その日の夜半ノクティアはソルヴィの部屋で過ごしていた。
〝今夜は彼の部屋に寝泊まりする。結婚式の話をしたい〟と侍女のソフィアに言ったところ、彼女は少し驚きつつも了承した。
ドレスの事もあった手前だ。そもそも夫婦となる男女が一晩同じ部屋で過ごすならば、わざわざ様子を見に来ないだろうとも思う。
しかし本当の理由は……これから行う作戦が関わっている。
そんな今現在、ノクティアは初めてスキルの本来の姿を見て目を丸くしていた。
整った顔立ちに灰色の肌に青光りする程の黒髪……と、ヴァルディとよく似た容姿ではあるが、髪は長く、真っ黒な瞳を彩る睫毛は長く、唇はぽってりとしていた。
そして身体はしなやかで、釣り鐘のような大きな胸。それを包むように羽毛で覆われており──
「スキルってメスだったんだ……あんた、とても綺麗だね」
ノクティアは呆気に取られてしまうのであった。
『そうですか? ありがとうノクティア』
その声も麗しく、耳当たりの良いものに変わっており、うっとりする程だった。
しかし女のノクティアから見ても、なかなかに刺激的な風貌である。彼女にも実体を与えて良いものか。人間の男として、ソルヴィは果たしてどんな反応をするのだろうか。ノクティアは悩ましげに思いつつスキルの額に口付けすると、ソルヴィはパァっと目を爛々と輝かせた。
「おまえがスキルか。ヴァルディとは双子か? おまえは美しく格好良いな……」
反応が思ったのと違った。そこには全く厭らしさが含まれていない。
『あら、旦那さんもありがとうございます。ヴァルディとはまぁ……そのようなかんじの片割れです。私たちには
そんな風に言ってスキルは微笑む。
思えば、死の女神に会った場所では沢山の青白い蝶が飛んでいた。あれは彼らと似たような存在かもしれない。
「さて。そろそろ十二時を回る。俺は本邸の〝あの部屋〟付近に待機する。おまえたちも頼んだ」
ソルヴィがそう言葉をかけると、大斧を背負い、二羽は頷く。
こんな物騒なものを持って行く必要があるかと思ってしまうが、一応の護身用との事らしい。初めこそは木こりの道具だと思っていたが、これが彼の騎士としての得物らしい。
(それじゃあ騎士じゃなくて戦士……)
そうは思ってしまうが、それが最も適性があり親しみやすいと本人は言う。
本当に古き時代のフィヨルドの戦士そのものじゃないか。それでは確かに、ヴァルハラの戦神だの、ワタリガラスを愛好するのも頷けた。
「じゃあ、ノッティ行ってくる。おまえは部屋でゆっくりしていてくれ」
そう言って屈んだソルヴィはノクティアの肩を優しく撫でた。
「うん。気をつけて」
当たり前のように返事した途端だった。
『おいノクティア。旦那に行ってらっしゃいの〝ちゅ~〟くらいしてやれば?』
「は?」
ヴァルディの言葉にノクティアは目を細める。
『そういうご褒美やお守りあると男は燃えるんだよぉ~知らねぇの?』
何だそれは。ノクティアが更に目を細めると、真っ正面から期待の眼差しを感じてしまった。
「確かにやる気は出る……すごく出る」
勘弁して欲しい。だが、既にオスであるヴァルディにもしたのだ。額くらいいいだろう。しかし、この二羽の前でするのは何だか恥ずかしい。ノクティアはそっぽを向く。
「終わったらでいい? 今は恥ずかしい……」
そんな風に答えると、彼は『勿論だ』と言って、優しく笑んでいた。
---
ノクティアはソルヴィの部屋のベッドに座って、視覚共有だけしていた。
二羽とソルヴィは本邸のドレスが保管された部屋に辿り着く。
部屋の前でソルヴィは待機する。ちょうど廊下に壺が置いてあった。その影に身を潜めるらしい。
そして二羽のワタリガラスたちは、ノクティアのドレスや装飾品の保管されていた部屋に身を潜めた。
恐らく、連日来るだろうとスキルは言ったが、本当に犯人は来るのだろうか。ノクティアはスキルの視界を眺めながらぼんやりと待つ。
既に日付を跨いで一時間以上の時間も経過したので、段々と眠たくなってきた。ソルヴィと二羽が出て三十分が過ぎようとした頃だった。
わずかな物音がした。スキルの視界を見ると、ドアの方に銀に光るものが見えた。月明かりに反射されて、鋭い光を放っている。それをシャキシャキと動かしており、女は部屋を物色する。
