俺は顔認証システムつきの自動ドアの前に立った ―― 動力は大気中の
吹き抜けの、広いリビングとキッチン。中庭は強化ガラスで温室にし、水はけのいい柔らかな土を入れて、ブランコや滑り台、鉄棒なんかも置いてみた。
子どもたちがみんなで入れる、広い浴室とシャワールーム。
それから、プライベートの守れる個室と子ども部屋、医務室。
地下には貯蔵庫と、もしものときのためのシェルターも ――
「うん、まずまずの出来だな」
それに、初めてなのに、なんだか懐かしい…… 俺、こんな家、知ってたか?
ひとり首をひねったとき。
ふっと、脳内をよぎったのは、幼い俺の声だった。
『ぼくの夢は、将来、建築家になって、家族みんなが、なかよくしあわせに暮らせる家を建てることです……』
そうだった ―― 子どもだったころ、俺が、大人になったら建てたいと思っていた、家。
学校の授業で発表したんだったか…… 仕事でほとんど家に居なかった両親が、家で仕事ができるようになればいい、と考えたんだっけ。
そのあと母親が病気で亡くなって、落ち込む父親を力づけようと 『母親みたいな外科医になる』 と宣言して必死で勉強を始めて……
「あのころの夢なんか、すっかり忘れたと、思ってたのにな……」
まずい、泣きそうだ……
俺はとりあえずリビングの椅子に腰かけ、両手でまぶたを押さえる。たぶん少し、疲れてるんだろう。
{リンタローさま!}
ぷりゅん。
柔らかいなにかが、俺の頭にふれた。
「イリス、きたのか…… 赤ちゃんは?」
{みんな、寝たのです! あと、コモレビ姫が帰ってきたので、リンタローさまを呼びにきたのです}
「そうか。じゃ、行こう」
{そのまえに…… 泣きたいときは、思いきり泣くといいのですよ、リンタローさま}
「いや、そんな。いいトシして恥ずかし {恥ずかしくなんて、ないのです!}
どうしようかな、これ。
イリスが俺の頭に、ぎゅうぎゅう押しつけてくる柔らかさが心地よくて、確かに泣きやすそうではあるが、しかし……
{よしよし、リンタローさま。わたし、いっぱい、胸を貸すのです! 好きに使うといいのですよ}
「ひぇ……っ」
胸 ―― !?
俺は、思わずとびのいていた。
イリスが、驚いたように青紫色の目を見開く…… その目が、みるみるうちに潤んで境界が溶けてくる。
くるり。
イリスは俺に背中を見せ、走り去っていった。
{うっ、みゅっ、ふっ…… ふみゅぅぅぅううう! ぴぇぇぇええええん!}
「すまん! 悪かった!」
{うぴゅっ! ふみゅううう…… ぴえ…… べっ、別に! リンタローさまから避けられたからって、うぴゅっ、悲しんでなんか、いなのでぷみゅぅぅうううう!}
「いや、ごめん、ちょっと間違えたというか、うん。俺は、イリスなら、耐えられるから!」
{耐えなきゃいけないほど、イヤなんですぅぅぅ! うぴゅぅぅぅうううう!}
「いや、だから、耐えるのは、俺なりの愛情表現というか!」
{うぴゅっ! リンタローざば……ぶぶぶ、
「すまん、イリス! 俺が悪かったから……! あと 《神生の大渦》 ! モップ!」
新しい廊下に涙のあとをつけながら、イリスが駆け抜ける。
そのあとを、モップで拭きながら追いかける俺。
―― いやだって。
気づいたら頭に胸をぎゅうきゅう押しつけられてたら。つい跳びのいても、しかたないじゃないか。
イリスは俺の女性アレルギーを知ってるわけだし…… いや、それでも、ショックだったのか……
状況をイリスの視点から振り返ってみよう。
落ち込んでる恩人を慰めようとしたら、激しく嫌がられた…… あ。わかったわ。
俺は、覚悟を決めた。
「イリス! 俺も泣く!」
{うみゅっ……
「お、俺も泣くから……! むむむ、胸を貸してくれ……!」
ぷっぴゅん!
