―― もにゅっ
仮眠室のなかに1歩、入ったとたんに。
なにかが、俺にぶつかってきた……
まるっこい小さなからだが俺の足もとで、むくむくと動いている。
「だぁ……!」
赤ちゃんが、俺の顔を見上げてニコッと笑う。
…… いや。
かわいいんだが!?
「あぶぅ……」
{ばーあ! いいこいいこ、なのです}
イリスが赤ちゃんを抱っこして、顔面をとろけさせる。平和な光景だな……
部屋を見回すと、コフェドラシルの赤ちゃんは全員、起きてしまっているみたいだ。
みんな、むっちりと丸っこくて小さい。
うごうごと無目的にはいまわっているのが、ひとり。
ベッドの枠につかまって立とうとぷるぷるしているのが、ひとり。
部屋のすみでボールをつかまえようとしているのが、ひとり ―― ボールが大きくて、うまくつかめず逃げていくのを、不思議そうな表情で追いかけている。
「ここ、全人類を尊死させる空間かな?」
{かわいいのです! いつか、わたしたちも、こんな…… って、はうううう! もうもう、わたしったら!}
そんななか、ただひとり、鬼の形相をしているのがオースティン先生だ。
世界樹とコーヒーノキをドッキングするという頭おかしい偉業を成しとげた植物学者の先生でも、赤ちゃんの寝かしつけは至難の技であるらしい。
ギャン泣きしている赤ちゃんを抱っこし、なにかをぶつぶつとつぶやきながら、うろうろと歩き回っている……
「オースティン先生、大丈夫か?」
「いえ、全然! なんで寝てくれないんでしょう……!?」
「うーん。寝すぎ、かな?」
オースティン先生は必死の表情で訴えかける。
「まだ成育環境も整っていないので、せめて、芽が出るまでは寝ていてほしいのですが……」
「なら、さっそく成育環境を整えよう。コフェドラシルの家、建ててしまえば、起きてても問題ないよな?」
「えっ…… 家を!? いいんですか!?」
「もとから、そのつもりだからな」
「よかったでちゅねえ! コフェリカちゃん!」
オースティン先生が腕のなかの赤ちゃんを 『たかいたかい』 する。ますます泣きだしたぞ、コフェリカちゃん。
「もう、てっきり、ここで育てなきゃならないのかと」
「工場で? それはないわ…… で。なにか、希望はあるか?」
「そうですね、やはり、
オースティン先生が赤ちゃんをあやしながら、きれぎれにコメントしてくれたところをまとめると……
必要なのは 『温かく、強すぎも弱すぎもしない適度な日当たりがあり、湿気がたまりにくい家』 であるらしい。
この辺はまあ、温室のつもりで作ってサンシェードと窓と換気扇をつければ、問題ないだろう。
だが、オースティン先生が言うには。
「いちばんの問題は清潔な水…… おそらくコフェドラシルの成育には、世界樹の雫がたっぷり必要です」
「たしかに、これ難しいな。貯蔵と補充か…… シャワーなんかは浄化装置をつけて使い回すとしても」
「飲み水だけでも、大変ですよね」
世界樹の雫については先に、鳥人たちが運んでくれると約束してくれてはいる…… が、それだけを頼りしていては、鳥人たちの負担が大きすぎる。
さっきバトルした
いま、なにかが引っ掛かったような。
「イリス、転送魔法、使えるか?」
{まさか、なのです! ……んん? でも…… そういえば}
イリスがしげしげと自分の爪を見た。
光にあてると色が青く変わる ―― ちょっと前に
この希少な宝石の効果は、
「転移か」 {ですです!}
俺とイリスは、同時に顔を見合わせていた。
ちなみに、俺やイリスでは、自力で転移を決めるにはまだまだ
だが…… もし、エルフの姫たちが協力してくれるならば。 《世界樹の琥珀》 の仕組みを利用し、世界樹の雫を
「コモレビ姫、ちょっと来てくれ」
「はい…… あ…… みんな…… 起きてたんですね…… かわいい…… です」
俺たちの背後から、部屋をのぞきこんだコモレビ姫が目をなごませる。
「うん。なかなか寝てくれそうにないから、すぐに家を作ろうって話になってるんだが。問題は、水なんだ」
{それで、エルフさんたちのお力を借りられたら、って言ってたんです}
