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第十七話 ある廃墟の終焉

 黒葛川幸平が謎を解いた三日後である。


 事件はほとんど、黒葛川幸平の推理通りであることが分かった。


 廃屋のシャッター、あの合い鍵を作った業者も判明した。なんと宮城県の業者だった。経営が危うい状態だったのを、滝山万年筆が「多額の謝礼を払うから合い鍵を作ってくれ」と依頼。妙な依頼だと思いつつ、千葉までやってきて合い鍵を作った、とのことだった。


 そういえば滝山万年筆は宮城出身だった。それで、どこからか経営状態の危うい合い鍵屋の情報を仕入れてきたのだろう。ついでながら、警察の捜査によると、自殺に使ったトリカブトは、どうやら滝山万年筆の地元、宮城の蔵王連峰から採ってきたものだったらしい。


 蔵王連峰にはトリカブトが自生しているのを、滝山万年筆は知っていたのか。そういえば昔のブログで、小学校のころに蔵王連峰に行ったと書いていた記憶がある。本当に執念と行動力の凄まじい人だ。


 私は、改めて滝山万年筆の書いた、ずっと昔の記事を見た。




2012年4月1日:もっと見てくれ、見てくれよ


 映画『ある廃墟の終焉』を観た。家族の再生を描いた静かなドラマだ。演出は丁寧で、最後にひとりでゆっくりと死んでいく老人の感情がリアルに描かれている。押し寄せる涙を期待するような演出も、普通なら鼻につくところだが、この作品についてはちっとも嫌味ではない。文句なしの星五つ。


 それにしても、死ぬならこういう場所で死にたいと思う。誰もいない、生活のすべてが終わってしまったような廃墟で。こういう場所が俺にはお似合いだ、と考えるのは、ナルシストが過ぎるだろうか? でもこれが偽りのない、俺の本音なんだ。


 少しだけ、自分の話をしたい。

 ここは俺のブログだ。自分語りをやっても構わないだろう。


 はっきり言って、俺は高学歴だ。地元の宮城で高校を出たあと上京し、誰もが羨む大学を出た。親は喜び、教師は褒め、俺自身だって未来が輝いて見えた時期があった。


 でも、現実は違った。卒業証書を手にした瞬間から、俺の人生は坂を転がり落ちるように暗転した。面接がとにかく不得手だった。思い描いたような大企業への就職はままならず。就職サイトを用いてエントリーを百回以上行って、ようやく小さな不動産企業に正社員として就職できた。


 しかし就職はしたものの、そこはブラック企業そのもの。サービス残業を毎日のように繰り返し、怒鳴りまくる上司の顔色を窺うだけの毎日。そして俺は嫌われ、頭を使う仕事は与えられず、会議では発言する機会すら奪われた。このとき中学や高校の同級生は出世したり結婚をしたりと幸福をつかんでいることを噂で聞いた。俺は取り残された。努力しても評価されない。屈辱だった。俺が、なぜこんな目に?


 結局、会社を辞めた。退職願を叩きつけた時の爽快感は一瞬で終わる。すぐに虚無が押し寄せた。それから仕事は転々としたが、どこでも同じだ。俺の知識も才能も、誰にも必要とされなかった。


 異性だってそうだ。学生時代、恋愛なんて俺とは縁遠かった。頭がいいだけの男に、女は寄ってこない。合コンに誘われても、話題についていけず、笑顔を向けられることもなかった。一度だけ勇気を出して告白したことがある。大学の図書館でよく見かけた子だった。彼女は優しく笑って、「ごめんね、友達としてしか見られない」と言った。その言葉が今でも耳に残っている。優しさで包まれた拒絶ほど辛いものはない。あれ以来、俺は誰とも深い関係を築けなかった。愛される資格がないんだと、自分で自分を納得させた。


 友達もいない。学生時代の数少ない仲間は就職で散り散りになり、連絡は途絶えた。誘われなくなって初めて気づいたよ。俺は誰にとっても「いてもいなくてもいい存在」だったんだ。休日はアパートで一人、レンタルで借りてきた古い映画を見るか、図書館で借りてきた小説でも読んで過ごすしかない。批評を書き始めたのは、そんな虚しさを埋めるためだった。


