記憶の中にあるアークブレッド帝国の王都の風景は、まだ私が幼い頃のものだ。
王である父に連れられて高い壁に囲まれた城塞都市の入り口を見上げた記憶がある。エルリーアとは異なり、軍事力が高いことを当時の私は知らなかったが、「強そうだ」というなんとも陳腐な印象を持った。
十五歳になって再びこの町を訪れたとき、やはりアークブレッド帝国は王都は壁に囲まれたままだった。あの頃よりも私の背丈は随分と伸びたはずなのに、相変わらず高い壁に思えた。
都市の中に入ってから、「大きくなれば壁も低く見えるのかなと思ったんだけど」とリアムに話すと実際に壁が増築されて高くなっていることを教えてくれた。
「世の中、物騒なことばかりですから。維持管理対策は万全を期すべきと考えているんでしょう」
リアムが丁寧な口調で言った。
そうだった。ここはもうアークブレッドの王都の領域の中だ。
彼はエルリーアの王女の従者として演じているのだ。先ほどまでの強気な口調ではなく、真実を知っている私から見ても、その柔らかで丁寧な話し方は元から従者だったがゆえなのかもしれないと思ってしまう。
「ルークの言うとおりかもしれない」
この王都に入ってから私はリアムを「ルーク」と呼ぶことにしている。
盗賊という彼の職業柄、本当の名前を知られると無駄に痕跡を残すことになってしまうので、リアムの名前を別の呼び方にすることにしている。
「堅固たる壁に安心感がある。だからこそ、この国の内部はこんなにも平和で豊かで、人々の笑顔が溢れているのですね」
私が王女として住んでいたエルリーアは美しい国だったが、国土はそこまで広くなく、王都であっても、いま目の前に広がる人が何十人も横に並んで歩くことができるような道はなかった。
こんなにも多くの人が賑わい、栄えている様子はなかった。
それでも、私はエルリーアが大切だった。
これほど栄えてはおらず、これほど人は多くなく、これほど堅固たる安心の高さを表すような城壁もなかったけれど、私は生まれ育ったあの国が大好きだった。
自然の美しさと歴史が融合した水の都が今も恋しい。
二度とあの景色が帰ってくることはないと知っていても。
もう一度、エルリーアに帰りたい。
「サラ様、どうかされましたか?」
リアムの声に私はハッとなる。
ほんの少しの距離だがリアムは私の先を歩いており、私がついてこないことに気がついたらしく、半身をこちらに向けながら私を見ていた。
いつの間にか立ち止まってしまっていたらしい。
私の横を通り過ぎていく人のうち何人かが不思議そうな顔をして通り過ぎていく。
「ああ、失礼しました。ちょっと考え事をしていて」
少しだけ駆け足で私はリアムに近づく。
「長旅でお疲れでしょう。今日は質の良い場所でお休みいただけるよう私も鋭意努力いたします」
「ありがとう、そうなるといいのですが」
私がエルリーアの王女であることを信じてもらえるか、それが最大の懸念事項だ。
この王都にはおそらくは私を知る人はいない。約10年前に訪れたときは誰に会ったのかも思い出せない。虚言癖と罵られるぐらいならばまだしも、最悪の場合は間諜と疑われて牢獄に入れられてしまう可能性もある。
「大丈夫です。交渉はお任せください」
リアムの銀色の髪が風に少し揺れた。黄金の瞳が光に反射したような気がした。
まだ出会って数日だというのに、私のリアムへの信頼感は揺らぐことを知らない。ここまで来ることができたのは、あの森で偶然出会うことができたからだ。あのときリアムと出会っていなければ、いまの私はここにいない。
「本当に……ルークには何から何まで助けてもらって、感謝しています」
「私などに感謝は不要です」
そう言うとリアムは再び前に向かって歩き始めた。
いまはこの人だけが頼りだ。感謝以外の何も伝えられないのに、彼はその感謝すら不要だという。
私は、リアムに、この先、何かを返していけるだろうか。
*
「お城がもう目の前ですよ」
前方を指差しながらリアムが言った。私は頷く。
王都に入ったときからずっと前に見えていた巨大なお城がもう目の前に迫っていた。
もし王女と信じてもらえなければ、私だけでなく、リアムにまで危険が及んでしまうという不安や怖さで胸の奥で何かが渦巻き、吐き気まで催してきた。
でも、ここで倒れているわけにはいかない。
エルリーアの第一王女として、私はこの国でリアムと生きるんだ。