2024年2月5日:『終わらない絶望、いつまでも推理』
映画『終わらない絶望、いつまでも推理』を鑑賞。
この映画、未解決事件という重いテーマを扱っているのに、結局何も解決しないまま終わるのがモヤモヤする。ミステリーとしての緊張感は最初の方では感じられたけど、中盤からダラダラと冗長になってしまって、観客を引っ張る力が弱い。登場人物の掘り下げも中途半端で、感情移入しづらいまま事件の謎だけが宙に浮いてる感じだ。
映像は雰囲気があって悪くないけど、それだけで二時間持たせるのは厳しい。結末がオープンエンドなのは分かるけど、もう少し何かしらの手がかりや示唆が欲しかった。結局、『未解決』ってテーマを言い訳にした中途半端な作品にしか見えなかった。星二つ。
綾人はすぐに黒葛川幸平のほうへと向き直り、
「そういうことだ。これで気は済んだかい? これ以上のことは、おれはなにも知らんぜ、じゃあな」
「ああ、どうも――あれっ、焼肉はいいのですか? 今夜でもよろしければ奢りますが」
「別日にしてくれ。今夜となると、そこのうっとうしいのがついてきそうだからな」
綾人は杏奈をあごで示す。杏奈は「ついていくかよ」と吐き捨てるように言ったが、綾人は信じられないと言わんばかりにかぶりを振った。
「残念ですね。まあ、それではまた後日に。……ああ、綾人さん、最後にもうひとつだけ質問が」
「まだあるのかよ。なんだよ」
「廃墟の裏口には、南京錠が掛かっていますね。あれはいつ頃から掛かっていたものかご存じですか?」
綾人はそのとき、はっきりと目を見開いて、
「知らね。あんなところ、いつも見てねえから」
そう言うと、家の中に入っていった。
私たちは、綾人が立ち去ったあとをしばらく見つめていたが、
「まあ、聞きたいことはおおむね聞けました」
と、黒葛川幸平が言った。
すると、杏奈は低い声で、
「はあ、相変わらず無愛想で態度の悪い先輩だな」
そんなことを言う。
あなたもかなり態度が悪かったが、という言葉が喉から出かけたが、こらえた。耐えた自分を誰か褒めてほしい。
「ま、あたしはあのひとのこと好きじゃないし、あっちもあたしを嫌いだろうなあ」
「いや、しかしですね、音無さん。傍から見ていましたが、あなたのほうがひとつ年下なんだから、少しは我慢することも大事なのでは――」
と、鬼塚刑事が体育会系らしい一言を告げたが、
「三十歳にもなろうかってのに、まだひとつ程度の年上年下で我慢しなきゃいけないわけ? そういうのがハラスメントってことに気づけよ、警察!」
彼女は吐き捨てるように雄叫びをあげると、自宅に向かって突っ走り、そのまま家の中に入ってしまった。
「……なんだい、あの態度……」
鬼塚刑事は、怒るというより呆れてしまっているようだった。
黒葛川幸平でさえ、コメントに困るという顔をして無言である。
いまの杏奈の態度は、私から見ても問題があった。そもそも初対面の私たちを前に、反抗期みたいな苛立ち感を常に漂わせている杏奈。鬼塚刑事の言う通り、一学年上の先輩を相手に無礼な態度を取り続ける杏奈……。
鬼塚刑事は、いまになって怒りが湧いてきたのか、不愉快そうに眉根を寄せて、
「父親とも近所の住民とも仲が悪いようだが、そんなに気に入らないなら、さっさと実家を出てよそに住めばいいんだよ。それこそ三十歳にもなろうかって大人が」
「まあまあ、鬼塚刑事。いろんな人がいますから。ひとまずここは引きましょう」
黒葛川幸平が鬼塚刑事をたしなめる。
それで私たちは、この場から立ち去る、という空気になったのだが――
「ちょっと待ってください」
と言って、私は手帳を取り出すとペンを忙しく走らせ、そして字を書いた部分の紙をちぎってから、音無家のポストに投入した。
私の電話番号とラインのID、そしてメッセージを書いたのだ。事件についてまた気付いたことがあったら教えてほしい、という旨と、もうひとつ。
――滝山万年筆のブログを見てください。今回の事件で亡くなった方なのでご存じかもしれませんが、できれば記事を全部見てください。きっとなにか、心に響くものがあると思います。私はこのブログの大ファンでした。
こう書いた。
私には、杏奈の鬱憤(うっぷん)が理解できるのだ。
私も実家暮らしで、実のところ、無職である。
大学を出たが、どんな仕事も人間関係でうまくいかず、退職してしまった。
爆発してしまいそうなほどの怒りと、自分に対する失望感。誰彼構わず、激情をぶつけたくなってしまう、あのやりきれない気持ち。
良くはない。決して良くはない。三十歳にもなろうかという立派な大人が、他人に感情をぶつけまくって不愉快にさせる様は、まったく問題だらけで、鬼塚刑事が怒るのも、本当にもっともだと私も思う。
だがそれでも、理解できてしまうのだ。間違っているのは分かるが、その間違いまで含めて、私は杏奈の苛立ちに共感してしまうのだ。
だから滝山万年筆のブログを教えた。あのブログは映画や小説の批評をするだけではない。批評の向こうにある人間の愛や悲しみをとらえて、言語化してくれている。社会に居場所がない人間に向けた、絶対的な共感性がある。
滝山万年筆のブログを読んで、あるいは杏奈が、少しでもその共感性に気付き、心が共鳴する瞬間があるのなら――
私はそう思ったのだ。
信者が推しのことを布教している、と言われたらそれまでだが。
それに――なんというか、惚れた弱み、というか。
杏奈の笑顔と、横顔の儚さに、私は正直、好意を持ってしまった。
あんな性格の女性によくもまあ、という声も聞こえてきそうだが、しかし仕方がないのである。好きになったものは、好きになってしまったのである。
できれば、滝山万年筆のブログを杏奈に読んでもらって、感想をぶつけ合いたいものだ。
「佐野さん、音無さんに手紙を送ったのですか?」
黒葛川幸平が、キョトンとした顔で私に尋ねてくる。
私はうなずき、滝山万年筆のブログを布教したことを彼に伝えた。
もちろん、杏奈のことが好きだとは言わなかったけれども。
黒葛川幸平は、ちょっと考えるような顔をしたあとで言った。
「分かりました。万年筆先生のブログ、杏奈さんが気に入ってくれるといいですね」
「まったくです。……さあ、次に行きましょう」