顔を上げると長い絨毯が続いていた。真っ赤なそれの向こうには玉座がある。絨毯の両端には十人以上の何かしらの役職を持つであろう者たちが立っていた。
私は一歩進み、ドレスの両端を摘まんで上げようとして、そこにドレスの裾などないことに気がついた。
そうか、いまの私はそんなものを着ていない。
旅人のごとく、動きやすいエルリーア製ではあるもののドレスのように広がる裾などのない衣服だった。
手を腰の高さに保ったまま何もない裾を持ったつもりで、目線を下げてお辞儀をする。
「偉大なるアークブレッド王、私はエルリーアの第一王女、サラ=エルリーアと申します。貴国の繁栄と平和を心よりお慶び申し上げます。急な来訪にも関わらずこのような場を用意していただき、心より感謝を申し上げます」
口上を読み上げながら、胸の鼓動が早くなることを感じる。
「ああ、堅苦しい挨拶はよいぞ。表を上げよ。この度は貴国に多大なる被害が出たと聞いている。友好関係にある貴国の支援ができず大変申し訳ない気持ちでおる」
ゆっくりと顔を上げる。王が手招きをした。
私は少しだけ前へと進む。後ろのリアムも足を進ませてくれていることがわかった
「この度のことは、憂うべき件として余も認識しており一刻も早い支援と思っていたところ王女だけでも免れたと聞いて驚きと共に、まさに不幸中の幸いであったと感じていたところだ。長旅、大変な苦労があったであろう。我が国としても其方を保護する方針だ」
「寛大なるお言葉をいただき、ありがとうございます」
一礼をしながら、自分の胸の中に渦巻く違和感に気持ち悪さを覚える。
なんだ、この違和感はなんだ。
表を上げてからもう一度、王を見る。目と目は合わせずに。
「余の保護下とはなるが、其方を迎え入れようと思うが、何か要望はあるか?」
アークブレッドはエルリーアより強国であり、軍事的にも経済的にも上位とされる国だ。「保護下」という属国のような扱われ方であったとしても何も文句は言えない。私は何の土産も持たない一王女、友好関係にある国と言えど、エルリーアからはアークブレッドに何ももたらすことはできないのだから。
ただ、この「違和感」は違うような気がする。
ふと頭の中にある言葉が浮かんだ。
『大事なことは我々を信じてもらえることだ。そのためなら手段は問わない。この後オレたちが試されることもあるはずだ』
ついさっき、リアムとやりとりした筆談での言葉だ。
「試されている」。
そうか。この違和感の正体はそういうことか。
私は試されているんだ。
私を試しているとするならば、誰だ? 何だ?
ゆっくりと左を見回し、それから右を見回す。壁の前に飾られた騎士の鎧をまとった像の前に一人立つ男性がいた。記憶の糸が紐づいていく。
「失礼します」
私は目の前の玉座に座る人物に一礼をして右を向く。
騎士の鎧をまとった像の前に立つ男性の前に立ち、お辞儀をした。ゆっくりと丁寧に。
「偉大なるアークブレッド王、ご挨拶が遅れ、失礼致しました。エルリーア第一王女・サラ=エルリーアでございます。幼き頃にお目にかかって以来、十年以上の歳月が流れましたが、この度、再び貴国にてお会いできることを心より光栄に存じます」
目の前に立つ男性は大臣と思わしき服装を身に纏っていた。
金色の長い髪を後ろで束ねており、質素な雰囲気に包まれたこの男性こそが王だ。
私が幼き頃にこの方に会っている。
軍事大国に似合わず穏やかな雰囲気を持つこの王に私はかつて会っている。
この十年、アークブレッドの王が変わったなどという話はエルリーアには伝わっていない。政治の安定しているとされるアークブレッドで王権が変わったなどという話もない。
「おお」という声があちらこちらで漏れていた。
「表を上げてください」
その声に私は顔を上げる。目の前の男性が優しく微笑んでいた。全身から穏やかな雰囲気を醸し出すそれは私の記憶とぴったり重なる。
私はこの方こそが現アークブレッド王であると確信した。
「非常事態でしてね。間者であるかを見極めさせていただく必要があったのです。無礼な真似をしてしまい、失礼いたしました。エルリーア王女」
「いえ、警戒されるのは当然のことです。こちらもすぐに気づくことができず、失礼いたしました」
「お気になさらずに。もう十年以上前になりますが、聡明さを感じさせる眼差しは今でも覚えていますよ。ここまで来る間も大変な思いをされたでしょう。どうかこの国にてゆっくりと身体も心も休めてください。部屋を用意させますので本日はお休みください」
「ありがたきお言葉です」
私はもう一度お辞儀をした。
振り返るとリアムが微笑んでいた。
そういえばこの人がこうして微笑む姿は初めてみたなぁと思った。