どぉぉぉぉぉおおおおんっ
カゲ太郎の右手から放たれた純粋な魔力が、黒い岩盤を砕く。
崩れた魔石は、カゲ太郎の足元に集まり、吸い込まれるように消えていく ――
俺たちはその様子を、崩れずに残った岩の陰から眺めていた。
ミリンは怒って全身をぶるぶる震わせ、そんなミリンを抑えるミアの手も同じく、震えている。ふたりにとっては、祖先の遺骸が
「転移陣か…… ォロティア義勇軍の管理する倉庫にでも、魔石を送っているんだろうな」
「なら、話は簡単だな。余がちょっと行って、その倉庫ぶっ壊してくる 「今は、やめなさい」
ミリンは、いまにもカゲ太郎の前にとびだしそうだ。そのたてがみを、ミアがつかんで引き留めた。
{じゃあ、とりあえずわたしが、ぷっぴゅんしてくるの 「ちょっとまて、イリス」
いまにもカゲ太郎の顔面にとびつきそうなイリスを、俺が止める。
「あの男、前に
{だって、このまま逃げられちゃったら、ダメなのです!}
「イリス
たてがみをミアにつかまれたままのミリンが、手足をジタバタさせて主張する。
「このままでは、あいつの独り勝ちなのだ!」
「もちろん、そんなことは、させません」 と、ミア。
俺も、うなずく。
「だが、策を練るに越したことはない…… まずは、こんなのはどうだ?」
俺は、アイテムボックスから例のブツを、取り出した ――
∂º°º。∂º°º。∂º°º。
魔でなかったから、棄てられた。
人でなかったから、殺された。
何者も…… 助けては、くれなかった。
―― やり場のない怒りを、カラヴァノは淡々と、黒い岩盤にぶつける。
部族のなかでも図抜けて強かった魔力…… そのうちの、わずかなひとかけ。
それだけで、爆発音とともに岩が崩れる。
―― この力をなぜ、部族を守るために使えなかったのか…… 違う。
守ろうとしたのだ。
だが、それが間違いだった。
守るのではない。
殺さなければならなかったのだ。
敵を徹底して
優しさや理性は悪だと、当時の自分は知らなかった。
理不尽には、なぜと問うのでも話し合うのでも、糾弾するのでもなく。より大きな理不尽で
甘かった、甘かった、甘かった……!
―― 自責の念は、幾倍にも増して、あらゆるものへの怒りを生む。
怒りは力だ。尽きせぬ力の泉だ。
だからこそ、カラヴァノは己の強さに自信を持っている。
ボスから信頼されているのも、この強さゆえ。
強くあれ ―― カラヴァノは己に言い聞かせる。
怒りを、絶やすな。
あらゆるものを、憎み続けろ。
そうして得る力を、今度はボスと義勇軍のために使うのだ。
このどうしようもない
―― 妙な赤い霧が流れてきたのは、そのときだった。
∂º°º。∂º°º。∂º°º。
しゅぅぅぅぅぅぅ……
俺が特殊スキル 《九重錬成》 で、作業に集中している
そこから流れる臭素の霧が、やつの周囲に充満する。
臭素ガスは以前に船のなかで大量に錬成しておいたものだ ――
「…………っ!」
カゲ太郎が少し咳き込み、あわてて顔を黒い布で覆うのが、見えた。
カンと反射神経は相変わらず、鋭い。
気絶するまで臭素を吸い込んだりはしてくれない、か……
「だが、いつまでもつかな?」
「完全に悪役台詞だな、リンタローよ!」
{なにを言ってるのですか、ミリンさん! リンタローさまは、いいひとなのです!}
うんまあ、それはどっちでもいい。ともかく。
―― 坑道のなかはせまく、出入り口はひとつだけ。
竜神族のミアたちにも、魔族のイリスにも臭素は効かない。俺はフルフェイスマスクをして防御している。
だが、いくらカゲ太郎とはいえ、布では臭素を防ぎきれない。死なない程度に濃度を調整してあるとはいえ、吸い込み続けると危険だ……
カゲ太郎もそれを察知したのだろう。
不機嫌な表情で、指を鳴らす。
異層転移の合図だな ―― いまだ。
ぷにゅにゅにゅにゅっ
カゲ太郎の足元にそろそろと近づいていたイリスが、俺たちとカゲ太郎を包み込むように、一気に広がる。
一瞬後。
ゆらり、と空間が揺れた。
「よし、巻き込まれ転移、成功」
