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11 義妹の名案と彼の望み

 当主不在の話し合いは始まった。

 その内容は、使用する部屋の事。領地の管理の事や、税金の事、近隣の獣害事件の事まで。引き継ぎの内容だった。フィルラはそれらの話を淡々と進めていく。恐らく、当主が病に伏せているので、ほとんどの執務を彼女が負担しているのだと思しい。

 そして、話は婚礼の事へと移った。


「教会に一応段取りは済ませてあり、儀式だけなので二週間後には行えるそうです」


 随分性急だ。ノクティアは目をしばたたくがそれはソルヴィも同じだったようで彼も少し驚いた顔をしていた。


「随分と早く決まりましたね……」


「ええ、できれば早くに引き継ぎをしたく思いまして。察しの通りかもしれませんが、この二年程は私が夫の代わりに領主としての執務を行っております。さすがに私も疲労が限界というのもありますが、できるだけ夫の側に寄り添いたく思い……」


 ……我が儘を言って申し訳ございませんね。なんて心底申し訳なさそうに彼女が言うので、ソルヴィは即座に首を振っていた。

 これまで淡々と話していたのに、いきなり感情を乗せるように言ったからだろう。それも、その表情は先程までの凜然としたものとは代わり、女性らしい弱さが滲み出ている。


「本当にご多忙の中だったのですね、構いませんよ……」


 ソルヴィが答えると、フィルラの表情は和らいだ。

 いや良くないだろう。このままではどう足掻いても結婚する流れになってしまう。ノクティアは少しばかり眉根を寄せた矢先だった。叩扉が響き、即座にドアが開いた。


「あぁ! お母様、ここにいたのね!」


 現れたのはエリセだった。彼女は随分と不安げな表情だった。


「あら。どうしたのエリセ。今日はビョンダル領のソルヴィさんと、ノクティアさんとお話をすると言ったじゃないの」


「また妖精に攫われるんじゃないかって心配で……何だか急にお母様の顔が見たくなってしまったの」


 確かに、エリセの表情は二日前に見た時より窶れている気がする。若苗色の瞳を彩る目の下には青黒いクマがほんのりとあった。

 確かにハッっと気が付けば、夕暮れ迫る断崖絶壁の前にいるなんて怪事件に巻き込まれていたら、そうなるのも当たり前だろう。他人事のようにノクティアが思った矢先だった。

 エリセはこちらを見て目を丸くする。


「え! あらぁ……なんという事でしょう!」


 パチリと手を合わせたエリセはたちまち目を輝かせた。

 いったい何事か。ノクティアは怪訝な顔をするが、エリセはすぐさまソルヴィに詰め寄った。


「貴方がソルヴィ様ですの?」


 訊かれてソルヴィは困惑しつつ「ええ、そうですが」と頷いた。


「そうなのですね……〝ビョンダルの猛獣騎士〟なんて異名を持たれているので、恐ろしい殿方を想像していましたの。なのに、こんなに素敵な方だったなんて! 肖像もなく、名前と噂だけでしたので分かりませんでしたわ」


「ビョンダルの領主は私の兄が継ぎますからね。私はつい最近まで王国騎士団で過ごしていた事もありますし、年に数度しか領地には帰っていなかったので肖像は描かれていなかったのですよ」


 そんな風に答えて、ソルヴィはやんわりと笑んだ。

 あんなぶっきらぼうだったのに、本当に意外だ。

 しかし、こうもエリセが食いつくとは。確かに、エリセが〝野蛮〟なんていうので、その情報から自分も想像と違ったので驚きやしたが……。エリセがウゲェなんて舌を出していた記憶が新しい。ノクティアはやりとりをする二人を目も向けずに話だけ聞いていた。


