目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第六話 再会の秘密、そして……

 黒葛川たち四人は、それぞれ居間のソファや椅子に腰かける。


 優子は話を続けた。


「二年前のことです。書店で秀夫さんの写真集を発見したわたくしは驚きました。ずっと昔に交際していた人が、まさかプロの写真家になっているなんて。珍しい苗字なので、名前を見た瞬間、すぐに気が付いたものです」


 珍しい苗字、と言われた瞬間に、千帆が少し照れたように笑った。


「――恥ずかしながらその瞬間まで、秀夫さんがプロになっていることはまったく知らなかったのですが、知ってしまったもので。わたくしはあまりに懐かしく、あまりに嬉しくなって、つい、出版社にファンレターを送ったのです。すると、秀夫さんから返事が来て……。わたくしたちは手紙を往復させ、ついに八王子で再会しました」


「四十年前の恋愛の続きをしよう、ということですか?」


 有紗がなにやら嬉しそうに言ったが、優子は「いえいえ」と笑いながら首を振る。


「そんなに大げさなものではないんです。ただ、もうわたくしもこの年齢(とし)なものですから、昔の友人が本当に懐かしくなって、昔話がしたくなったのです。本当にそれだけです。……ああ、でも、わたくしの夫はすでに亡くなっておりまして、それで秀夫さんも独身だったから……。どちらかが結婚していたら、確かに、直接会うのは遠慮したかもしれませんね」


 彼女の声には、温かさと、どこか埋められない空白の響きがある。


 さらに優子は、ふっと微笑み、記憶の糸をたぐり寄せるように語った。


「再会したわたくしたちは、昔のようにおしゃべりをして、たまに顔を合わせる関係になりました。……やがてわたくしたちは、あの夏、毎日のように飲んでいたアイスコーヒーの味を、思い出そうとしたのです。あの味は、ただの飲み物じゃありませんでした。まさに青春の味でした。あのカフェバーで、秀夫さんと夜通し語り合った後に飲むアイスコーヒーは、まるで魔法のようだったんです」


 彼女の言葉は、キッチンを過去の夏の夜に引き戻すようだった。千帆は、熱心に聞き入っている。


「そしてわたくしたちは、当時通っていたカフェバーに行ってみたのです。すると、店は残っていましたが、カフェはもうやめて、バーだけの営業になっていたのです。アイスコーヒーも、もうやめていました。けれど、店長は当時のことを覚えていて、笑いながらこう言いました。


『うちはね、酒にはこだわっていたけれど、アイスコーヒーはわりと適当でね。そのへんで売られていた市販のアイスコーヒーを適当に混ぜて、そのまま出していたよ。昭和の終わりで、まだおおらかな時代だったからね。コーヒーにこだわる人にはよく叱られたっけ』


 と……」


 その言葉に、黒葛川の雌雄眼がキラリと光った。彼は、まるでパズルのピースが嵌まる瞬間を捉えた探偵のように、声を上げる。


「なるほど! これで分かりました。つまり秀夫さんは、『市販のアイスコーヒーを適当に混ぜて、そのまま出していた』アイスコーヒーの味を再現しようとしていたんですね!」


 優子は、静かにうなずいて、キッチンのほうへと目を向けた。


「『少し待っていてくれ。あの味を必ず、もう一度作り出してみせる』と、秀夫さんは豪語していました。そのために、近場の店を巡ってコーヒーを買い集めたそうです。……それで集まったのが、六十一種類。


 ネットを使えばもっとたくさんのコーヒーを集められたかもしれない。でも、彼はデジタルが苦手だったから。だから、足で稼いで、この近くで手に入るすべてのコーヒーを買い集めたのです」


「それで合点がいきました。僕らは冷蔵庫の中身とは別に、六十一本のアイスコーヒーをこの近くの店で買い集めましたが、あまりにもごくあっさりと揃えられたので、少し拍子抜けしていたのです。しかし、これで謎が解けました。秀夫さんが足で集められる限界が、そもそも六十一種類だったのですね」


 黒葛川がうなずきながら言うと、有紗も首肯して、


「秀夫さんはその六十一種類のコーヒーを、たぶん二本か三本ずつ買いそろえて、いろんなコーヒーをブレンドして、味の再現を試みた。やがて空っぽになったものは捨てて、余ったものはこっちの小さい冷蔵庫に入れた……」


「私が捨てた、燃えないゴミ袋の中の缶コーヒーは、その捨てたものだったんですね」


 千帆もまた、大きくうなずく。


 いよいよ、このコーヒーの楽園の謎が解けてきた。


「でも、けっきょく、秀夫さんがあの味に辿り着いたのかどうかは分かりません。『完成までもう少しなんだ』と電話をいただいたのが最後でしたから」


「いいえ、沢井さん。秀夫さんはきっと辿り着いていたと思いますよ」


 黒葛川はテーブルの上に置かれたメモ用紙を手に取った。


『Uブ Uミ Pブ』


 黒葛川の指が、メモをそっと撫でる。


「秀夫さんはきっとこのメモに、答えを残していたんです。ですから、この暗号は、U社のブラック、U社のミルク、P社のブラック、この三種のコーヒーを混ぜるレシピだったんじゃないですか?」


 すると有紗が、まるで冒険の最終章に突入するように、勢いよく立ち上がった。


「試してみましょう。黒葛川先生、千帆さん、沢井さん。今すぐ、そのレシピを再現するんです」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?