俺とイリスがコモレビ姫に事情を説明すると、コモレビ姫は、しばらく考えこんだあと宙に図面を描きはじめた。
コモレビ姫の指の軌跡が、そのまま銀色に光って浮いている…… エルフ、こんなこともできるのか。
「世界樹の琥珀をはめた…… 貯水のための…… 大きい容器を…… こう…… ここと
{あっ、なるほど、なのです!}
「けど、これ…… コモレビ姫かルンルモ姫が、ここに常駐してなきゃ、難しいんじゃないか? いや、できないとは言わないが」
「心配、いりません……」
コモレビ姫は、動きまわるコフェドラシルの赤ちゃんを目で追いかけながら、きっぱりと言った。
「自分も…… ここで…… この子たちを…… お世話します」
「えええっ!?」 と、オースティン先生が声をあげる。
とたんにオースティン先生の腕のなかの赤ちゃんがまた、泣き出した。やっと静かになったところだったのにな。
膝から崩れそうになるのを、かろうじて踏みとどまるオースティン先生。
「おー、よしよしよし…… あの、コモレビさん。それ、本当ですか!?」
「はい…… 自分…… 小さい、きょうだいを…… この子たちを、放っておけませんから…… ご迷惑は、なるべく、かけませんので…… よろしく、お願いします」
「はっ! いえいえ、こちらこそ! いやはや、ボクが、こんなキレイなかたと、どうせい…… いえ違います違います! おーよしよしよしよし!」
オースティン先生が、植物以外のことでうろたえている…… まあ、それはともかく。
「じゃ、ルンルモ姫にも話を通さなきゃな」
「はい…… 自分、姉様に…… ちょっと、言ってきますね……」
コモレビ姫の姿が、ゆらっと揺らぎ、空気に溶け込むように消えた。
「よし。俺は、ちょっと家、建ててくるよ」
「すみません! ボクはちょっと…… とっても気には、なるんですけど」
「わかってるよ、オースティン先生。赤ちゃん優先だよな」
「は、はい…… 目を離して、ウッカリ外に出たら」
まあ、当然の心配だよな。
「ちゃんとした家を建てるから、心配するな、オースティン先生…… イリス、赤ちゃんのお世話を、手伝ってあげてくれないか?」
{もちろん、お世話するのです!}
ぷっぴゅん!
イリスがスライムの姿になって、ぷるぷる揺れる。
つるっとしたゼリー状のボディーの上で、たくさんの光がはじけ、色とりどりのグリッターが立ちのぼる…… と。
オースティン先生の腕のなかの赤ちゃんが泣きやみ、イリスのほうに手をのばした。
「……? もしかして、さわりたいんですか?」
オースティン先生が赤ちゃんをそっと床に降ろす。
赤ちゃんはイリスのほうに猛然と
きゃっきゃっと、ごきげんな笑い声があがる。
ほかの赤ちゃんも、イリスのほうに寄ってきてるな。
オースティン先生が、ほっとしたようすで息を吐いた。
「す、すごいですね、イリスさんは……」
「そうだろ」
俺はつい、自分のこと以上にドヤってしまったのだった。
―― そのあと結局、ソフィア公女、ゼファー、鳥人の長老たちも、工場に残ってコフェドラシルの赤ちゃんを見ていてくれることになり……
俺はひとり、工場の外に出た。
さて、さっそく ――
俺は赤茶けた大地全体に、錬成陣を展開する。中央には俺の可視化アイテムボックスを置いて、と。
「《建築物》 ―― 住居、錬成開始 《超速 ―― 1000倍》」
大地とアイテムボックスから、煉瓦や強化ガラス、合金サッシ、塗料、内装用の木材や布など…… 必要な資材が次々と錬成され、目の回るような速さで組み立てられていく ―― 俺の、イメージどおりに。
コフェドラシルの赤ちゃんはもちろん、オースティン先生にもコモレビ姫にも、過ごしやすい家を ――
「よし! 完成だ」
ほんの2、30分ほどで、なかなか立派な邸宅ができあがった。
念のために部屋数を増やしたり、中庭を広くしてプールまで入れてみたりして…… ちょっとした城みたいに、なったな。
いろいろと欲張りすぎた感はあるが…… ま、いいか。
そのうちコフェドラシルの赤ちゃんが増えたら、これくらいの広さは要るだろうし。
ともかくも ――
まずは、お披露目の前に、邸内のチェックだよな。