたった一人で乗り越えてきたようですね」
「……はい」
今なら分かる。木葉がどれほどに一途な少女だったのかが。そしてその強さに感服する。
「とりあえず私達は木葉さんの意思を継ぎに行きましょう」
「え? 誰にも相談されないのですか?」
木葉から頼まれたのは原初の龍の封印だ。
けれど、そんな大事な事を誰にも告げずに二人だけで決めてしまっても良いのだろうか?
そんな鈴に千尋は頷いて立ち上がり、こちらに手を差し伸べてくる。
「少し思うところがあるので。鈴さん、案内をお願いします」
「は、はい!」
鈴は千尋の手を取り外に出ると、龍に戻った千尋に相変わらず靴を脱いで乗り込み、たてがみをしっかりと掴んだ。
「ちゃんと捕まっていてくださいね? 落ちそうな事はしないでくださいね?」
「し、しません!」
千尋は大分前に鈴が千尋から身を乗り出して写真を撮った事をまだ根に持っているらしい。鼻息を荒くして千尋にこれでもかとしがみつくと、千尋が笑った。
「そうそう、しっかり抱きついていてください。それでは行きますよ」
「はい! お願いします」
千尋はゆっくりと空に向かって飛び上がると、悠々と真っ黒な夜空を泳ぎだす。こんな時でも白く輝く月を背に、千尋と鈴はある山を目指していた。
そこは都から出てはるか東の方に進んだ所らしく、追放された龍すら住んでいない荒れ果てた荒野だという。
そんな所にずっとたった一人で原初の龍は居たのかと思うと、何かが込み上げてくる。
やがて荒野が見えてくると、枯れ果ててひび割れた大地をまるで支配するかのように大きな山が一つ、独立しているのが見えた。
「千尋さま、あれでしょうか?」
「ええ、多分。随分遠くまで来ましたね。私もここまでやってくるのは初めてです」
「そうなのですか?」
「ええ。用事でも無ければこんな所までやって来ないでしょう? 何も無いし」
千尋の言う通りここには本当に何も無い。木葉いわく、原初の龍の力のせいで荒野が今も広がっているのだと言っていた。それはいずれ都すらも飲み込んでしまうだろうとも。
やがて山の火口まで辿り着いた鈴達は、二人でその火口から山の中心部を目指して降下した。
「ふ、深いですね」
「そりゃ火山口ですからねぇ」
「こ、怖くないのですか?」
鈴は怖い。もしかしたら何か出てくるのではないかとさっきからドキドキしている訳だが、千尋は何て事の無いような声で言う。
「怖くはありませんよ。だってあなたが居ますから」
それを聞いて鈴はハッとした。二人ならばどんな所でも怖くなどない。そう、言われたような気がして鈴は千尋にギュっとしがみついた。