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第69話 変身したのだった

―― 手術開始より、2時間後。


 俺は心電図の画像を見て、ほっと息をついていた。


「よし、ちゃんと動いてるな…… とりあえず、ペースメーカーの設置は成功だ」


「ようございましたわ!」


{ですです! わたしのペースメーカーズも、ちゃんと動いているのです!}


 ソフィア公女とイリスが手を取り合って、笑顔を見せる。

 ―― いや。ちゃんと動くだろうと思ったからこそ、イリス 《ペースメーカーの姿》 を使ったんだがな…… それでも。

 実際にちゃんと動いているとなると、言うことは、ただひとつだ。


「すごいな、イリス」


「あら! リンタローだって、立派でしたわ!」


{もちろんなのです! リンタローさまは、すごいのです!}


「いや、イリスとソフィア公女のおかげだ」


 謙遜けんそんとかじゃなく、こんな作業、ひとりではとてもできないからな。


「イリスも、ソフィア公女も。協力、ありがとう」


 俺は心からお礼を言う。

 ソフィア公女のほおに赤みがさし、イリスからは、ふわふわとグリッターが漂った。

 グロア女皇は ―― 見た感じ、かなり安定しているな。

 もし原因が俺の考えるとおりで、うまく排除できたとしたら…… おそらく、2週間ほどでペースメーカーも取れるだろう。

 じゃあ次は ―― その原因を、調べなきゃな。

 俺は採血の準備をし、グロア女皇に声をかけた。


「グロア女皇、調子はどうだ?」


「ええ。問題ありません。まだ吐き気は、しますが……」


「そうか。こうなった原因を調べたいから、少し採血するぞ」


「わかりました」


 グロア女皇は腕に注射針を刺されながら、不安そうに窓の外を見る。


「いまは? かなり、時間が経っていますね?」


「そうだな。もうすぐ、夕方だ」


「そんな……! こうしては、いられませ 「おっと。だめだ」


 焦ったように起き上がりかけたグロア女皇を、俺は慌てて止めた。


「術後6時間は安静に。寝ててくれ」


「ですが……!」


 そのとき。

 トントン、と部屋のドアがノックされた。


『陛下。グロア陛下!』


 ドアの外から、侍従らしき者が呼びかけている。

 どうやら彼は、グロア女皇に起こった異変については、まったく気づいていないようだ。

 落ち着いたようすで、時刻を知らせてくる。


『ご歓談中、失礼いたします。もう、お時間が……』 


「心配ありません」


 応じるグロア女皇の声も、普段と変わらない。

 おっとりとした…… 不調をまったく感じさせない声だ。


「もうすぐ、終わります。そのまま待ちなさい」


『かしこまりました』


 侍従の声が聞こえなくなると、グロア女皇は力が抜けたように頭を枕に落とした。


「…… 危なかった……」


「危なかった? 心臓のこと、やっぱり誰にも、知らせないつもりなのか?」


「ええ」


「だが…… 予後のことを考えても、隠しておくのは難しい問題だと思うが」


「そのとおりですわ」


 ソフィア公女がうなずく。


「このあと数日は、グロア様のご予定はすべて、キャンセルされたほうがいいでしょうし…… そうでしょう、リンタロー?」


「もちろんだ。吐き気と悪心がおさまるまでは食事が難しいだろうから、栄養は点滴で管理する。合併症を防ぐために抗生剤も投与するし…… そもそも、ペースメーカーをとっても心臓がきちんと動くようになるまでは、安静にしたほうがいい」


 俺の説明が進むにつれ、グロア女皇の眉間のシワが、どんどん深くなっていく。


「そのようなこと…… とても、できません!」


{ダメですよ、グロアさん! まだ、わたしもグロアさんのなかに入ったばかりで、なにがあるかわからないんですから}


「ですが……!」


 イリスにも止められ、グロア女皇の眉間は、渓谷みたいになってしまった。


「このあと、客を送別するための会食があるのです! それだけでも、出なくては……!」


「いまから? 絶対にダメだ。やっぱり、侍従に 「いけません!」


「と、言われてもな……」


 グロア女皇はどうしても、周囲に心臓のことを知られたくないのか……

 困ったな。

 そこまで隠したがるのは、なにか理由があるからだろうし、まあ、その理由も予測はついているが……

 この状態で誰にも事情を話さず健康なふりをし続けるのは、いまのグロア女皇には難しいだろう。


「だがグロア女皇は、食事なんか、できる状態じゃないし……」  


{あっ! じゃあ、こんなのは、どうですか?}


 ぷるっ


 俺が悩んでいると、とつぜん、イリスが震えだした。


「どうした? なにかいい案があるのか、イリス?」


{まあ見ててください、なのです!}


 ぷるっ

 ぷるぷるぷるぷるっ……

 イリスは細かく震えながら、わずかずつその形を変えていく ―― だいたい15分も経っただろうか。


 ぷっぴょん!