{はいです!}
イリスが俺のすぐ前に、戻ってきた。良かった…… 機嫌、なおったな。
よし、覚悟を決めよう。
「イリス。じゃ、頼む」
{了解なのです!}
目を閉じた俺の肩に、イリスの腕がふれ、そっと抱き寄せられる。
やわらかいものが再び、俺の頭に覆いかぶさる……
「ぅぐっ……」
だめだ、呻き声も禁止だ、俺。がんばれ。
ひたすら、耐えろ。
奥歯をかみしめるんだ。俺。
{よしよしなのです…… 大丈夫ですよ。わたしはここに、いるのです。泣きたいだけ、泣くといいのですよ……}
「ぐ、ぐぅ……」
イリスの優しい手が、背中をなでた。
まずい、ガチで涙でそうだ…… 「あっ」
遠慮がちな悲鳴に顔をあげると、森のなかの湖のような緑青色の瞳と目があった。エルフ特有の透き通るような肌が、薄緑の髪にさっと隠れる。
コモレビ姫は、はたから見てもわかるくらいに、めちゃくちゃうろたえていた ――
「あっ、あの、あの…… 自分…… そんな、つもりでは…… ごめんなさい!」
「コモレビ姫!」 {まってくださいです!}
しなやかな身のこなしで逃げていくコモレビ姫を、俺とイリスで追いかける。まったく、なんて日なんだ。
{あの、わたしは別に、リンタローさまを独占しようとかいうのじゃ…… はう! ど・く・せ・ん……! いい言葉…… じゃなくて! です!}
「とにかく、コモレビ姫! お姉さんと…… ルンルモ姫と、話しあってくれたんだろ?」
「あ…… はい」
自動ドアを抜け、邸外に出たところで、コモレビ姫はやっと止まってくれた。
「世界樹の雫、転送の件。ルンルモ姫は、なんて?」
「あの…… 大丈夫だ、そうです…… がんばって、って…… 励ましてもらって…… あの、これ……」
「世界樹の琥珀か。これで、貯水槽をつくればいいんだな」
「はい…… あの、姉様が…… 水に接するように世界樹の琥珀を入れてくれれば…… なかの雫だけ、転送可能です、って……」
「そんなことが、できるのか?」
「あ、はい……
{えっ、そうだったのですか?} と、イリス。コモレビ姫がうなずいた。
「はい…… 自分も、知らなかったのですけど…… だから、世界樹の琥珀を使った、貯水槽なら…… いつでも、雫だけ、転送できるんだ、そうです……」
「なるほど。助かるな」
光がさすと南の海のような色になる不思議な宝石が、コモレビ姫の手から俺に渡った。
俺は、さっそく錬成陣を展開する ―― 《超速の時計》 で加速し、15分ほどで貯水槽と予備水槽が屋外に設置された。
水槽は、世界樹の琥珀と強化ガラスから作った繊維で補強した樹脂を、ステンレスの内側に
「コモレビ姫、やってみてくれ」
「はい…… 〖-.゛(¯、*!……!〗」
コモレビ姫がうなずき、世界樹の魔法を唱える。
数秒後 ―― タンクに水が満ちていく音が、かすかに聞こえた。メーターが少しずつ、上がっていく……
イリスが首をかしげた。
{時間、けっこう、かかりそうなのです}
「予備水槽も含めると、2ヵ月分だからな」
{コモレビさんだけだと、大変だと思うのです!}
イリスの心配を、コモレビ姫は首を横に振って否定する。いまは水の補充中で魔法を維持しているから、しゃべれないってことだな。
―― 結局、2つのタンクをいっぱいにするのに、1時間ほどかかってしまった。
そのあいだに、ほかの面々…… 鳥人の長老たち、ゼファーとソフィア公女、オースティン先生が、こっちにやってきた。それぞれ
俺が子ども部屋の位置を伝えると、さっそく、移動してくれたが……
問題は、ここに残って
なのに、月1回、1時間もコモレビ姫が水の補充に時間と魔力をとられるとなると…… イリスの言うとおり、けっこうな負担になるだろう。
「常に自動的に、水がいっぱいになるようにとか…… できないかな」
「さあ…… けど、自分が…… がんばれば、いいだけですので…… お気遣いなく…… 」
{コモレビさん、それは、ダメなのです! 無理したら、ずっとは、続かないのですよ!}
たしかに。
現にいま術を使い終わったコモレビ姫は、
イリスが、コモレビ姫をハグして説得にかかる。
{なんとか、もっといい方法を考えないと、です! ね、リンタローさま}
「そうだよな……たとえば、転送装置を作って、連動させる。水位が下がると自動的に転送を行うんだ」
「転送…… 装置…… ですか……」
「うん。まあ、まず、作れるかが問題だけどな。装置を動かして転送魔法を行うためには大量の
「それなら、ドゥート皇国で聞いてみると良いのではなくて? どうせ、行くでしょう?」
澄んだ声に振り返ると、ソフィア公女が立っていた。ほかのみんなより一足早く、子ども部屋から戻ってきたんだな。