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14 引き裂かれた花嫁衣装

 部屋に着くなり、ノクティアは絶句した。

 ただ引き裂かれたものだと思ったが、想像以上だった。昨日着せて貰ったドレスは見るも無惨だった。


 丁寧に刺繍された箇所にまで刃物が入ったのだろう。縫い付けられた琥珀色の硝子細工は床に飛び散って踏みにじられている。

 昨日までふんわりとした愛らしいドレスだったものは、本当にに変わり果てていた。


 仕立屋の女たちがこの銀刺繍を一生懸命に縫っていたのをノクティアは見ていた。一針一針を丁寧に刺していた事は分かっている。

 これまで服に関心が無かったが、こうも労力を必要として作られていると思わなかった。どれほどの悪意があれば、こんな事ができるのだろう。自分が貧困街出身者という事から嫌われているのはよく知っているが……。


 既に到着していた仕立屋の女たちは落胆した様子だった。泣いている者さえいる。ノクティアはいたたまれない気持ちに追いやられた。


「おはようございますソルヴィ様、ノクティア様」


 現れたエイリクも落胆した面だった。そして二人に深々と頭を下げて謝った。


「使用人頭の私がおりながら、こんな事に……犯人は間違いなく屋敷の中にいるでしょう。ノクティア様に以前」


「エイリク」


 ソルヴィは低くがなるような声を上げて、エイリクの言葉を遮った。


「……俺たちの住んでいる離れに移しておけば、こうはならなかったかもな。それだけの事だ」


 ソルヴィは淡々と言うだけで、エイリクを咎める事はなかった。

 目の前にいるので、あの記憶を思い出させないように彼が気遣ったのだと、ノクティアはすぐに分かった。


「ねぇ。結婚式は遅らせてもいいし、挙げなくたっていいよ。私のせいで他人に悲しい思いはさせたくない」


 ノクティアが率直な意見を述べた途端だった。 


「あらあら、まぁまぁ……何の騒ぎかと思ったら酷い有様じゃないの……ドレスが可哀想」


 現れたのはエリセだった。隣に立つ妙齢の女は侍女だろうか。彼女は以前、暴行を受けるノクティアを見て嘲笑していた女使用人のうち一人だった。


「あら、ソルヴィ様おはようございます」


 エリセはノクティアを一瞥するものの、ソルヴィにだけ挨拶した。対してソルヴィは丁寧に挨拶を返す。


「私、思うのですけど……こんな事をするのはお義姉様本人ではないでしょうか? だって、ソルヴィ様は熱烈に婚姻を申し込んでいるにも関わらず、お義姉様は拒否したんですもの。他に考えられます?」


 エリセの放った言葉に、仕立屋の女たちに宝石商はぎょっとした視線でノクティアを射貫く。しかし──


「いいえ。ノッティは存外早寝です。日付を跨ぐ前には寝ていますよ」


 ソルヴィは淡々とした調子でエリセの言葉を否定した。


「それに侍女もノッティと部屋の隣に控えていますからね。彼女らは一切関与していない。そもそも部屋を出るには、私の部屋を通過しないと外に出る事もできない奥部屋です。それに、ノッティは私との婚姻をきちんと承諾しています」


 ──そうだよな? と訊かれて、ノクティアは頷いた。

 気楽にやっていけば良い。それで一応納得している。


「承諾しているし、もう腹は括ってる。決めた以上はソルヴィに迷惑はかけられない。それに、仕立屋さんが一生懸命に私のドレスに刺繍をしてくれたのを間近で見ている。悲しませるような事はやろうと思えない」