 ネットに投稿してしばらくしたら、少しだけ反応があった。「鋭い」「面白い」という感想を発見した。俺のブログにはコメント機能をつけていないから(笑うな。俺は他人から話しかけられるのがもう、死ぬほど怖いんだ)、自分の名前を検索、つまり、いわゆるエゴサーチをして発見したわけだけど。


 初めて誰かに認められた気がした。先月、書籍化の話が来た時は、飛び上がるほど嬉しかったよ。でも、それでも足りない。もっとだ。もっと注目されたい。このまま忘れられるなんて、耐えられないんだ。


 俺の言葉が、俺の存在が、誰かの記憶に残ってくれなきゃ意味がない。




 あの集落へと向かう電車の中である。


 私はずっと滝山万年筆のブログを読んでいた。


 これは十年以上前の、かなり初期の記事だ。


 そうだ、この記事を読んで、私は彼のファンになったのだ。……




 私、佐野敦は南千住にある、素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)の近所で生まれ育った。


 家庭環境は、ごく普通の中流家庭だった。両親は共働きで、特別裕福ではないけれど生活に困るほどでもない、平凡な暮らし。


 私はずっと、目立つタイプではなく、どちらかといえば内向的で、本や映画、漫画といった自分の世界に浸るのが好きな少年だった。学校では友達はいたものの、中心的な存在ではなく、グループの端っこで静かに笑っているような子供だった。


 勉強はそこそこできた。教師からは、


「もっと頑張ればいい大学に行ける」


 と言われたものだ。


 しかし私は『頑張る意味』がよく分からなかった。将来の夢や明確な目標が持てず、周囲が進路を決めていく中で取り残されるような感覚を抱き始めた。


 けっきょく、それほど偏差値を上げることもなく、目的意識も持てないままにある私立大学の商学部にはなんとか入れたものの、そこでも私は冴えない学生生活を送り続けた。


 ある人気サークルに参加しようとしたら、先輩の学生から「まあ、いいけれど……」と言われたが、これは遠回しに否定されたのだといまでも思っている。冴えない外見に、大した知識も話術も持たない私などが、明るいサークルの仲間に入ってきては困るわけだ。


 恋愛もしてみたかった。だが、同世代の女の子たちはみんな笑顔がキラキラしていて、自信満々で、容姿も美しく、とても自分とは縁がつながるような存在には見えなかった。大げさに言えば、同じ生き物だとさえ思えなかった。結局、私はすべてを諦めてしまった。


 卒業後はチェーンレストランの正社員として就職するも、職場の人間関係に馴染めず、長続きしなかった。就職して三年目で退職した。そこから無職の期間が始まった。親には「転職活動中」と言い訳しつつ、ネットばかりを続ける毎日だった。新型コロナが大流行した世相も相まって、私はいっそう家に籠もった。


 この頃、滝山万年筆の文章に出会った。


 私は滝山万年筆の鋭い視点や情熱的な文章に惹かれた。彼を通じて映画や小説の世界にどっぷりとのめり込んだ。滝山万年筆は私にとって、憧れの存在であり、自分にはないなにかを持っている人だった。


 そして、滝山万年筆のブログを過去の記事まで含めて読み返しているときに、『2012年4月1日:もっと見てくれ、見てくれよ』の記事を見て、思わず涙を流したのだ。


 彼は、私だ。


 私と同じ世界を見ている者だ。


 感情移入とはこういうことを言うのだ。


 そうだ、私だって、私を見てほしい。誰かに認めてもらいたい。誰かに愛されたい。誰かと深く繋がりたい。


 万年筆先生!!


 そう思っていた矢先に、滝山万年筆は死んでしまった。


 なぜだ。なぜなんだ。どうしてあんな素晴らしい人が、この世から去らねばならないんだ!


 この世界は私に、憧れの人まで与えてくれないのか!! そこまで奪い取ってしまうのか!!


