「―― どうぞ、雑事はすべて我々、下の者におまかせください、グロア女皇陛下。陛下には、お好きなパーティーをぞんぶんにお楽しみいただけることが、臣下の喜びでございます」
「有り余るお心遣いをありがとう、長官…… ですが、ォロティア義勇軍への対処はいままでどおりが良いでしょう。何度も言いますが、国としてあのような者たちを支援することは、なりません ――」
「…… ふあ…… ねえ、医官はまだなのか? このままでは、ソフィアねえ…… 公女が……」
軍部長官とグロア女皇の水掛け論が延々と続き、皇子があくびを抑えつつ侍従にたずねるなか。
俺と
作戦が成功するまで、敵に俺たちの存在を勘付かれるわけにはいかない…… 俺たちは、ただひたすら気配を殺す。
――
5ミリに満たないサイズのイリスたちはみんな、からだにぴったりとした忍者のようなボディースーツ姿だ。色は敵の服と同じ。変身ぶりが、とどまるところを知らないな。
―― しばらくして。
イリスたちは、さっそく、袖口に縫い付けられた毒針を外しにかかる。
まずは、毒針の糸を切るところからだ。
俺からみれば細い糸も、身長5ミリ弱の
みんなでギコギコ引きはじめた…… これ、敵にバレないか……?
見ているだけで、はらはらするな。
「―― 女皇陛下は、支援とおっしゃいますが…… 各国と協調し、ォロティア義勇軍を大陸から追い出すことも、お考えになっては?」
「それは…… 彼らは、単なる傭兵団ではないのですよ? もともと、この大陸において重要な役割を担っている存在でもあること ――」
グロア女皇は、
敵方の ―― 軍部長官と使用人たちの注意をそらすように、若干、言い争う声を大きくしてくれている。
俺も、なにかできるといいが…… 残念ながら、いま動くと敵に悟られてしまう。できるのは、出番を待ちながら見守ることだけだ。正直、もどかしい。
15分ほどたったころ ――
やっと、
毒針が、するっと使用人たちの袖口から落ち、それを床に
用を終えた
ぷりゅんっ
イリスは俺の隣で少女の姿に戻り、無言で俺に毒針を渡してくれた…… 侍従2人とメイド1人の袖口にそれぞれ1本ずつ仕込まれて、計6本。取りこぼしなしだ。
さすが、イリス。
俺も無言でイリスにサムズアップを送った。
―― この段階でも、まだ…… 茶色チョビヒゲ軍部長官と使用人たちは、俺たちをまったく感知していない。
グロア女皇に注目しているせいだろうか…… だが、ちょうどいい。
俺は、ひそかにカゲ太郎に目配せする。
―― 凶器さえ回収してしまえば、あとは簡単。
カゲ太郎のスキルで異層に敵ごと転移して軍部長官をガッツリと脅し、その野望を
カゲ太郎はかすかにうなずき、スキルを使おうと指をかまえた。
そのとき。
「まったく。
軍部長官が、いらいらと床を靴先で2度、けった。
これが合図だったらしい。
3人の使用人がいっせいに、皇子めがけて動き出す。
しまった…… やつら、まさか。
本気で皇子に危害を加えることすら、視野にいれていたとは……!
「どうしたことだ!?」
皇子の
計画どおりの異層転移だったはずだが…… タイミング、悪すぎる。
景色の歪みがおさまったとき。
部屋からは、グロア女皇の姿が消えていた。もとの
これは、予定どおりなんだが……
予定外にも皇子が、くっついてきてしまった。
ちょうど侍従たちに
「無礼者! はなせ!」
皇子がもがき、軍部長官がニタッと嫌な笑みを浮かべる。本性出してきたな。
幼い子どもを利用し、傷つけてまで力を得ようとするなんて…… 最低だ。
「陛下。お忘れかもしれませんが、この宮殿の人事もまた、我々軍部のほうでお世話させていただいていますので……」
軍部長官は、目の前にいないグロア女皇にむかい、遠回しの脅迫を、えげつなく続けている。
どうやら層を移動したことも知らず、己の悪役ぶりに酔っているみたいだな……
「陛下が、じゅうぶんにパーティーをお楽しみになれないようであれば、もっと
やっと、気づいたか。
軍部長官の表情が、変わる。
優位を確信していた者のそれから、慌て、戸惑ったものへと ――
そして、すぐ。
その表情は、さらに、本能的な恐怖でこわばった。
カゲ太郎が、音もなく隣に立ったのだ。
「なっ、なんだ、おま 「遅いですね」
カゲ太郎が軍部長官に手をかざす。
チョビヒゲについたホコリをはらってあげる。その程度の、気軽さで……
だがその手から放たれるのは、なにげない仕草からは想像できないほどの膨大な魔力……!
