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第十六話 最後の未解決

2024年5月1日:最後の叫び


 俺は燃え尽きる! 黒コートが来た! いま、家の外にいる! 窓を叩いてる! 俺は殺される! 誰か見てくれ! 警察は間に合わない! これが最後の記事になるかもしれん! 殺される! さらわれるんだ! 黒コートに! あああああああああああああああああ! あああああああああああああああああああああああ




 これが滝山万年筆、最後の更新である。




「三沢坂綾人。博子の息子ですね」


 そう言うと、黒葛川幸平は満足そうにうなずいた。


「そうです。……最初に話を聞いたときから、少し怪しいとは思っていました。綾人は朝になって、母親がいないと大騒ぎして近所の住民に尋ねて回ったそうですが、そもそも三沢坂博子は近所の人と仲が悪い。尋ねたところで知っている可能性は低い。それなのに、そうした。


 さらに、近所の住民に尋ねたあとで母親の携帯に電話を掛け始めた。普通は、近所の人に尋ねるよりも先にお母さんへ電話するでしょう。それを後回しにしたのは」


「近所の人の前で発見したかったんですね。母親を」


「そうです。廃墟の中から鳴る電話。突入する自分。近所の住民の前で発見される母親と万年筆先生の遺体。こうすることで、自分の犯行ではなく、滝山万年筆の犯行、もしくは心中、あるいは謎の怪事件という風に演出することができたのです」


 黒葛川幸平は、夜空を見上げながら、


「遺体発見の直後に取り乱して廃墟に突入した、という話もありましたね。あれも少し、くさいと思っていました。いまにして思えばあれは、廃墟の中に自分を入れたかったんだと思います。廃墟の中に綾人さんの指紋なり髪の毛なりの痕跡が落ちていたとしても、それはみんなの前で突入したときに残ったものだと言えますからね」


 その推理通りだとしたら、三沢坂綾人はあんな風体でありながら、ずいぶんいろいろな計算をしたものだ。


「……証拠は」


 私はすでに、黒葛川幸平の推理に感服していたのだが、それでもこれに反論を加えるのが仕事のような気がして、


「証拠はあるんですか? 万年筆先生が自殺を選んだ証拠。三沢坂博子が綾人に毒殺された証拠は……」


 黒葛川幸平は涼しい顔で答えた。


「毒を無理やり飲まされたならば、吐き出そうとした跡や、ビールで口をすすいだ跡があるはずです。トリカブトはかなり強烈に吐き気やめまいを催す毒物ですからね。スマホで助けを呼ぶこともできるでしょう。


 ですが、そんな痕跡は一切ありません。胃の中に睡眠導入剤もないので、眠らされていたわけでもありません。まさにそれが自殺の証拠なのです。逆に言えば、トリカブトをみずから飲用したあとでも、嘔吐したり暴れたりせず静かに死を迎えたところに、万年筆先生の異様さと恐ろしいまでの執念が感じられるのですが。


 三沢坂博子さんも廃墟でもがいた跡がありません。それは別の場所で殺されてここに運ばれた証拠です。廃墟の前にはリヤカーや車輪の跡もないので、抱きかかえて運ばれたのでしょう。


 ですが、太った博子さんを遠くから運ぶのは困難です。田園地帯を出れば町があり、防犯カメラもあります。誰にも気づかれずに運ぶのは厳しいでしょう。となると、近所にお住まいの方の犯行になります。


 そして博子さんは近隣住民と折り合いが悪かった。そんな博子さんに毒を混ぜた食べ物を食べさせることができるのは、一緒に暮らしている息子の綾人さんだけです。関係が険悪でも同居している親子ですからね。食事に毒を混ぜるのは難しくありません」


「……万年筆先生が自殺ならば、三沢坂博子も自殺という可能性も……」


「それは低いでしょうね。三沢坂博子は、殺された翌週に追っかけをしているアイドルのライブに行く予定だった。直近の未来にすることがあったわけですから。これは三沢坂綾人自身が証言したことです」


「……ならば、綾人の犯行動機は」


 私の質問に、彼は静かに答えた。


「逮捕して調べてみなければ、確たることは分かりませんが、恐らく単純なものでしょうね。日ごろから険悪な親子関係。犯行前日の大喧嘩。『殺すぞババア』『どうせできんやろ、あんたなんか』こんな応酬の結果、ついに爆発した、といったところでしょう。お母さんがお亡くなりになれば、家が遺産で手に入ります。うるさい存在も消えて一石二鳥です」


「……では、音無杏奈さんはなぜ自殺を」


「遺書と、佐野さんに送ったラインの通りでしょうね。彼女は明敏な頭脳か、あるいは直感で、事件のすべてを見抜いたのです。その結果、絶望したのです。滝山万年筆ほどの名声を持った人物でも恐怖と絶望に押しつぶされてみずから死を選ぶのならば、自分などはもうどうしようもない。そう思って……」


「そんな……そんな……杏奈……」


 私は思わず、天を仰いだ。


 黒葛川幸平の推理は完璧だった。もう、私が尋ねることなどなにもない。私の役目は終わった。


 視線を戻すと、どよめくような闇と、目もくらむような光が、揃って川の向こうに広がっている。春とは思えない冷たい風が吹いていた。


 謎はすべて解けた。滝山万年筆のことも、三沢坂博子のことも。だと言うのに、私は胸の中にぽかんとした大空洞が空いていくのを感じていた。謎が解けた喜びや達成感など微塵もなかった。やったぞ、と叫びだすことができなかった。


 理由はふたつある。


 杏奈の死が、どうしようもないほど悲しかったことがひとつ。


 そしてもうひとつは――


 私にとって、まだ解決していないことがひとつ、残っているからである。


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