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13 もう一人の〝お嬢様〟として


 ヘイズヴィーク侯爵家に来て一週間ほど。気付けば結婚式まで、残り一週間が迫っていた。


 ノクティアは離れにずっと引き篭もっていたかったが、結婚式で着るドレスの装飾選びや、アクセサリー選び、立ち方歩き方の練習で本邸の方に行かざるをえなくなってしまった。


 とはいえ、一日に二時間程度だ。それに、この場にはノクティアを虐待した使用人たちはいなかった。

 採寸を行うのはノクティアの侍女になったソフィアで、手直しをするのは屋敷が雇っている仕立屋。装飾品を持ってくるのも同様に、お抱えの宝石商だった。


 しかし、少しだけ気がかりなのは、そこにエイリクの姿もあった事だ。


 エイリクは病に伏せている父の代理との事らしい。


「イングルフ様は、ノクティアお嬢様が気に入ったものを選ばせてあげてくださいとの事です」


「……お嬢様」


 ノクティアは目を細めて、テーブルの上にずらりと並べられた、煌びやかで豪華な装飾品を一瞥した後にエイリクを一瞥する。


「どうなさいますか? ノクティアお嬢様」


 嫌がらせだろうか。ノクティアは、煙たい顔でエイリクを見上げる。

 自分を虐待した使用人たちの統べる人間……つまりは諸悪の根源の親玉だ。ソルヴィはエイリクだけはきっと関与していないだろうと言ったが、どうにも信用できない。けれど、仕立屋に宝石商などの外部の人間がいるくらいなので下手な事は今できない事は予測できる。 


「あのね。私はここの屋敷のお嬢様じゃないの」


 きっぱりと言うと。エイリクは目をしばたたき、口元を綻ばせる。


「何をおっしゃいます。貴女はイングルフ様のご令嬢。お嬢様に違いないですよ」


 エイリクは屈んで更に言葉を続けた。


「いいですかノクティア様。外部の方もいらっしゃるので、〝お嬢様〟と呼びます事、どうぞ慣れてくださいませ。それに貴女は事実〝お嬢様〟ですよ」


 小声で吹き込みようにエイリクは言う。そうして、顔を見合わせると、優しげな笑みを浮かべていた。


 やはりどうにも胡散臭い。

 口達者でこうしてニコニコとしている人間は詐欺師のようだと思う。詐欺で生計を立てていた人間もやけに口が回って、こんな雰囲気だ。窃盗や物乞いをする人間より自分の方が優秀で頭が良いと、どこか上から目線だ。だからいけ好かんのだ。


 ノクティアは目を細めつつも仕方なしにと頷いた。ここで迷惑をかけてしまえば、ソルヴィにも迷惑が降りかかるのは分かっている。現在唯一頼れる存在であって、自分の最大の弱みと秘密を握っている相手だ。そして夫になる相手……。


「ノクティア様聞いていました? お返事はどうでしょう?」


 ぼんやりと考えていた。エイリクの言葉にノクティアは無言で頷いた。


 そうして、ノクティアが選んだものは銀細工の施された琥珀のチョーカーと髪飾りだった。


 燃えるような赤、氷河のような青、夜空の星を閉じ込めたかのよう角度によって、光沢を放つ灰色の石などもあったが……最も気に入ったのがこれだった。実際に試着して鏡でも見たが、一番これがしっくりときて気に入った。


「琥珀ですか。ソルヴィ様の瞳の色によく似ていますね。とても素敵ですし、お似合いですよ」


 鏡の中で目のあったエイリクの言葉にノクティアすぐに目を細める。だが、確かに思えばそうだ。この色は彼の瞳によく似ているだろう。そんなつもりはなかったのに。しかし、また選び直しも面倒臭い。


「あんたのせいで全部が台無しなんだけど……」


 ぽつりと言うとエイリクは首を横に振る。


「きっとソルヴィ様は喜びになられると思いますよ?」

「何を根拠に……」


 ふて腐れた調子でノクティアが訊くと「歳を取った男の勘です」と彼は優しく笑むばかりだった。


 こういった優しげな視線や表情を見ていると、ソルヴィに向けられるものと近しいものを感じて、やはり悪意や敵意は無さそうにも思えてしまう。けれど……絆されてたまるか。危機感を持たなくては。ノクティアは首を振って、ツンそっぽを向いた。


