ぱっと見、イリスは普段と変わりない…… そうだよな、いくらカゲ太郎の触手でも、
わけ…… ないよな?
「まさか、あれ。イリスの
{え、ええと、ですね…… 実は、その……}
「え? まさか!?」
{面目ないのです……!}
「いや、申し訳ながってる場合じゃ、ないだろ!」
{だって、変身とか分裂とか増殖とかが…… できなくなっちゃうのです! リンタローさまに恩返しが、シュリーモ村の秘伝の方法でしか、できなくなっちゃうのです……! ぴええええ……}
「この期に及んで、そっちで泣くの!?」
そうか ―― 以前のような
だが、もちろん、危険であることには代わりない。
いっぽう、空の上では ――
龍体になったミリンがふたたび、炎を吐こうと身構えている。
『消えよ、卑怯者め……!』
「こらっ、逆鱗!」
ミアが手を、ミリンに向けてかかげた。
指先から、雷撃がほとばしる。鋭い光が空間を切り裂き、龍の口の横をぺちっと叩いた。
「攻撃をやめなさい」
『だって、おや! イリス
「おまえが攻撃すると、彼女がより危険な状態に置かれることになるのが、わからないんですか?」
『はあい……』
ミリンの炎が、やんだ。
ミアは、今にも殺しそうな目でカゲ太郎をにらむ。
「条件は、なんですか?」
「はて? 身共が、あなたがたとの交渉などに応じる必要が、いったい、どこに?」
「おまえは、この渓谷の
「奪えばいいだけのものに、交渉する価値が、あるとでも?」
「……っ」
ミアが
「安心しなさい、龍よ。スライムの
「笑止」
不意打ちを狙った俺の 《超速の時計》 による攻撃は、あっさりとかわされた…… この程度は、予測済みだ。
本来の俺の狙いは、こっち。
「《九重錬成》 ―― 多層CNTヤーン網!」
カゲ太郎の周囲に俺は複数の錬成陣を展開する。
まるで錬成陣から湧き出るかのように、黒い
今度は魔力吸収機能をつけていないため、網が燃える心配はない。
だが問題は、これで拘束しても、カゲ太郎は魔力が使えてしまうということだ。
「返礼がわりに、どうぞ」
カゲ太郎の触手から、魔力でできた無数の黒い弾丸がとぶ。
「《神生の大渦》!」
俺は再度、強化ガラスでバリアーを張った。
弾丸は、二重のバリアーで完璧に防げている…… だが。
数が多すぎて、前がまったく見えない。
弾幕で塞がれた視界の向こうで、ややしゃがれた声が 「では、そろそろ」 と言った。
「
「逃がすか……!」
俺は網をひきしぼる。
魔力吸収機能がなくても、鋼より硬い糸で作られた網だ…… 少しでも動けば、肌にくいこんで抜け出られなくなるはず。
だが…… 手応えが、ない……? まさか、また……
嫌な予感に、背筋が冷たくなる。
―― 予感は、的中してしまった。
弾丸が尽き、視界が晴れたとき ――
カゲ太郎の姿は、転移陣のなかに消えていくところだったのだ。網で束縛されても転移できるとか、聞いてない。
「イリスの
俺は転移陣に走り寄り、カゲ太郎に手をのばす…… 空振りだ。
影のようなその姿はもう、半透明の心核とともに、すっかり消えてしまっていた ――
∂º°º。∂º°º。∂º°º。
『デジマ付近の海上で、いいですか?』
「ああ。助かるよ」
渓谷からの戻りは、龍体になったミアの背に乗せてもらうことになった。
ミリンも一緒だが、龍化したミアの逆鱗の位置にはおさまらず、人間の姿のまま俺とイリスについてくれている。
龍になったミアの全長は、なんと約5km。
ここノルドフィノ高地からヤパーニョ皇国のデジマ付近までは、わずか10分ほどらしい…… 船なら10日かかるのに。
でかすぎ、かつ速すぎで、俺たちはウロコの陰に隠れ、ワイヤー入り強化ガラスドームで強風を防いでいる状態だ。
ちなみに、なぜデジマまで行ってもらうことになったかというと。
うちの 『
カゲ太郎は、イリスの
つまり、ォロティア義勇軍はヤパーニョ皇国内に逃げ込んで再起をはかってる、ってことか……
残念ながら、詳しい位置はヤパーニョ皇国の鎖国結界に
余談ながら、検索するまえは 〔イッツァ・ピースォブケイク! カンタンねー!〕 とドヤっていたウィビーは、それが明らかになったとたん。
〔ひゅーひゅーひゅー〕
機体をくにゃんと明後日のほうを向きながら、口笛音を出したのだった ――