見る限り女だ。ナイトドレスを纏っており年端は若い。彼女はテーブルの前まで歩み寄り、ノクティアの琥珀の髪飾りに手を伸ばした途端だった──スキルとヴァルディは恐ろしい速さで接近する。
『こんばんは~お姉さぁん、その刃物キラキラして綺麗だねぇ。昨晩も見たよぉ。で、何やってるの?』
『素敵な夜ですね。夜更かしは美容の大敵ですよ?』
キヒヒと気味の悪い声で笑い、ヴァルディは女に詰め寄って顔を近付る。スキルはクスクスと笑って、女をジッと見据えた。
……共有された視界に映る顔は、見覚えのある顔だった。
あの晩、納屋にいた観客の一人だ。確か、エリセの侍女とヒソヒソと話して罵った使用人の女に違いない。
青ざめた使用人の女はたちまち、甲高い悲鳴を上げた。
「きゃあああああ! バケモノ、いや……いやぁああ!」
叫ぶ彼女は手に持ったハサミを振り回す。
スキルの目の前に銀の刃先が襲いかかった。しかし一瞬にしてオーロラの煌めく極冬の世界──冥府ヘルヘイムの上空に変わる。
やがて青白い光に包まれ、再び視界は屋敷に戻った。
実体を与えているのだから傷付ける事は可能だ。スキルの無事にノクティアはホッと胸を撫で下ろす。
『愚かなお嬢さん。あなたの指示者はだぁれ?』
スキルはニヤニヤとした口調で面白そうに聞く。しかし、狂乱した彼女は奇声を上げて容赦無くハサミを振り回す。
スキルとヴァルディの人間離れした姿を見ただけで、怖じ気づくかと思ったが意外だった。だがその途端──部屋のドアを蹴破りソルヴィが部屋に踏み入る。女はその途端に、ソルヴィに詰め寄りハサミを振り翳すが、彼はそれを大斧で受け止めた。
「……何の騒ぎだ騒々しい。ここで何をしている」
ソルヴィの声と同時にカランと床にハサミが転がる音が響き渡った。
「ソルヴィ……様?」
絶望し底知れぬ畏怖に怯えたような声だった。
スキルの視界から最後に見たのは、大斧を構えるソルヴィの前にへたりと座る女使用人の姿だった。
間髪入れず、二羽のワタリガラスはノクティアのもとへ戻って来た。
『ただいまノクティア』
『ただいま~あとは旦那がどーにかしてくれるんじゃねぇ?』
そう言って二羽はスッとカラスの姿に戻った。
「二羽とも無事で良かった。目の前にハサミが掠めたから心配だった……スキル、怪我はしていない?」
ノクティアが心配そうに訊けば、彼女は『ええ、やはりノクティアは優しいですね』なんて言って、頬を擦り寄せた。
金切り声が響いた事もあって本邸の明かりは次々につく。
ソルヴィが帰って来たのは、それからややあってからだった。
「ただいま。犯人は捕まえた。随分と狂乱していたな。とりあえず、すぐに来たエイリクに引き渡した。処罰はエイリクに委ねる。多分解雇にするだろうな。それと、昨日の犯行も認めたよ」
──なにやら、スキュルダというあの女使用人に指示されたとの事を彼女は泣き喚きながら言ったが、後から訪れたスキュルダは断固否定したと……。
「そうだったんだ……ソルヴィ、色々ありがとう」
素直に礼を言うと、彼は『当たり前の事をしただけだ』と笑むが、すぐに思案顔になった。
「恐らくだが、ここの使用人派閥が色濃くあるのだろう。当主のイングルフ様が雇っていた使用人と夫人のフィルラ様の連れてきた使用人。貴族の屋敷で働く使用人の派閥ってだいたい、夫側と妻側で分かれるもんだ。そして新たに雇った使用人がどちらに着くかとかで……」
そんな話をしつつ、ソルヴィはノクティアの座るベッドに寝そべって目を細めた。
「とりあえず、また後日……エイリクかノッティの侍女から話を聞こう、何より装飾品は壊されなくて良かった」
──ノッティの選んだ琥珀の髪飾り綺麗だったな。当日が楽しみだ。
ふわふわとした口調で言って、暫くするとソルヴィは静かに寝息を立て始めた。
時計を見ればもう夜中三時を回っている。彼も彼で早寝だ。相当に眠かったのだろう。ノクティアも彼の隣に寝そべった。その時、ふと
「ソルヴィありがとう」
そう言って、ノクティアはソルヴィの額に口付けを落とし、そのまま瞳を閉じた。