夜更け ――
イエツネはふと、目をさました。隣で眠っているはずの側室の、気配がない。
「オツタ? いないのか?」
イエツネは、手をのばし、並べられた布団のなかを探った。やわらかく、あたたかな身体を探す。
それは幼児が母親を探す仕草にも似ていた。
―― ヤパーニョ皇国はトクダイラ家代6代目将軍であるイエツネは、神経質で怒りっぽく疑い深い男だった。
幼少時より、他の兄弟を後継者に推す者たちからしつこく暗殺者を差し向けられては九死に一生をくぐり抜けてきた…… その経験が、彼の前頭葉を
そのため、夜も深く眠れる
そんなイエツネにも、すべてを委ねて安心できる女性がいた。
側室のオツタだ。
もともとはイエツネの母の侍女であったオツタは、イエツネが幼いころからなにかと彼の世話を焼いていた。
その機転で彼を殺される運命から救ったことは、何度もある。
つまりオツタはイエツネにとり、キレイで優しい近所のお姉さん、といったポジション ―― イエツネは若くして将軍になったあと、周囲の反対を押しきりオツタを無理やり側室に迎えた。
そしてオーエド城内にオツタのための御殿を新築させ、そこに入り浸っていたのである。
「オツタ……?」
イエツネはのばした手を動かし、彼女の身体をなでた。ぬくもりはある。
だが、どうも、ようすがおかしい。
オツタはイエツネの手に、ぴくりとも反応しない。そればかりか、寝息すら、まったく聞こえない……
「オツタ、起きよ…… どうしたのだ?」
いやな予感を必死に打ち消しながら、イエツネは身を起こした。
そして、気づく ―― その枕元に、人の気配をまとわない、黒い闇がたたずんでいたことに。
ひッ……
悲鳴が喉をついてとびだそうとするのを、イエツネはなんとか呑み込んだ。
「なにもの……っ」
枕元の刀をとり、ひき抜きざま、かすれた声でどうにか、問う。
だがイエツネがその答えを聞くことは、生涯、なかった。
「…………」
音もなく。
黒い闇から繰り出された細く長い針金が、イエツネの心臓を鋭く貫いていた。
―― まさか。まさかまさかまさかまさか…… まさかっ…… この、俺様が……!
こんな、ところで……
誰かもわからぬ、ものに……!?
「オツタ……」
イエツネは、寵愛する側室の上に、崩れるように倒れ伏す。
そのさまを、オツタの開いたままの瞳が、うつろに眺めていた ――
次の瞬間。
黒い闇が、崩れた。
ぷっぴゅん! ぷっぴゅん!
2体のスライムが、円窓の障子を透かす月のあかりのなか、鈍い輝きを放ちながら飛び出す。
あとには、黒々とした人の形の闇 ―― その闇に向かい、2体のスライムはすがるように問いかける。
{……様っ!} {ほんとうに、◎△$§>∞の
「…………」
闇は、かすかにうなずいたようだった。
2体のスライムもまた、互いに顔を見合わせ、決意したようにうなずく。
ぷるっ、ぷるるるっ…… ぷるるっ、ぷるぷるぷるっ……
ぷるぷるぷるっ、ぷるっ…… ぷるっ、ぷるぷるっ……
2体のスライムのゼリー状の身体が、細かく震えだした。
震えながら、スライムたちはしだいに、その色と形状を変えていく ――
数十分後。
{オツタ} {はい、イエツネさま}
倒れ伏したふたつの遺骸にそっくりなふたりは、人の形をした闇に、問いかけていた。
{{これで、いかがでしょう?}}
「…………」
闇は、ひとつうなずき、遺骸に手のひらを向ける。
瞬間、紫色の光が雷のように閃き、将軍と側室だったモノを包んだ。
{{…………っ!!}}
あまりの眩しさに、擬態を終えたスライムたちは目を閉じる。
彼らがふたたび目を開けたとき ―― そこには、2つの遺体も闇もすでに消え、きらびやかな極彩色の
∂º°º。∂º°º。∂º°º。
朝 ――
はぁぁぁ……
オーエド城中奥へと向かう廊下を滑るような足取りで進みつつ、老中・ホリダは内心のため息を押し殺した。
しごと休みたい。お城いきたくない。
それが、ホリダの本音である。
たとえ幕府の最高幹部たる老中だって、サボりたいときはあるのだ。
―― 将軍イエツネは、ひとりの側室に入れこんではいるが、政務をおろそかにしているわけではない。だが……
政務なんかに中途半端に関心もたず、
というのが、総じて老中たちの本音であった。
―― やりたい放題の無能ほど、やっかいなものはない。
新御殿の建築費をまかなうために貨幣を大量発行させてインフレを引き起こしたかと思えば、大名の領地の入れ替えを命じて諸藩から不満を噴出させる。
領地入れ替えは、建前は幕府の警備体制強化のためだったが、本音はオツタの親族に領地を与えるため…… 誰から見ても明らかすぎて、しらける。
そのうえ 「オツタが 『鞭打たれながら働く馬や牛がかわいそう』 と涙ぐんだから」 みたいな理由で、動物使役禁止令まで出されてしまった。おかげでこれまで馬力や牛力に頼りきりだった流通や耕作が滞り、職をなくして浮浪者となった
牛馬がかわいそうと思うなら、お前がその手で田畑を耕してみろや、とツッコみたい。まじで。
―― このままではトクダイラ家の御世も終わってしまう。
危機を感じ、切腹を覚悟で
その後、謹厳実直な人だった彼は将軍を暗殺しようとした犯人として処理される。彼の家は取り潰され、妻子は城の桜の木に縛りつけられて、鉄砲のマトになった。
以来、将軍イエツネに意見する者は、だれもいない。
賢い者たちは、相次いで病気になり、さっさと辞表を出して国許へと引っ込んでしまった。
しかし、ホリダとほか数名の者は、要領の悪さや妙な責任感でもって、逃げ遅れたのだ。そして毎日、鉛のように重い気分と両手足をひきずりながらオーエド城に出勤している。万が一のときのため、遺書もすでに用意済みだ。
そんなこんなで、最近はまったく仕事の意欲がわかないホリダであったが……
どこかに消え失せていたやる気は、こののち急に舞い戻ってくることとなる。
登城後の御前会議にて ――
将軍イエツネは相変わらず側室のオツタをそばに
{貨幣をもとにもどし、物価の安定をはかります}
{大名の領地入れ替えは中止、諸藩からの信頼回復に努めます}
{動物使役禁止令は廃止。代替案としてドゥート皇国の
また動力
{来る大厳臥龍祭では、私が直々に龍穴に参り神事を行います。手配しておくように}
―― なんか (最後のほうの一部をのぞき) いきなり言うことがまともになって口調と態度が丁寧になって一人称も 『俺様』 でなく 『私』 で、ついでに声もかわいらしくなっていて、しかも、なんとあのオツタが1回も口を挟まずにおとなしくしているけれど。
そんなの関係ない。
とにかく、主の気がかわらぬうちに、一刻も早く、もろもろのことを、やってしまわなければ ――
「「「「ははぁぁぁぁっ!!!!」」」」
ひれ伏す老中たちの耳には、将軍イエツネと側室オツタがこそこそと相談する声は、届いていなかった。
{これで、ぜんぶでしたね} {そうでしたよね}
{あのかた、なにをたくらんでるのか……} {わかりません。けど、私たちはとにかく、◎△$§>∞の
{そうですね} {そうですよ}
―― リンタローたちがデジマに到着する、ほんの少し前のことであった……