 滝山万年筆が亡くなったと知ったその夜、私はひとり、むせび泣いたのだ。……




 廃墟のある集落を包む湿った風は、昼が近づいても晴れなかった。


 シャッターの隙間がカタカタと鳴り、田畑の間に不気味な静寂が漂う。


 この場所にはもう、三沢坂綾人はいない。彼は黒葛川幸平の推理に基づき、千葉県警に逮捕されていた。犯行の流れはおおむね黒葛川幸平の推理通りだったが、少しだけ違うところもあった。


 それは、綾人も滝山万年筆のブログを読んでいたこと、そして犯行の計画はもっと大ざっぱだったということだ。




 綾人は、警察の取り調べに対して供述した。


「滝山万年筆のブログをぼうっと読んでいたらさ、うっすらと思ったんだ。この人、もしかして死のうとしてるんじゃないかって。黒コートに追いかけられながらも、戦おうとか逃げようとかそんな素振りが見えねえし、それになんかこう、世の中に絶望しているようなところを感じてさ。


 ……いや、滝山万年筆と黒コートが同一人物だなんて、気付かなかったよ。本当だ。ただ……


 うちの近所を黒コートがうろついていてさ、毒でネズミとか殺してるらしいと気が付いた俺は、思ったんだ。黒コートは自殺志願者じゃないかって。毒でネズミとか殺したり、廃墟に入ったりしていたからさ。しかも廃墟の中には花が置かれてあって、スマホでレンズ検索してみたら、これが毒のトリカブトだったんだ。


 ああ、そのうち、こいつはここで死ぬんだろうなあって思った。滝山万年筆のブログを見ていたから、余計にそう感じた。


 だったらそれもいい。こんな退屈なクソ集落、自殺者のひとりくらい出たほうが賑やかでいいぜ。なんて思ったんだが……そのとき、ふと思ったんだな。


 そうか、こいつをうまく使えばうざい母親も殺せる――かもしれない」


 かもしれない?


 どういうことだ?


 と、警察は尋ねた。綾人は答えた。


「つまりさ、黒コートが廃墟の中で毒を使って自殺したら、それに便乗して母親殺しの計画発動だ。けれども、もし黒コートが死なないなら死なないで、そのときはそのまま、と思ったんだ。賭けみたいなもんだな。


 俺は南京錠を仕掛けたり、廃墟の中のトリカブトをちょっとだけ拝借したりしながら、黒コートの登場と自殺を待って、ずっと家から外を見ていたんだ。


 そして、俺は賭けに勝ったんだ。勝ってしまったんだな。あの日、黒コートが登場して、廃墟の中に入っていった。壁の隙間から中を覗くと、やつはいよいよ自殺の準備をしている。


 いまだ、と俺は思った。俺は自宅に戻って母親に、大好きな辛口レトルトカレーを出してやったんだ。


 ……毒を。トリカブトを混ぜたものを、な……」


 三沢坂博子はカレーを食べてから、やがて苦しみはじめ、嘔吐まで始めようとしたが、綾人はそんな母親に吐き出すことを許さず、みずからの手で博子の口を押さえつけ、毒を無理やり摂取させたという。


 やがて博子は事切れて、綾人によって廃墟に運び込まれたのであった。


「もしもだけれど、滝山万年筆の自殺が、俺の見ていないときに行われていたら、俺は母親を殺さなかったよ。あるいはその自殺が、母親不在のときに行われていても、俺はやっぱり殺さなかったよ。……まったく、ひどい話だよな。こういうときだけ、偶然と偶然があんまりにもうまく重なりやがるから……」


 綾人はそう言って、ついには頭を抱え込んでしまったらしい。


 人を殺しておいて、なんだその態度は、と取り調べ中の若い刑事は激昂したそうだが、私はなんとなく、綾人が頭を抱えた理由が分かる気がした。


 三沢坂綾人は、いや綾人も、と言うべきか。


 彼は恐らく、人生がうまくいっていなかった人間だ。


 そんな綾人なのに、いざというときにだけ賭けに勝ってしまった。犯行を行う条件が整ってしまった。黒コートは廃墟に現れ自殺し、母親は自宅におり、その後の犯行も、あまりにもうまく成功してしまった。


 本当に、こういうときにだけ――


 悪い成功をしてしまったのだ。




 集落はどうなってしまうのだろう。廃墟ができあがり、人が自殺し、あるいは殺され、また自殺し、そして住民のひとりは殺人犯となってしまって――


 その集落に私はいま、黒葛川幸平とふたりで立っている。


「佐野さん、いいですね。行きますよ」


「はい。行きましょう」


 この日、私は黒葛川幸平とふたりで音無家を訪れたのである。


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