 そうしてその翌日にはドレスも仕上がった。ノクティアの薄く華奢な体躯にだからこそ合うだろうと、ウエスト切り替えがあり、腰周りにたっぷりなボリュームを出したデザインだった。


 裾の方には銀の刺繍が施されており、装飾品に選んだ琥珀と同じ透明感のある黄褐色の宝石が縫われている。こちらはどうやら琥珀より安価で小さく加工のしやすい硝子製らしい。


 実際に試着して鏡に映った自分を見て、ノクティアは驚いた。

 ドレスに慣れるようにと二日に一度はドレスを着せられているので、もうさほど驚かないとは思ったが、結婚式用のドレスはやはり格別だった。


 本当にこれが貧民街の女かと。あのみすぼらしいボロボロのウールのワンピースを着ていた女かと……自分でも驚いてしまう程の変貌だった。


 ソフィアに毎日髪の手入れもされて、少し整えて貰った事もあって光沢がある。それに、ほんのりと化粧もされているので血色も良い。その場に居たソフィアも、仕立屋の者たちや宝石商もノクティアの姿を見てうっとりとした表情を浮かべていた。

 そんな反応を見ると、そこまでかと更に驚いてしまうが、照れくさい部分もあった。


「本当によく似合っておられます……イングルフ様にも見せたい程に……」


 エイリクにも感嘆として言われて、ノクティアは眉を寄せた。

 会いたいなどという気持ちは毛頭ないが、屋敷に来て本当に一度も見かける事がないので、今更のように聞いてみる。


「当主はそんなに病状が悪いの?」

「ええ、もう歩く事はできません。寝たきりです」


 先が長くないとは聞かされていたが想像以上だった。ノクティアは唖然とする。それならば、夫人は早くにソルヴィに引き継がせたいというのも無理がないだろう。

 領主の仕事がいかなるものかはノクティアにはよく分からない。けれど、一つの領土を仕切るのは果てしない事だと予測ができる。自分としては巻き込まれただけで良い迷惑だが、そちらもそちらでこうも切羽詰まっていたとは……。


「そうなんだ」


 それ以上の言葉は出なかった。けれどエイリクはノクティアの言葉に対して──「そうなのですよ」と穏やかな視線を向けて言うのであった。


 ---


 素敵なドレスが仕上がった翌日だった。

 ソルヴィとノクティアが朝食中を食べている最中、食後のお茶を取りに行ったソフィアが血相を変えて戻って来た。顔は真っ青で息を切らした彼女はノクティアを見るなりに泣きそうな顔をする。


「ノクティア様っ……」

「どうしたの……」


 ただごとでない様子に無視はできなかった。次第に彼女の瞳は潤うので、ノクティアはぎょっとしてしまう。


「ノッティがあまりに素っ気ないから、悲しくなっちゃったんじゃないのか?」


 ──この子は無害そうだから、普通に接して大丈夫だと思うぞ。なんてソルヴィが小声で言うので目を細めて睨んでやる。


 確かに素っ気ないかもしれないが、こんなに泣きそうになる程か。それに、着付けの時などは一緒に本邸には行くし、最低限の会話はするし答えている。


「どうしたの……」


 もう一度訊くと、彼女の瞳からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。


「ノクティア様のドレスが何者かによって、引き裂かれてボロボロに。今日で最終調整だったはずだったってお針子さんたちが……」


 その言葉を聞いてノクティアは目を丸く開くものの、呆れてすぐに半眼になる。


「そんな事で泣かないでよ」


「……そんな事って、あんなにお綺麗だったに。素敵だったのに。結婚式まであと一週間切っていますし」


 この侍女はどこまでも純朴か……。

 人の悪意にこれまで触れてきたはずだろうに、こんな性格だから厄介事を押しつけられて損な立ち回りをするのだろうと簡単に想像できる。ノクティアは目を細めるが、ソルヴィはすぐに立ち上がった。


「俺も行こう。恐らくだが、屋敷の中に犯人がいるだろう」


 ノッティも行くぞ。と促されて、ノクティアは渋々と立ち上がり、ソフィアに案内されて、ノクティアの花嫁衣装が保管されている本邸の一室へと向かった。

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