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第560話

 家が少し離れてしまうので寂しかったが、楽は千尋の執事なので毎日やってくるし、菫も週に三日はここで夕食を食べていく。何なら前よりも来てくれる回数が増えてホクホクの鈴だ。


 ある日、昼食後の子ども達のお昼寝タイムに付き合って鈴が千尋と共にいち早く改修された温室で微睡んでいると、ふと思い出したかのように千尋が口を開いた。


「そう言えば今度面白い本が出るらしいですよ」

「どんな本ですか?」


 本と聞いて目を輝かせた鈴を見て、千尋が微笑む。


「流星が下読みをしたらしいのですが、一昔前の自分であれば絶対に発禁にしていたと言っていました」

「ど、どんな本なのですか?」


 発禁になるほど過激な本なのだろうか。思わず目を丸くした鈴に千尋は声を上げて笑う。


「思想や哲学の本だそうです。鈴さんや菫さん、木葉さんに龍がした仕打ちはとても許されるものではありませんでした。その事を今一度見つめ直すべきだと言う内容だそうです。まだ無名の作者だそうですが、面白かったし心を揺さぶられたそうですよ」

「どんな内容なのでしょう? 千尋さまも読まれますか?」

「そうですね。一応、買ってみるつもりです。とは言え私にとっては元々人間は守るべき対象でしたから、さほど驚きは無いかもしれませんが」


 そう言って微笑んだ千尋の顔は、鈴が尊敬した龍神そのものだ。


 鈴はそんな千尋の隣に椅子ごと近寄ると、そっと千尋に頭をもたれかけた。


「どうかしましたか?」

「いえ、少しだけ甘えたくて」


 素直に言った鈴を、千尋はいつものように簡単に抱き上げて膝に乗せてくれる。そうしていつも、柔らかい鳥かごのような腕で抱きしめられるのだ。


 やがてこの時に話していた本が出版されると、最初は見向きもされなかったというのにじわじわと売れ始め、ロングヒット作品になったのはあの事件から1年後の事だった。


 この頃には都は随分様変わりしていて、種族の事で言い争うことはほとんど無くなっていた。それどころか原初の龍を守り続けた人間として木葉が表彰されたり、菫の功績が改めて称えられたり、鈴のお菓子本を望む声が上がったりするようになっていたのだ。


 けれどそれに関して千尋はあまり良い顔をせず、最後まで渋っていた。理由は簡単だ。


「鈴さんのお菓子の本ですか……あれは私だけの特権だったのに」

「大丈夫ですよ、千尋さま。料理と一緒でお菓子も同じ作り方をしても全然違う味になりますから」

「そうですか? でも原初も反対していますよ」

「そ、そうなのですか?」

「ええ。鈴の菓子は秘匿にすべきだ! なんて言っています」


 執務室でそれを聞いていた楽が呆れたように言う。


「普段は喧嘩ばっかしてるのに、こいつに関してだけは相変わらず意見が一致するんですね、千尋さま」

「そうなんですよ。困ったものです。早く湖の水が無くなる事を祈っています」


 どうにかして早く自分の中から原初の龍を追い出したいのか何なのかは分からないが、最近の千尋はよくこんな事を言う。


 けれどそれに関しては雅がこっそりと教えてくれた。


「あれはね、ただのヤキモチだよ。鈴を独り占めしたいのに出来ない男のみっともないヤキモチだ。ざまぁみろ!」


 歯を出して笑う猫雅に鈴は苦笑いを浮かべた訳だが、日々はとても穏やかで幸せだった。


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