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第十八話 みずからの価値を決定する

 音無家に入った我々は、杏奈の死を悼んだ。


 彼女の遺骨を前にして、手を合わせる。四十九日が済むまでは、この世に彼女がいるのだと信じて。


「杏奈は頭がよかった。それなのに仕事が続かなくてね」


 音無佐一郎は、自分の心を整理するように、私たちへと語りかけた。


「ハラスメントばかり仕掛けてくるような上司に口喧嘩を吹っかけたり、相手が顧客であっても自分が不機嫌だったらつっけんどんな態度を取ったり。……杏奈にも悪いところがあったんだ。でもね、杏奈から見れば、先に自分をいじめてきたのはあっちなんだ、って感じでね。


 ああ、社会人ってのはそういうものも飲み込んで、耐え抜いてこそなんだ。それくらいは杏奈だって分かっていたさ。分かっていたから、焦りに焦って、毎日、悩んだり、苦しんだり、自分を責め続けたり……。


 でもさ、まだ二十九だよ。仕事だって結婚だって、きっとできたはずなのに。どうしてこんな……なにも、死ななくても……」


 音無佐一郎の震える声を、私は耳にするのが辛かった。


 杏奈が自殺を選んだ理由は、私にはよく分かった。


 彼女は、この連続した事件の中に自分の居場所を見い出したのだ。


 探偵役の黒葛川幸平が介入したこの事件の中で、思わせぶりなことを言いながら死亡すれば、物語の脇役になれるのだ。滝山万年筆、三沢坂博子、そして音無杏里の三人が続けて死んだ奇妙な連続事件の被害者のひとりになれるのだ。


 それは、三十歳近くになっても実家でくすぶり続け、このまま老い続けて死ぬよりも、よほど絵になる姿だ。世間から注目される亡くなり方だ。誰かが同情してくれる人生の終焉だ。


 そういう意味では、音無杏里と滝山万年筆は、本質的に似た理屈で自死を選んだのだ。


『やっと、自分の価値が分かったよ』


 私は目を閉じた。


 杏奈の最後のメッセージが響く。


 そんなことに価値を見い出さないでくれ。


 あまりにも、悲しいじゃないか。私の気持ちも、いや私のことなどどうでもよくても、死ぬことに価値を見いだせる人生なんて、そんな言葉、辛すぎるじゃないか。


『真実には自分で辿り着け!』


 もしかしたら彼女は、私に真相を突き止めてほしかったのかもしれない。


 自分がなぜ死を選んだのか、その真相を。自分の行動原理を。


 でも、そうだとしたら、それはあまりにも……。


 冷たくて、性格、悪すぎやしないかい。杏奈。


 形容しがたい複雑な感情が胸を支配した。


 こういうとき、百年の恋も冷めるとばかりに杏奈を嫌いになれていれば、どんなに良かったか。


 だけど私は、そういう気持ちにもなれなかった。


 彼女の希望通りだ。


 杏奈の笑顔と性格を、私は、一生忘れられそうにない。




 音無家を出て、集落全体に目を向ける。


 言葉にできない悲しみが、私の胸を締めあげる。


「歪んだ承認欲求ですね」


 私がそう言うと、黒葛川幸平はうなずいて、


「万年筆先生も、音無杏奈さんも、そういう方だったんです」


「……ええ」


 私は、彼から顔を背けながら答えた。


 合わせる顔がないような気がした。


 滝山万年筆に心酔し、杏奈に惚れ込んでしまった自分もまた、ふたりと同じ種類の人間なのだ。黒葛川幸平とは違うのだ。そう思ってしまって……。


「佐野さんとは違いますよ」


 黒葛川幸平の言葉が、があんと胸の内に響いた。


 この自分史代筆家は、私の心などお見通しのようだった。


「共感しすぎないで。仲間だと、思いすぎないでください。佐野さんは佐野さんです。万年筆先生とも音無杏奈さんとも違うし、異なっていて、いいんです」


「でも私はね、黒葛川先生。ええ、私も、私も」


 私は声を震わせた。


 もう、言葉が止まらなかった。


 私の本心を、この場で吐露したい。吐き出さずにはいられない。


「認められたかったんです。この事件の中に自分の居場所を見つけ出したかったんです。ずっと無職が続いて、コハクコーヒーの常連さんという立場になって居場所を見つけようとした。喫茶店の常連なんて、ちょっとカッコいいですから。でも、やっぱりそれだけじゃ足りなかったんです。その程度では自分を認められない。そこに黒葛川先生が現れた」


 私が滝山万年筆の事件に執着したのは、彼の信者だからである。それは嘘じゃない。杏奈のことを好きになった。それも本当だ。


 だが、もうひとつ。


 私はこの事件の解決者として、あるいは解決者の助手として、誰かに認めてもらいたかったのだ。


 この一連の事件は、自殺なんかではなくて、怪奇に満ちあふれた未解決の連続殺人事件であってほしかった。黒葛川幸平がそれを解決する。私はその隣で、助手であったり脇役であったりする。そんな光景を私は常に望んでいたのだ。


「黒葛川先生がホームズなら、私はワトソンになりたかった。主役じゃなくても、脇役の自分になりたかったんです」


 黒葛川幸平はそっと私を見た。


 その雌雄眼は、確かな温かみを帯びていた。


「佐野さんは佐野さんですよ。佐野さんだけの人生の、かけがえのない主人公です。僕が佐野さんの自分史を代筆したいと思うほどに。あなたの居場所はちゃんと、世の中にあります」


「そうでしょうか」


「滝山万年筆先生が殺されたのなら、犯人を捕まえたいと思ったのでしょう。音無杏奈さんを見て、好きになれたのでしょう。それだけでもう充分です。あなたは、あなたの人生をきちんと生きています。あなたの物語があります」


「先生」


「これでもプロの代筆家ですよ、僕は」


 黒葛川幸平は、にっこりと笑った。


「その僕が、太鼓判を押します。佐野さんは、佐野さんです」


 私は、大きく声を上げて泣いていた。


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