朝、着替えをしていると部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「王女様、よろしいでしょうか」
それはレイミの声だった。
「はい、どうぞ」
そう応えると扉が開けられた。レイミの後ろにはルイゼさんとスージーさんもいた。これではさすがにお友達のように話すわけにはいかない。
「おはようございます。王女様」
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
定型的な挨拶のあとにレイミが口を開いた。
「昨日も申し上げたとおり、本日、リエル王子が帰還されます。つきましては是非、王女様のお時間をいただきたく」
「はい……それは構いませんが……、王子は私に会うことなど御所望されているのでしょうか?」
「私どもが承ったお話ですと、是非王子がお会いしたいとのことです」
「そう……ですか。承知しました」
リエル王子がが帰還したからと言って、わざわざ私に会いたいなどということは個人的な感情ではありえないだろう。
何らかの理由、もしくは体裁が必要といったところだろうか。たとえば、形式的に、花嫁候補に会う必要がある、などだ。
形式的であっても自分が会うのならば、それなりの身なりにしなければならないだろう。午後に会うとのことなので、その時間に合わせて私はレイミと身支度をすることにした。
*
「リエル王子は……私に会う必要なんてあるのかな……」
髪をといてもらいながら私が言うと「うーん」という声が背後から聞こえてきた。
「私も王子の性格などは把握できていないけど、帰ったらすぐに妻に会いたいって人ではなさそうだよね」
「ですよね……。じゃあやっぱり形式的なものかな」
「そんな気はする。全く会わないっていうわけにはいかないのかも。王族って面倒だよ」
「そうだね……」
「あ、ごめん。サラのことを悪く言ったつもりじゃない」
私の沈んだ顔を見て、レイミが慌てて否定をした。私は首を横に振る。
「ううん。王族って本当に面倒だって思うよ。もしエルリーアに何事がなくてもこの結婚はありえたのかなって思う。父同士で話が進んでいたのかもしれない」
「当人同士の意志は関係なく?」
私は頷く。
「私の結婚に私の意志なんて関係ないんですよ」
「そっか……。でも、サラが少しでも幸せにこの国で過ごしていけるならそれはいいことなのかもね」
「幸せ……か」
私にとって幸せとは何なのだろう。
どうやったら幸せになれるかなんて考えてもみなかった。
そういう意味では、リエル王子に初めて会ったときに私に言った「いい気なものだな」はそのとおりなのかもしれない。
「まぁ、あんまり考えすぎずに」
いつのまにか俯いてしまっていた。レイミの言葉に私はハッとなる。
「そう……ですね」
「あー、そうやってまた中途半端な敬語……心開かれてないなぁ」
「あ、すいませ……え、違うか、ごめんなさい」
「だんだん変わっていけばいいけどね」
レイミがケラケラと笑った。
そのとき扉を叩く音がした。私が「どうぞ」と言うと扉を開けたのはルイゼさんだった。
「リエル王子がお呼びでございます。支度は済んでらっしゃいますでしょうか」
「はい、いま髪も整えていただいたところです」
「そうですか。では、こちらへ。王子がお待ちかねでございます」
私は椅子から立ち上がる。
レイミが耳元に近づき、
「王子は人に待たされるのが大嫌いらしいのでお早目に」
と囁いてくれた。私は頷く。
久々に纏うドレスの裾を持ちながら私は急ぎ足で扉へと向かった。
それにしても、いかに遠方に出ていたとはいえ、音沙汰もなかった王子が私に何の用だというのだろうか。
*
ルイゼさんに連れていかれた場所は、城の真ん中の高さぐらいにあるテラスだった。大理石でできた石畳は白く美しかった。
私はこの場所に出入りを許されていなかったので、入るのは初めてだった。
少し風が強く、髪が流されそうになるので抑えると今度はドレスをもっていかれそうになる。こんなところで何がと思っていると、城の下を見おろている男性の後ろ姿が見えた。リエル王子だ。
「私はこちらで失礼いたします。廊下側におりますので戻られる際はお声がけください」
「はい、ありがとうございます」
ルイゼさんは私に頭を下げて微笑むと下がっていった。
「おお、来たな」
私に気づいたリエル王子が振り返る。黒髪が風に揺れている。
黒い軍隊の服を身に纏っている王子は、その冷たい眼差しも加わり、より威圧感を増している。
「お久しぶりです」
私が頭を下げると、
「なんだ、それは嫌味か」
とリエル王子が言った。
「いえ、実際に十日ほどお会いしていなかったので」
「そうだったか? まぁいい。ちょっと西側のいざこざを平定させる必要があり、城を出ていた」
なんでもアークブレッド国に否定的な一部の集団が反旗を翻したらしいが、リエル王子を中心とした部隊が数日で収めてしまったらしい。
「見事、ご武勲をたてられたと耳にしました」
「思ったよりうまく進んだからな。もう数日はかかると思ったが、効率よく動いた奴がいたのでな」
「それは何よりです」
「オマエも知っているアイツが裏で動いていたらしいな」
「私が?」
私が知っている人が軍側にいるとすれば、思い当たる人物は一人しかいなかった。
「噂をすれば、あそこを歩いているな」
王子が見下ろす視線の先には帰還した部隊の姿があった。
その中の一人から私は目が離すことができなかった。
藍色の服を身に纏った銀色の髪を持つ男性の姿が見えた。
「ルーク=クアルテッド、オマエの元従者はなかなか面白い男だ」
部隊の中で颯爽と歩いていたのは、リアムだった。