「ここが異層なのか!? もとの場所とまったく、違うではないか!」
ミリンが、きょろきょろとあたりを見回す。
ミリンの言うとおり ―― 黒い岩盤の坑道ではなく、白っぽい地層の壁が、はるか上までそそり立つ渓谷だ。ところどころ虹色に光って見えるから、もともと彩銀の鉱石が含まれている地層なのかもしれない。
ミアが、目を細めて空を見上げた。雲ひとつない青空 ―― これも、この異層ならではだろう。
「いいえ…… 場所は同じですね。ただ、我々の祖先の墓場ではない…… と、いったところでしょうか」
{ですね、ミアさん! すごい断崖絶壁なのです!}
ぷぴゅんっ
しゃべりながらもイリスは、プロミネンスを思わせる白い光輪を持つ武器へと変身し、俺の手に収まる。
これで、カゲ太郎が臭素のダメージから抜けきらないうちにエネルギーを吸いとり、さらに、あらかじめ錬成しておいた
同じく錬成しておいた魔力制限装置をつけたうえで、縮小化しワイヤー入り強化ガラスのスノードームに閉じ込め、しかるべき場所に引き渡す ―― という作戦である。
ちなみにわざと異層に巻き込まれ転移したのは、ミアたちの祖先の遺骸を、これ以上に戦闘で傷つけないようにするためだ。
―― 今のところは、作戦どおり。
さすがのカゲ太郎も、臭素には耐性がなかったようだ。喉ばかりでなく、目もやられたらしい。
目を押さえたまま、咳き込み続けている ―― いまのうちだな。
「イリス、頼む」
{了解なのです!}
イリス 《スダーシャナ・チャクラの姿》 は俺の手を離れ、くるくる回転しながらカゲ太郎へと向かう。
まるで地上に小さな太陽が現れたかのようだ…… が。
突如として伸びてきた黒い無数の触手が、飛んでいた太陽を絡めとる……!
{あ……! しまった! の、です……!}
「あなたがたでしたか」
ゆらり、とカゲ太郎が立ち上がる ―― そのシルエットは、俺が見知っている
左腕の付け根から、闇そのもののような色合をした無数の鞭が重力に逆らって伸び、生き物のようにうねっている……
そのうちの十数本がイリスをとらえたのだ。
生態エネルギーや魔力とはまったく別の原理で動いているのか。それとも、チャクラの能力を抑えられてしまったのか……
鞭の勢いは、まったく衰えない。
「イリスさん!」 「
{……っ あ…… あ……}
ミアとミリンが叫ぶように呼ぶなか、イリスの変形が解けていく。
{ううっ…… 心配、しないで、です……っ}
「わかってる」
カゲ太郎の義手がこうなるのは予想外だった。
だが、こっちも、やられっぱなしではない。
実のところ、たんに締めつけるだけではイリスにはダメージはないのだ。スライムボディーは、人間とはまったく構造が違うからな。
イリスは少女の姿ではなくスライムの姿になれば、鞭の束縛を、容易にすり抜けられる。それをしないのは……
身を
ならば、俺のすべきことは ――
「《魔力吸収・多層CNT網》!」
予定どおりにアイテムボックスから引き出した網を、カゲ太郎にかぶせるだけ。
「…………っ!」
カゲ太郎の顔が、
こうくるとは、思わなかったか……? だとしたら、甘かったな。
「覚悟するんだな。動けば動くほど絡みつき、魔力を吸収する仕様だ。糸がけっこう硬いから、おとなしくしとかないと皮膚もざっくりいくぞ」
「卑怯な……!」
「きみみたいな強いやつと闘うのに、卑怯もクソもあるか」
俺はカゲ太郎に近づき、特製の魔力制限装置を網の上からつける。
「イリス、そろそろ大丈夫だ。ありがとう」
{どういたしましてです!}
少女の姿が徐々に溶け、触手をすり抜けて網の外へと流れ出す ――
カゲ太郎はイライラと舌打ちを繰り返しているが…… さすがのこいつも、現状では舌打ち程度しか、できることがないよな。
{じゃあん! 縄脱け、完了! なのです!}
「お見事です」 「ふっ、ざまあだな!」
ここまでくれば、あと一息。
カゲ太郎を縮小化し、強化ガラスドームに封じるだけ ――
だが、このとき。
俺の目の前では、またしても、致命的に予定外のことが起こり始めていた。