2024年2月6日:前日からの続き記事 未解決事件について
俺は未解決事件が好きだ。
なぜかと言うと、それは、やっぱり人間の好奇心をこれでもかってくらい刺激するからだよ。解決した事件はさ、結末が分かってるから安心して見ていられる。でも未解決事件ってのは、答えがない分、頭の中でずっとグルグル考えちゃう。誰がやったのか、なぜそうなったのか、真実が闇に埋もれてるってだけでゾクゾクするんだ。不謹慎だけどもね。
だから、『終わらない絶望、いつまでも推理』には期待していたんだ。未解決事件をテーマにするなら、その『分からない』って部分をちゃんと活かしてほしかった。たとえば、観客に自分で推理させる余地を残すとか、事件の不気味さを強調して背筋が寒くなるような演出とかさ。なのに、この映画はただ『未解決だから仕方ないね』で終わらせてる感じがして。いやいや、それじゃダメだろって。
俺は昔から未解決事件の本とかドキュメンタリーによくハマっていた。たとえば、ジャック・ザ・リッパーとかゾディアック事件とか、ああいうのは何年経っても語り継がれるわけだ。なんでかって言うと、謎が深いから。そこに人間の闇とか社会の歪みとかが詰まってる気がして、単なる犯罪以上の何かを感じるわけだ。
なんだかうまく、まとまらなかったな。すまん。
とにかく俺は未解決事件が好きなわけだ。それも、何年も何十年も語り継がれるような事件が。ひどい話だが、解決しないことによって、加害者も被害者も永遠に歴史の世界で生き続けている、そんな感覚さえ覚えるわけだ。
その後も、廃墟周辺の住宅を一軒一軒尋ねてまわったが、新しい情報は得られなかった。
いよいよ陽も落ち始めて、世界は全体が闇に染まっていく。
こうなると、遺体が発見された廃墟のあるこの集落は、じつに不気味だ。
「次が最後です。中尾あゆみさん、四十四歳と、中尾良助さん、五十歳がご夫婦でお住まいのお宅ですが、良助さんは北海道に単身赴任をされているそうで、あゆみさんがひとりでお住まいだそうです」
鬼塚刑事に先導されて、中尾家に向かう。
「あらあらあら、こんな時間までお仕事、お疲れさまです」
中尾あゆみは、小柄で朗らかで、ちょっぴりおしゃべりそうな女性だった。
言ってはなんだが、この集落の住民は杏奈も含めて全体的にクセが強く、不愛想な人間だらけだったので、明るい感じの中尾あゆみと最後に会えたのは良かった。だが、
「立ち話もなんですから、家の中でお話しません? もうわたし、ひまで、ひまで。そうだ、お昼に焼いたクッキーでも召し上がっていきません?」
本当に時間を持て余している感じで、私たちを家に上げようとするのには閉口した。黒葛川幸平はニコニコ笑って、
「残念ながら、今日は本当に時間がないのでお話だけ……。でもクッキーは食べたかったなあ、ははっ」
と、うまくかわしつつ、
「ところで事件のことですが――」
たくみに話を自分のペースに持っていったのには感服した。
しかし、中尾あゆみから聞いた話は、やはりどれも知っている情報ばかりだった。これはいよいよ、情報収集もここまでかと思ったが、そのときである。
「ああ、でも、そういえば。……事件が起きる何か月か前に……ときどきこのあたりに、死体が転がっていたのよね」
「……はっ?」
私は思わず聞き返した。
すると中尾あゆみは、あらやだ、とばかりに笑って、
「人間じゃないよ。ネズミとか虫」
「ネズミとか虫?」
「そう。ある朝、家の外に出たら、ゴキブリの死骸がみっつかよっつか、家の前に転がっていてね。一匹なら珍しくもないけれど、それだけいるとちょっと気味が悪くてね。掃除が大変だったわ。……それから一か月くらいしたら、今度はネズミが二匹くらい、音無さんの家の前で亡くなっていてね。それが一か月おきくらいに繰り返されたかな」
「それは初耳ですね」
鬼塚刑事が言うと、中尾あゆみは再び、あらやだ、とばかりにまた笑って、
「だって、お巡りさんに言うほどのことじゃないですもん。わたしだっていま、そういえば、と思い出したくらいで」
そう言われたら、そうかもしれない。
ネズミや虫の死骸……。それも一か月おきに。
これは事件と関係があるのか否か。
「そのゴキブリやネズミの死骸は、どうなったのでしょう」
「ええ? 確か……ゴミで捨てたわよ。ちょうど燃えるゴミの日だったから」
「……そうですか」
黒葛川幸平は、なにかを考えるようだった。
だが、十秒も経つと、また朗らかな笑顔になって、
「では、我々はこれで失礼します。こんな時間に押しかけてきて、どうも申し訳ありませんでした」
「これでいいのかしら。あっ、ちょっと待って。あなたが食べたがっていたクッキー、いま袋に包んであげるから、持って帰ってちょうだい!」
そう言って中尾あゆみが持ってきたのは、ビニール袋いっぱいに詰まった手作りクッキーだった。五十枚は詰まっているだろう。とんでもない量だ。鬼塚刑事でさえ、ぎょっとして目を丸くしていた。
