「さて、改めて確認しておきますが、ここにある六十一種類のコーヒーは、全部、微妙に違います」
黒葛川は、冷蔵庫の中のコーヒーをひとつひとつ眺めながら言った。
例えばブラックだけでも、
『ブラック』
『アロマブラック』
『プラチナブラック』
『鮮烈ブラック』
などなど、名前が違うものがズラリ。メーカーもさまざまだ。
「伯父さん、よくこんなに買い集めたなあ」
「一本くらい、しれっとしょうゆが混ざっていそう」
千帆と有紗は呆れたように眺める。
「それにしても、同じブラックなのにこんなに名前をつけなくても。中身は同じようなもので、あとは名前が違うだけなんじゃないですかね?」
と、有紗がつぶやいたが、
「いいえ、それは違いますよ。すべて微妙に味が違います。コーヒーメーカーをなめてはいけません」
黒葛川の口調は穏やかだが、熱を帯びている。
有紗は身を退かせて、
「それほどのものですか」
「黒葛川先生にとって、アイスコーヒーは神聖な存在なんですね」
「もちろんです。人生が終わるときには、一杯だけでいいからアイスコーヒーを飲み干してこの世を去りたいほどです」
「それだけ好きなものがあるのは、いいことですよ。うらやましいなあ、私にはそこまで好きな飲み物がないから」
「あなたにもいずれ見つかりますよ。いっす、いえ、一寸木さん。……すみません」
「すみません、覚えにくいですよね、私の苗字。よく、いっすんぎさん、なんて間違えて呼ばれるんです」
「ああ、その気持ちは僕もよく分かります。僕も、つづらがわ、という苗字を一発で読んでもらえることが少なくて」
「わあ、苗字、一発で読まれにくい仲間ですね、私たち」
「……あのう」
苗字の話題で盛り上がっているふたりを、有紗は嘆息と共に見つめながら、いや見つめるというよりは多少、やぶ睨みの視線になりながら、
「コーヒーの謎はどうしたんですか、コーヒーの謎は。変ないちゃつき方をしないでください」
「わあ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんですよ」
「叱られてしまいましたね。……さて、では謎解きと参りましょうか」
黒葛川はあごに手を当て、しばし考える。
すると、彼の雌雄眼がパチリと輝いた。
「とりあえず、この六十一種類のアイスコーヒーをすべて試飲してみましょう。ただし、冷蔵庫の中の未開封品は貴重な証拠なので手を付けず、近隣のスーパーやコンビニで同じものを集めてみましょうか」
「えっ、飲むんですか? 六十一種類を、すべて!?」
有紗が目を丸くした。
「はい。アイスコーヒーの謎は、アイスコーヒーで解く。これが僕の流儀です」
黒葛川の言葉に、有紗と千帆は顔を見合わせた。
ふたり揃って、これはえらいことになった、という目をしていた。
二時間後。
驚くべきことに、六十一種類のコーヒーはあっさりと集まった。
一寸木秀夫の家にあったコーヒーは、近くのスーパー、コンビニ、ドラッグストアを巡ってみると、すべて手に入るものばかりだったのだ。キッチンのテーブルは、まるでコーヒー博物館の展示コーナーのように賑やかになった。
「さあ、試飲会を始めましょう!」
黒葛川が、まるでパーティーのホストのようなテンションで宣言した。
六十一種類のアイスコーヒー進呈が、謎解きの報酬だったはずだが、
(その報酬って、この時点で叶ったようなものなんじゃ)
と、有紗は思ったが、せっかく黒葛川がやる気になっているので、そこは黙っておこうと思う彼女なのであった。