まずい。
俺は、叫んだ。
「よせ、カゲ太郎!」
「遅いですね」
―― たしかに、遅かった。
闇のような魔力が軍部長官の全身を覆い、それが晴れたあと……
そこには、灰白色の砂のほか、なにも残っていなかったのだ。
あまりにあっけない最期だった ―― 皇子を拘束したあと毒針がないことに気づき、なにげに慌てていた使用人たちが、あきらかに固まっている。
もちろん、俺とイリスもだ。
「殺した…… のか?」
{約束が違うのです……!}
「なにか問題が?」
カゲ太郎がわずかに首をかしげる。
―― いやまあ、ォロティア義勇軍に人としての倫理を求めても、しかたないのは知っているけどな……
なるべく冷静に説明しよう。
俺はそう、自分に言い聞かせた。
「相手がどんな悪人でも、殺人は重罪だろ? ましてや軍部のお偉いさんを城のなかで殺されたら、グロア女皇の立場が悪くなるぞ? カゲ太郎はまあ、ぎりぎり逃げられるかもしれんが…… グロア女皇の、ォロティア義勇軍への支援じたいは、見直さざるを得なくなるだろうな。それでいいのか?」
「…………」
トカゲのような目が、不思議そうに俺を見る。
俺は、間違ったことは言っていないつもりだが…… カゲ太郎には通じていないのか?
「義勇軍への支援は表向き、
「…… わかりました」
うっすらとカゲ太郎が笑みを浮かべる。
「ようは、知られなければいいのですね」
「そういう問題じゃ…… おい!」
一瞬だった。
カゲ太郎は、皇子を拘束する使用人たち3人の横に移動。いつのまにか手にしていた蛇剣で侍従の1人を突き刺す。引き抜きざま、つむじ風のように旋回。メイドの首を一刀で
首が床に落ちるより先に、それを蹴って高く跳躍。皇子を背後から羽交い目にしていた侍従の頭上に、到達する。
「おい、やめろ!」
俺の制止の声は、蛇剣が侍従の脳天を突き破るより、あとになった ――
なにが起こったのか、わからない。
そんな表情のまま、最後の男の身体が崩れ落ちる。
同時に皇子の身体から、ガクッと力が抜けた…… あまりの光景に、ショックを受けたみたいだな。
気絶した皇子を片手に抱きかかえて、カゲ太郎は音もなく着地した。
もう一方の手が、たったいま、できたばかりの3つの
闇があたりを覆い、そのあとには ―― 髪の毛の一本すらも、残されていなかった。
あるのは、灰白色の砂の山ばかり。
これが数分前まで人間だったとは…… その光景を見ていてさえ、信じがたい。
{ひどいのです……}
イリスがつぶやく。
俺は、奥歯をかみしめた。
カゲ太郎を信用したつもりは、なかったはず ――
なのに、すっかり油断してしまっていたのだ。
グロア女皇の利益を損なうことはしないだろうと……
勝手に、思い込んでしまっていた。
俺の傲慢と甘えが、導いてしまった結果だ…… その落とし前は、俺がつけなきゃな。
カゲ太郎は淡々と説明する。
「これで皇子の記憶さえ消せば、彼らは、単なる行方不明です。
「ああ、そうだな……」
「わかっていただけたようで 「《縮小化》!」
俺はカゲ太郎にできた隙を、見逃さなかった。
すかさず、スキルを発動…… だが、しまった。
避けられた。
かわりにカゲ太郎の背後の壁に、
壁が縮み、天井が崩れ、落ちてくる……!
―― 《縮小化 解除》!
ふう…… なんとか、止まったな。
「《神生の大渦》」
俺は念のためにガラスドームでバリアーを張る。今回は強化ガラスに、さらにワイヤー入りだ。ちょっとした攻撃では、砕けないだろう。
「どうやら、あなたは
俺は 《超速の時計》 をカゲ太郎に向けてみたが、不意打ちはまたしても失敗。避けられる。
そして、その代償は。
強烈な、魔力攻撃 ――!
{リンタローさまっ!}
ワイヤー入り・強化ガラスのバリアーが、一瞬で崩れ去った。