 すっかり変身を終えたイリスは、グロア女皇のベッドの隣に立った。すごいドヤ顔だ…… 


{わたしが、グロアさんのかわりに、会食に出るのです!}


「イリス…… すごいな。そんなことまで、できるのか」


{えへ。リンタローさまが改造してくださった、おかげなのです!}


「改造って言うな」 


 ―― 俺たちの目の前には、グロア女皇が2人、いた。

 ひとりはベッドのうえ、ひとりは、その横でくるりと回り {似てるですか?} と尋ねている。

 まさかイリス、人間まで模写できるようになっていたとはな……


 コンコンコン、コンコン

 ふたたびドアが、ノックされた。さっきよりも強めだ。


{すぐ行くのです!}


 イリスの声、やわらかなアルトになっている ―― 本物のグロア女皇に、そっくりだな。

 もっとも、とうの本物は、まだ納得していないらしいが。

 イリス 《グロア女皇の姿》 を引き止めようと、弱々しく腕を伸ばしている。


「待って…… 「その食事会、俺も適当な理由をつけて行くよ。だから、グロア女皇は寝てろ」


「いえ、ですが…… 「グロア様。リンタローとイリスさんなら、なんとかしてくれますわ」


 ソフィア公女がタイミングよく、とりなしてくれる。グッジョブだな。

 グロア女皇はしばらく迷っていたが、ついにうなずいた。


「では、よろしくお願いします」


{了解なのです!}


 イリス 《グロア女皇の姿》 が敬礼をしてみせると、グロア女皇の目は、耐えきれなくなったかのように閉ざされたのだった。


 ―― さて、こうなれば。

 手術のあとはなるべく片付けて、何事もなかったかのように見せかけねば……


「とりあえず、グロア女皇が簡単に見つからないように、しないとな」


 俺はグロア女皇を抱えて客室備えつけのベッドに移して点滴をつけ、周囲のカーテンをしめた。

 分厚いカーテンだから、点滴の影が外から見えることもないな。


「では、グロアさまは、わたくしがていますわね」


 ソフィア公女がベッドのそばの椅子に腰かけ、俺とイリスを振り返る。


「リンタロー、イリスさん。行ってらっしゃって!」


 その声に反応したかのように、グロア女皇の目がうっすら、開く。


「失礼ですが客には、くれぐれも、そそうのないように……」


{もちろんです!}


「なるべく、がんばるよ」


 俺たちの返事に安心してくれたのか…… グロア女皇の水色の瞳のうえに、まぶたが再び落とされる。

 とりあえずいまは、ゆっくり休んでくれ、グロア女皇 ――


 コンコンコンコン!


 3度め、かなり強くドアが叩かれたのを機に、俺とイリス 《グロア女皇の姿》 は外に出た。


「陛下、もうすでに、お客様が食堂ダイニングにてお待ちです」


{わかっているのです! それから……}


 イリス 《グロア女皇の姿》 は侍従に 『ソフィア公女をしばらくこの客室に滞在させる』 ことを伝える。


{あと、ついでに、ソフィアさんたちが滞在しているあいだに、国家工芸院の腕の良い職人を見繕ってくださいです。ピトロ高地の鳥人たちに、貸す約束をしたのです!}


「かしこまりました」


 ―― 国家工芸院の職人の件は、世界樹の雫をピトロ高地に自動転送する装置を作るためだから、俺たちには必須だったが…… いろいろあったのに、よく覚えていたな、イリス。

 それに、グロア女皇のしぐさをよく真似ている。

 口調はまだ少しイリスっぽいとはいえ、まあ、これなら、普通に誤魔化せそうだな……


{―― それから、こちらのリンタローさまも、会食に同席するのです!}


「かしこまりました…… では、ソフィア公女殿下のお夕食は」


{ええと…… あっ、ソフィアさんは疲れているのです! い、いまは寝ているので、あとにするのです}


「かしこまりました」


 ―― 観察する限りでは、侍従の受け答えも、普通だな。

 グロア女皇があれほど警戒しているところを見ると、この侍従がことは、ほぼ確定だろう。

 なのに、言葉遣いはもちろん、身のこなしにも表情にも、不審な点は見受けられない。

 俺はイリスにぼそぼそとささやいた。


「よほど訓練されたプロってことかな」


{なんのプロなんですか?}


「まあ、たとえば、誰かに頼まれたスパイだとか」


{それ、ありそうなのです}


「もしかしたら、暗殺者アサシンかもな」


暗殺者アサシンですって!?}


 俺とイリスは、少しさがってついてくる侍従には聞こえないほどの小声で、会話を続ける。


「まだ血液検査してみないと、確定はできないが…… グロア女皇のあの症状と心電図の波形、あわせて考えるとジギタリスの急性中毒症である可能性もあるんだ」


{ジギタリス?}


「こっちの世界にはないか? 日本ではキツネノテブクロとも言われていた、薬草なんだが……」


{うーん? 自家製ポーションの配合に入れてる人は、いるかもしれない?のです}


「いや、それ、よっぽど注意しないと、死ぬから!」


 この世界では、病気もケガも基本、ポーション飲んで寝とくだけだからな…… 薬草なんて、暗殺か怪しい商売にしか使わないんだろう。


 ―― やがて俺たちは、食堂ダイニングについた。

 食堂とはいっても、広めの個室に近い。前世でいうとフランスあたりの城にでもありそうな流線形のテーブルと椅子が、しゃれた雰囲気を作っている。グロア女皇のチョイスだろうか。

 俺とイリスはおしゃべりをやめ、なかに足を踏み入れる。

 待っていたのは、ひとりの客 ―― 


{あっ}


 その姿を見たとたん、イリスの口から思わず、といった感じの声が漏れた。

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