 ノクティアが素直に言うと、エリセは目を瞠ってぽかんとした表情になった。かと思えばケラケラと大声で笑い始めた。


「あらぁ、そうなの! お義姉様は面白いわね!」

 ──言葉選びが幼稚で可愛いわ。そんな風に付け添えて微笑むと、エリセは颯爽と去って行った。


「……私、変な事言ったかな」


 去ったエリセの背を見つつ、ぽつりとノクティアが言葉にすると、ソルヴィはすぐに首を振った。


「そんなはずがない。ここにいる全員に響いたし信憑性があるだろうよ。なぁ?」


 その言葉にエイリクも頷く。また仕立屋の女たちも宝石商もノクティアの方を見て優しく微笑んでいた。


 ──しかし、いったい誰がドレスを破いたのか。

 ノクティアはその件がとても気がかりだった。


 恐らくエリセ本人か使用人だろうと憶測が立つが……。


 その日の昼過ぎノクティアが、庭でぼんやりと過ごしていれば、青白い蝶が舞いスキルとヴァルディが現れた。


『使用人の気配無し! 侍女の気配無し! 安全安全! よっすノクティア!』


 ヴァルディは相変わらずの軽い調子でノクティアに挨拶する。片や、スキルは思い悩んでいる様子のノクティアにすぐに気が付いた。


『ノクティア、どうしたのです? どこか体調が悪いのです?』


 訊かれてノクティアはすぐに首を振った。


「どこも悪くないけど、気がかりな事があってね」


 そうして事情を説明すると、ヴァルディは何か思い出したように『あ』なんて声を上げる。


『あのさ。昨晩さ、本邸の方で月明かりに反射してキラキラ光るもん見えたんだよ~何だあれ~めちゃ綺麗って思ったら、ハサミ持った女がいた』


 まさにそれだ。ノクティアはヴァルディを見る。


「ねぇヴァルディ。それって何時くらい? 一人だった?」


『月や星の位置から日付を跨いで少しじゃね? 多分一人と思うんだがなぁ。寝間着姿だったが、使用人だと思うぜ? どう見ても、おまえの義妹じゃなかったなぁ』


 なるほど。しかし、その現場を押さえつけられたらいいが……もう事が起きてしまった後だ。他にいったい何ができるのか。ノクティアが思案顔になると、肩に留まっていたスキルはノクティアの膝に移った。


『悪意ある行為は続けてやりますよ。今夜にでも他をやる可能性はあります。たとえば靴や装飾品とか……』


 そういえば琥珀の髪飾りとチョーカーがあった。次の標的はそれかもしれない。


「だけど、私が自分一人で飛びこんだところで、言いがかりを付けられる可能性もありうるし捕まって……」


 ノクティアが青ざめて、思考をぐるぐると巡らせていた矢先だった。


『いい事を思いつきました。あなたの旦那様に協力して貰いましょう。私たちも犯人捕獲を協力します』


 スキルは何かを思い立ったように言う。


「え? ソルヴィを……? 言葉通じないでしょう。どうするの?」


 ノクティアが訝しげな顔をすると『少しの時間なら可能ですよ』とスキルはあっさり言った。


 ---


「……で、俺に協力を仰いだわけか」


 ソルヴィが引き継ぎの執務についての面談が終わって本邸から帰って来たのは陽が傾き始めた頃だった。ノクティアはワタリガラスたちと一緒にソルヴィに協力を仰ぐ。


「勿論良いが、俺に何ができる?」


『あなたには犯人を捕まえていただきます。私たちは本来の姿に戻り、ノクティアに実体を与えて貰います。私たちが脅し、あなたに捕縛していただく方向です。実体を与えて貰えれば、私たちは人間と話す事ができますからね』


 スキルの言った言葉をそのままソルヴィに伝えるが、そんな事ができるのかと初めて知ってノクティアは驚いた。


「そうなの。知らなかった。ちなみにカラスの姿の時はできないの?」

『できませんね。これは力を最大に抑えた姿ですし』

「でもそんな簡単に私、あなたたちに実体を与えられるの?」


 魔女になってまだ一ヶ月も経っていない素人だ。本当に簡単にできるのだろうか……不審点を言えば、ヴァルディは『できるに決まっているだろ』なんて呆れて言う。


『ノクティア。女神様から力を授かった時の事を思い出してみろ? あの要領でやれ。要は想像力よ。今はおまえの侍女もいないし、試しに僕に実態与えてみっか?』


 ヴァルディはそう言って半人半鳥の本来の姿に戻った。確かにこの姿を見たら、オドオドとしたソフィアならひっくり返って失神してしまうだろう。


「……ヴァルディが練習に実態を与えてみろって。ソルヴィでも多分驚くと思うし、怖いって思うかもしれない。だけど、大きな声を出さないってお願いできる?」


 ノクティアが不安げに訊くと、ソルヴィは深く頷いた。


「ああ勿論だ」


 そう言われたので信頼する他ない。


「ヴァルディ……目を瞑って。少し屈んで」


 素直に従ったヴァルディの額にかかった髪を掻き分けて、実態を与え可視化されるよう念じて口付けを与えた。

 これで本当に見えているのだろうか。特に変わったようには見えないが……。


 ノクティアが曖昧な顔でソルヴィを見るが、彼は目を瞠って、ヴァルディを凝視していた。


『ちぃーっす。見えてるぅ? 聞こえてるぅ? 旦那様』


 軽い調子で言って、ヴァルディはニヤリと尖った歯を見せる。ソルヴィは目を瞠ったまま何度も頷いた。だがたちまち目を輝かせるばかりで……。


「やっぱワタリガラスは格好良いな……本当はそんな姿だったのか。すごいな、随分と厳つい手だ。神話の怪物のようで格好良いぞヴァルディ」


 予想もしなかった反応だった。ノクティアは固まるが、それはヴァルディも同じで、彼はぽかんと口を開けるものの、すぐに瞳を爛々と輝かせた。


『やっべー。まじでおまえの旦那良い奴だな。僕、好きになりそ』


「実態を与えるためとはいえ、おまえがノッティからキスされたのは内心気に食わない部分はあったが……その言葉で全部すっ飛んだ」


 そうして二人は豪快に笑う。


 ……なんだこの会話は。確かに口付けしたが、額だから数には入らないだろうとは思っていたが。あの日の茶番で言われたソルヴィの愛の言葉が頭に過ってしまう。

 無性に恥ずかしくなり、ノクティアは目を細めてスキルと一緒に二人を傍観していた。

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