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第二話 事件現場は廃墟なり

「僕の本業は、自分史の代筆家――つまり、ゴーストライターを生業としている者でして」


 黒葛川幸平は語る。


 自分史とは、依頼人の人生を作品として執筆し、形に残すこと。


 芸能人や大企業の社長から犯罪者まで。忙しかったり文章力がなかったりする人の代わりに自分史を書くのが彼の仕事らしい。


 私はその説明に少し驚きつつも、興味を抑えきれなかった。


「そんな仕事があるんですね。失礼ながら、知りませんでした」


「ええ、あるんです。つまり、まあ、そういうわけですので、怪事件解決を僕に期待されても困るわけですが……」


「またまたぁ」


 そのとき瀬沼さんが飲み物を運んできた。


「そんなことを言って、いつも事件に首を突っ込んで、ずばっと解決しちゃうじゃないですか。はい、アイスコーヒーをどうぞ」


「参ったな……」


 黒葛川幸平は頭をかき、アイスコーヒーをすすると、私に目を向けた。


「結果的に事件解決になることは多いです。殺人犯や詐欺師の自分史代筆でも、ギャラさえ貰えれば執筆するのが僕のポリシーでして。それで自分史の謎を調査したり、あるいは依頼者が関わった事件について調べたりしているうちに謎が解けることもありますが、それはついでのようなもので」


「ついででも構いません。どうでしょう、滝山万年筆先生の自伝を代筆してくださいませんか。著名人の自分史ですから、世間に需要もあると思います。私もお手伝いします。尊敬する人の自分史を読んでみたいですから」


「確かに興味はあります。謎に満ちた事件ですからね」


「でしたら……」


「ですが佐野さん、やはりだめです。僕が自分史を書くのは、ご本人か家族からの依頼と決めているんです」


 私は一瞬言葉に詰まった。


「えっ。亡くなった人でもですか?」


「むろん、そうです。誰かの人生をほじくりだし、墓の下の秘密まで暴いてしまうのですから。遺族の依頼なら考慮しますが、それ以外は基本的にお引き受けできません」


 そんな……。困った。


 瀬沼さんに助けを求めるように視線を送るが、彼女も困った顔で肩をすくめるだけだった。


 事件の話はここで終わりか?


 いや、それはできない。


 私は意を決して訴えた。


「黒葛川先生、私は滝山万年筆先生の大ファンなんです。映画の考察、文学の知識、ユーモア、哀しみを知る人間性、すべてが大好きなんです。そんな人が殺人事件に遭い、しかも謎が解けぬまま事件が迷宮入りするなんて耐えられません。警察もあてになりません。どうかお願いします。……そうだ、もし万年筆先生の自分史が完成したら世に出さず、私にだけ見せてもらえませんか? それならば、秘密を暴くことにもならない。……原稿料は私が払います。死んでも払いますとも」


「さ、佐野さん、大丈夫ですか? そこまでするほどなんですか」


 瀬沼さんが心配そうに言う。


 私は実家暮らしで、しかも無職だ。金銭的には余裕がない。


 しかし、この気持ちは決して譲れなかった。


「……その熱意、確かに受け取りました」


 黒葛川幸平が大きくうなずいた。


「驚きました。万年筆先生は幸せ者ですね、こんな熱いファンがいて。分かりました。自分史代筆については後で考えるとして、まず事件の調査のみ引き受けましょう」


「おおっ! ありがとうございますっ!」


 私は天にも昇る心地で、彼の雌雄眼を見つめ、何度も頭を下げた。


「ただし、解決できるかは分かりませんよ。僕は探偵じゃないですからね、ははっ」


「ええ、それでもいいんです。事件に取り組んでくれるだけで私は嬉しい。……さあ、事件簿のスタートですよ。なにから始めますか? 警察署に行きますか!?」


「まずは事件現場を見に行くことですね。でもその前に、アイスコーヒーを飲み終えさせてください。そのくらいの余裕はありますよね?」


「あります。無論ありますとも」


 彼の言葉に、私は大きくうなずいた。


 それから三時間後、私と黒葛川幸平は滝山万年筆が亡くなった廃墟の前に立っていたのである。



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