目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第557話

 長い年月を生きる龍にとって、自然死は肉体からの解放で喜びだ。その喜びを鈴と一緒に分かち合いたい。そしていずれまた魂が肉体を得た時、もう一度巡り会いたい。


「……分かりました。それでは封印は止めましょう。そしていつか、私を千尋さまと同じお墓に入れてください」


 ようやく千尋の胸から顔を上げた鈴の頬にはうっすらと涙の痕がついていたけれど、顔には照れたような嬉しそうな笑みが浮かんでいる。


「ええ、もちろん。では始めましょう」


 千尋は池の側にしゃがんで自分の血判を入れ、そこに塩と酒を投げ入れた。


 すると黒かった水が虹色に光り輝いたので、その状態の水を手で掬い上げて一口だけ飲み込むと、隣からゴクリと鈴の息を呑む音が聞こえてくる。


 虹色の水が喉を通り越した瞬間、誰の物か分からない記憶や感情が怒涛のように流れ込んで来た。


 そのあまりにも強い、濁流のような記憶や感情に飲み込まれそうになって思わずフラついた千尋を支えたのは鈴だ。


 鈴の小さな身体と華奢な腕で抱きかかえられた瞬間、今にも荒れ狂いそうだった感情や記憶が途端に落ち着き凪いでいく。


「……ありがとうございます、鈴さん。もう大丈夫ですよ」

「……本当ですか?」

「ええ、本当に」


 心配そうな顔をしてまだ千尋の背中を支える鈴の頬を撫でると、鈴はようやくホッとしたように力なくその場に座り込んでしまう。


 と、その時だ。頭の中に声が鳴り響いた。男とも女とも言えない不思議な声が。


『そなたが次の我の契約者か。ようやく声が正しく届く者が巡ってきたようだ』


 けれどその声は千尋にしか聞こえないらしい。


「ええ、そうです。木葉さんから頼まれまして」


 突然独り言を言い出した千尋に鈴がギョッとしたような顔をしているが、千尋は人差し指を口に当てて原初の龍の言葉を待った。


『木葉か。いつも一人でこの湖の水を減らそうとしてくれていたが、あの娘はどうなった』

「亡くなりました。頼近とあなたの約束を守り続け、最後に頼近の生まれ変わりを庇って」

「えっ!?」

『なに?』


 鈴と龍が同時に声を上げた。何だかその様子がおかしくて思わず目を細めた千尋の袖に鈴が掴みかかってくる。


「ど、ど、どういう事ですか!?」

『頼近の生まれ変わりだと!? それは真か』

「ええ、多分ですけど。木葉さんが仰ったんですよ。羽鳥の言葉を聞いて『どうしてあの人と同じことを?』と。そして最後にこうも言いました。『次は私があなたを』とも。この言葉から察するに木葉さんは羽鳥が頼近の生まれ変わりだという事に気づいたのかもしれません。そう思ったという事は、頼近は恐らくそういう約束を彼女としたのでしょう」

「そ、そう言えば木葉さんは羽鳥さまが想い人に似てるって! 声や名前を呼ぶ時の間とか中身とか! だから余計に言えないんだって!」


 興奮したように言う鈴に千尋も頷いた。


 もしも彼らが運命の番だったのだとしたら、何もおかしい事はない。龍の伝説には運命で結ばれた魂は何度も巡り合い、決して離れる事はないという伝説があるぐらいなのだから。


 そんな教えを今まで信じようとした事もなかったけれど、鈴に出会った事で千尋はその教えを信じたいと思うようになった。鈴とはもう永遠に離れたくなかったからだ。


「あなたなら見れば分かるのではないですか?」


 千尋が問いかけると、龍は無言だったが、それは肯定だ。何故なら千尋の中に今度は喜びの感情が流れ込んできたのだから。


「戻りましょう、鈴さん」

「はい! そして木葉さんを生き返らせましょう! あの油虫みたいに!」


 自信満々に言い切った鈴を見て千尋も龍も「え?」と呟いたが、そんな千尋に鈴も首を傾げている。


「え? 違うのですか? またお二人は離れ離れになってしまうのですか?」

「ああ、いえ、ですが木葉さんの望みは——」


 確か死にたいと言っていなかったか? そう思ったのも束の間、鈴が千尋の言葉を遮ってまで早口で話し出す。


「木葉さんは今はもう死にたくないって言ってました! それに羽鳥さまが生まれ変わりなのであれば、またすれ違いではないですか! 原初の龍さまもきっとお二人の幸せな姿を見届けたいはずです! でなければ死んでも死にきれませんよね!? ね!?」


 前のめりになってそんな事を言い出す鈴に流石の千尋も困惑してしまうが、誰よりも困惑していたのは原初の龍だ。突然に同意を求められて完全に戸惑っている。


『今度の契約者の嫁は少し変わっているな』


「失礼な。鈴さんのどこが変わっていると言うのですか。世界で、いえ宇宙で一番素晴らしい私の妻ですよ。侮辱したら許しませんよ」

『侮辱はしていないが……お前たちのような身勝手さは嫌いではない。今の状態の私の血を木葉にかけろ。死んだ者に生を与える』

「分かりました。鈴さん、龍の許可が下りました。戻りましょう」

「はい!」


 千尋は羽鳥の元へ向かう途中、ずっと気になっていた事を原初の龍に尋ねた。


「ところであなたは一体何者なのです?」

「それ、私も気になっていました!」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?