『もうすぐつきますよ』
複雑な形の海岸線も、遠くに見えていた立派な山脈も、あっというまに通りすぎ、下が海しか見えなくなったとき。
ミアの高度がぐっとさがり、俺たちはすさまじい水しぶきを上げながら、海面に着水した。
ミアは龍の姿のまま身をくねらせ、波をわけて泳ぎ、俺たちをデジマ港へと運んでくれる…… 桟橋が近づくにつれ、岸辺にたくさんの人が集まってこっちを見ているのが、わかった。
俺たちは、かなり目立ってしまったらしい。
桟橋で降ろしてもらい、人間の姿になったミアをロープで引き上げたときには。
俺たちはすっかり、ヤパーニョ人らしきみなさんに取り囲まれてしまっていた。
そのネーミングから、昔の日本ぽい国なんだろう、と予想していたが…… 正解だ。
ニシアナ帝国やドゥート皇国あたりの人間の服装をした者も多いが、和風の着物の人間もかなり多い。
こんなところで、明らかに竜神族のミアやミリンは、どう思われてしまうんだろう……
―― その答えは、すぐに明らかになった。
「どけ、どけ!」
前世の時代劇で見る、お偉いさんが乗るような紋付きの
駕籠についてきた役人ふうの男が、ミアとミリンの前にひざまずいた。
「竜神様! どうぞ、お乗りくださいませ。御奉行様がお待ちです」
どうやら竜神族は、ここヤパーニョ皇国では崇拝対象であるらしい。
もっとも、ミアとミリンは、あからさまに引いているが。
「おや! どうするのだ、これ?」
「ちょっと逆鱗、…………」
ミアがミリンになにかささやき、ミリンがうなずく。
次の瞬間。
ミリンは龍の姿になり、天高く駆け上った。青い鱗が陽光にきらめき、たてがみが風になびく。
人々から歓声が上がった……
ミリンの姿はそのまま、空に吸い込まれるようにして見えなくなった。
俺はミアに、こっそり尋ねる。
「ミリンだけ、帰らせたのか?」
「いえ…… ドゥートに贈る 『魔石』 をことづけました。ここから、長くなるかもしれないので、先に」
「ミア……」 {ミアさん!}
俺とイリスの声がかぶる。
―― 俺たちがもともとドゥート皇国から魔石採掘の交渉にやってきたことは、ヤパーニョに
ただし 『採掘するつもりは、もうない』 という意思表示とともに、だ。
魔石の鉱脈について、せっかく調べてくれたソフィア皇女にも、期待して任せてくれたドゥート皇国のグレア女皇にも申し訳ないが…… やはり竜神族にとって大切な場所は荒らすべきではないと、俺は判断していた。
無理に採掘しようとして龍の怒りを買ったら、まず生きて帰れないだろうしな。
だから、ミアたちが魔石を贈ってくれるなんてことは、考えもしなかった……
「さほど友好に満ちた話ではないんですよ。ミリンには、きっちりドゥートの女皇を脅しておくように言っていますから」 と、ミアは肩をすくめてみせる。
「差し上げたのは、リンタローたちが世界樹の雫転送装置を作るのに必要と、聞いたからですよ。
それに、差し上げるのは、当面、魔族やエルフとの魔石取引に関する交渉が成立するまでに必要なぶんだけです」
「それでも、当面、ドゥート皇国も俺たちも助かる…… 感謝しても、しきれないな」
{そういうときは、恩返しなのですよ、リンタローさま!}
ミアはふっと、金色の目を和ませた。
「それなら、まず、イリスさんの
「そうだな。義勇軍はヤパーニョで再起をはかるつもりらしいが、そうはさせない」
{もちろんなのです!}
イリスがぷにゅっと握りこぶしを固めたとき。
駕籠を先導してきた役人が 「あの。まことに恐れ入りますが」 と、ふたたび声をかけてきた。
「なにとぞ、駕籠に乗っていただけませんでしょうか…… 竜神様を丁重にお出迎えするよう、奉行から命じられておりまして!」
「…………」
ミアはしばらく考えたすえ、うなずき、駕籠に乗り込んだ。
「この際ですから、現地の権力者にも協力してもらうのが効率的ですね」
俺とイリスは駕籠を断り、チート能力でミニバンを出して駕籠のうしろにつく。
役人と駕籠かきと野次馬のみなさんが、見慣れない自動車に漏れなくびっくりしているが、これも計算のうち ――
{では! 出発なのです!}
イリスの掛け声とともに、駕籠+ミニバン、というハタから見れば珍妙な行列は、ゆるゆると動き出したのだった。
(第6章・了)