 しかし──


「ねぇ! ソルヴィ様、お義姉様との婚約を取り消して、私とに変えませんか!」


 突如としてエリセの放った言葉にノクティアは思考が止まる。


「待ちなさいエリセ。折角話が纏まっていたのに、滅茶苦茶になります」


 冗談でもおよしなさい。と、フィルラが強く咎めるが、エリセはソルヴィの腕に抱きつき首を横に振る。


「だって。こんなに物腰柔らかくて、素敵な紳士だなんて知らなかったもの……! 開示情報が少なすぎるのよ! それに……」


 そう言って、エリセはノクティアに視線を向けた。


「貧困街から来た育ちが悪い庶子のお義姉様には、あまりに勿体ない殿方だと思いますもの……いくらお父様の子とはいえ、ソルヴィ様に申し訳ないと思いますわ」


 その言葉を聞いてノクティアはすぐに立ち上がった。


「それいいね。エリセ……あんたって教養ある癖に馬鹿だって思ってたけど、本当は頭が良いじゃない。最高に良い意見だよ。それがいい」


 皮肉たっぷりに言って、ノクティアは頷くがエリセはそれをまんざらでもない様子で受け取っていた。


「でしょうでしょう!」


 目を輝かせて彼女は嬉々として頷く。初めからこんな返しをしてくれるなら、良い義妹と思ったかもしれない。ノクティアはほんの少しだけ唇を綻ばせた。


「私はそうすれば、結婚して貴族生活なんてせずに貧困街に帰れるもの。これで全部元通り。その方がうんといい」


 そんな言葉を言って、ノクティアは部屋を出ようとした途端だった。


「エリセお嬢様……申し訳ないですが……」


 ソルヴィがやんわりとエリセの腕を解放し、今度は両手を包み込むように握る。


「私は家柄的にも貴女より身分の低い男です。貴女は私の身分を気にして、婚姻を断ったと聞いております。そうです、貴女は私にはあまりに勿体ない。それに、これは父親同士が決めた婚姻です。エリセ様には自由に恋愛する権利もある、夜会に行き、貴女の身分に見合った素敵な殿方に恵まれる機会だってあるかと思います」


「そんな……ソルヴィ様。私の事を気遣わなくとも」


 悩ましげなエリセにソルヴィはやんわりと笑む。

 そうして包み込んでいた手を離し、彼は振り立ち上がると首を振った。


「それに私は、この一週間ノクティアと過ごして……彼女を愛してしまいました。運命だと感じ、必ず幸せにしようと心に決めました」


 そう言って、ソルヴィは部屋を出ようとするノクティアに詰め寄るなり、強引に腰を抱き寄せた。


 ……今この男は何と言った。先日、結婚したくない意思を聞き入れてくれたばかりじゃないか。ノクティアは固まってしまった。

 ややあって頭が働き出す。逃げよう。そう思うが、やはりびくとも動かない。


「ソルヴィどうして!」


 ノクティアが怒鳴ると彼は、やんわりと笑む。


「ノッティ、そんなに怒る事ないじゃないか。怒る君も愛らしいと思うが」


「……ノッティ?」


 ノクティアは目をしばたたき固まった。それが自分に対する愛称なのだろうと分かるが……。歯の浮くような台詞と急展開で頭が追い付かない。

 ソルヴィは力になると言ってくれたが、やはり自分は騙されたのだろうか? ノクティアの腹にふつふつと怒りが込み上げる。


「私は嫌だと言った……言ったのに! 嘘吐き!」


「分かっている。だが今は大声を出さないでくれ。周りを混乱させてしまう。部屋に行ったら、いくらでもノッティの話を聞こう。だから、それまでは我慢してくれ」


 だから、そのノッティって何だ。妙な甘酸っぱい空気を放つ彼に、ノクティアはウゲェなんて苦い顔を浮かべてしまう。


「まぁ。そういう事みたいだわ、エリセ。お二人にはもう素敵な縁が繋がっているのよ。ソルヴィさんが言ったように貴女にはこれからとても素敵な縁があるはずよ? 自由に恋愛だってしていいの」


 フィルラは立ち上がって、エリセを優しく宥めた。そんなエリセはというと、目を細めて恨めしそうにノクティアを睨んでいる。

 いや、自分に向けないで貰いたい。向けるならこの男にしろ! とノクティアも睨み据えて訴えるが、彼女は更に目を尖らせるだけだった。


「全部が丸く収まったようで、私としてもひと安心です。スキュルダ、少し良いかしら? お二人の部屋に案内してあげてちょうだい。それからノクティアさんに侍女を付けてあげて。ドレスなどの着付けや髪の手入れに必要でしょう」


 フィルラがそう呼びかけると、貫禄ある女使用人はフィルラに傅く。


「ええ奥様、畏まりました。侍女もこちらから相応しい者を選びます」


 そう言ってスキュルダと呼ばれた中年の女使用人に導かれて、ソルヴィにきつく腰を抱かれたままのノクティアは部屋を出た。

 怒り散らしたくて仕方ない。それでも今はダメだと分かる。早く部屋まで連れて行け。ノクティアは怒気を露わにした顔で廊下を大股で歩んだ。

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