「うわあ、これは美味しそうだ。いいんですか、こんなにいただいて」
「どうぞ、どうぞ。皆さんで召し上がってください。感想、ちょうだいね。お口にあったら、また作ってあげるから」
こうして、現場付近の住民から得られる情報は、すべて集め終わった。
ばり、ぼり。ぼりばり。ざくざくばりばり。ぼりりりり。
と、私、黒葛川幸平、鬼塚刑事の三人は、中尾あゆみから貰ったクッキーをかじりながら、矢切駅に向かって歩いていく。
見渡す限りの田園風景、星のない夜空の下を、男三人でクッキーをかじりながら歩いていくさまは、傍から見たらどこか滑稽さを感じることだろう。こりゃうまい、なかなかうまいですね、とクッキーの味を絶賛するのは鬼塚刑事だ。貰ったときは軽く引いていたくせに。
「甘味が強めなのがいいなあ。手作りクッキーは甘さ控えめなのが多かったりするんですが、こいつはいい。食べがいがある」
「ははっ、鬼塚刑事、そんなに普段、手作りクッキーを食べているんですか? それも女性の? これは隅に置けない、というやつですね」
「そう色気のある話だといいんですが、残念ながら母親です。帰省するたびに味の薄いクッキーやらケーキをよく食べさせてくるんですわ」
「ああ、分かります。うちも同じですよ。母親の作る料理は、どこか味が薄くて。うちの場合は、高血圧の父親に合わせているんでしょうけどね」
私は思わず調子を合わせてから、我ながらなんの話をしているんだと笑ってしまった。
「どこの家の母親も同じ、ってことですかな」
「でも鬼塚刑事、いまさらだけど、警察の方が、貰ったクッキーをこんな路上で食べていいんですかあ?」
「いやあ、いちおう公務中ですから、上にバレたら叱られるでしょうね。お二人とも、これですよ、これ。お願いしますよ」
鬼塚刑事は人差し指をくちびるの前に当てた。
私と黒葛川幸平は、揃って笑い声をあげた。
やがて、真っ暗闇のど真ん中に、ぽつんと自動販売機が登場した。
「一息、入れましょうか」
黒葛川幸平は淀みない動きでアイスコーヒーを購入し、鬼塚刑事もそれに倣い、私はひとり、オレンジジュースを買って口にした。美味い。疲れた身体にオレンジの甘味が染みわたっていく。
「ネズミは」
と、黒葛川幸平が突然言った。
「ネズミはなぜ、死んでいたんでしょうか。それとゴキブリも」
「黒葛川さんも気になりますか。私も、なにかここに理由がある気がするんです」
「その通りです、佐野さん。ではなにかと問われると、もしかしたらこれは、犯人が被害者に毒を飲ませる実験だったのでは、と」
その言葉に、私と鬼塚刑事は飲み物を飲む手を止めた。
犯人が――あるいは、あの黒コートが、毒で人を殺すために、その実験体としてネズミやゴキブリを選んだ?
「ありえそうな話です!」
私は大きくうなずいて、
「あの黒コートが、なんらかの理由で滝山万年筆先生と三沢坂博子をあの廃墟に呼び出した。そして食事をした。その食事の中に毒を入れておいて、万年筆先生と三沢坂博子を殺害した。山芋鉄板はその残りだったんです」
と、得意げに推理を披露したが、黒葛川幸平の顔は冴えない。
「いや、おっしゃる通りかもしれませんが、ではあんな廃墟に呼び出す理由はなにか。廃墟には鍵が掛かっていたのにどうやって開けたのか。電気も通っていない廃墟の中で三人も集まって食事をするのだろうか。万年筆先生と三沢坂博子の食べたものはなにか。万年筆先生たちの食べたものはなくなっているのに、山芋鉄板だけが残された理由はなにか。謎があまりに多すぎます」
「あ。……そ、そうですね……」
「それに、滝山万年筆と三沢坂博子の死亡推定時刻には三時間のズレがあるんです」
鬼塚刑事が言った。
そうだった。その謎もまだ残っていた。
「これらの謎がまったく解明されていない。黒コート……そもそもその黒コートが何者か。男か女かも分からない。五里霧中とはこのことです。なにか、きっかけがあれば謎の解明が大きく進みそうなのですが」
黒葛川幸平は、アイスコーヒーをグビリとやって、空を見上げた。
五月の夜風が吹き抜けて、私のほほを撫でた。
「私も私なりに、推理してみます。万年筆先生の事件のことを」
私は、私なりに力強く宣言した。
「これから何か月、いや何年かかっても必ず解決してみせます。決して忘れません。万年筆先生のことを」
すると、黒葛川幸平も鬼塚刑事も、ゆっくりとうなずいた。
仲間として認めてもらったようで、私は少し嬉しかったが、しかしそれ以上に、事件の謎のほうに私の心は囚われていた。
万年筆先生、あなたをあんな風にした人間はいったい誰なんですか。知っているのなら、教えてください。
私はオレンジジュースを飲み干して、黒葛川幸平を真似るようにして空へと目をやった。
その日の夜。
私のスマホに、杏奈からのラインが届いた。