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45 賢女の力量

 それからスキルに案内されて、二人が辿りついたのは、偶然にもマリオラの家から近い白樺の雑木林だった。

 さっそく凄まじい言い争いが聞こえる。男とも女とも判別できない子どもの声ではあるが、なかなかに汚い罵り口調で……


『ざけんなコラァ! おら、さっさと指輪よこせ』


 金品をたかるゴロツキだろうか。何だか懐かしい既視感にノクティアは目を細める。

 もう片方の声はやはりカラスの鳴き声にしか聞こえないが、ヴァルディの罵声から、スキルの事を言っているのが分かる。


『ほざけ、あいつは俺のメスだ!』


 ……そう、だったのか? ノクティアは肩に留まるスキルを見るとつぶらな瞳をまたたかせ『はわわ』なんて声を上げている。

 明らかにまんざらでもない様子だった。確かに本来の姿は恐ろしくも美しい美男美女。双子のように似ているので、確かにお似合いではあるが。


 しかし、どうしたものか。決着は付くのか……。この状況は介入しようもない。

 隣で腕を組んで林を激しく飛び交う二羽のオスカラスを傍観するソルヴィは同じ事を思ったのだろう。


「さて、俺たちはどうしたものか……」


 彼がそう呟いた矢先だった。


「あら……ノクティア様?」


 突如、背後から声をかけられて振り返るとマリオラがいた。買い物帰りだろうか。彼女の持つバッグにはバケットが飛び出ていた。


「何だか、カラスが騒いでいると思ったけど……一匹は多分、神聖な生き物よね? つがいを巡って喧嘩かしら……」


 そうだ。この人は精霊と関わりのある花の賢女だ。見えないものも見える存在である。しかしこの口調から、スキルとヴァルディの声も聞けるのだと思しい。


「マリオラさん、こんにちは。そうなの、一羽は私の連れで……」


 これまでの経緯を説明すると、彼女は気の抜けたため息をついて微笑んだ。


「そうなのね。じゃあその銀の指輪を返して貰えばいい訳ね」


 そう言うと、彼女は三つ手を叩き──白樺の木々に宿る精霊たちに呼びかけた。


「花の賢女の名のもとに命じるわ。白樺の精霊よ。そこで喧嘩している元気なカラスの男の子たちを落ち着かせるよう、黙らせてちょうだい」


 瞼を伏せ、静かに厳かにマリオラが告げた途端だった。

 涼やかなそよ風が吹き抜けたかと思えば、瞬く間に白樺林に強風が吹き荒れた。ザワザワと木々を揺らし、空気中には黄緑や緑、金……と光の粒子が踊り、囁くような笑い声が幾重にも響く。


 ……これが精霊を使役するという事か。


 幻想的な光景に、ノクティアとソルヴィはその様に目を瞠った。それはノクティアの肩に留まるスキルも同様で彼女は目をしばたたいている。

 やがて、風が止むと森は嘘のように静まりかえる。


「カラスのお嬢さん。あなたも神聖な存在よね。今のうちに銀の指輪を返してもらいに行ってらっしゃい」


 マリオラは片目を瞑って微笑んで言う。

 スキルはハッと我に返り、すぐさま飛び立った。


 花の賢女……植物の精霊と繋がるとは言うが、まさかこんな事までできてしまうとは。


「マリオラ女史、あなたも神秘の力を……」

「ああ、領主様。すみません挨拶もろくにせず、それにいきなり、驚かせましたでしょう」


 申し訳ないと、マリオラは胸に手を当てて、ソルヴィに丁寧な礼の姿勢を取る。


「いや、いいんだ。貴女も俺の妻も神秘の力を持っている事は分かっている。相談に乗ってくれたとの話も聞いた。俺から咎める事など無い」


 気にしないでくれ。と、今一度言うと、マリオラは口元を綻ばせた。


 それからややあって、スキルは銀の指輪を銜えて戻ってきた。しかしその指輪は思ったよりも大きくて、とてもあの女性のものと思えなかった。

 これではないかもしれない。そんな不安も抱くが、二羽が見つけ出したのがこれだ。きっと違いないだろうとは思う。


「スキル、そういえばヴァルディは?」


 ノクティアが訊くと、彼女は目を細めて首を捻る。


『幹の上でさっきのオスガラスと呆けていましたねぇ。〝僕らさぁ、何を争ってたんだっけぇ……なぁ兄ちゃん?〟なんて言って』


 片割れなだけあって、絶妙に似ている真似だった。しかし、そんなにおっとりした口調で話すのか、あのヴァルディが。


「そう、じゃあ置いて行ってもいいかな……暫くしたら正気に戻るかな」


 そうして、ノクティアとソルヴィとスキルはマリオラに礼を言って、雑木林を後にした。



 街の中心部にある広場に戻った時には、日が傾き、夕刻が刻一刻と迫っていた。

 黄色く色付き始めた大きな銀杏の木がある。その下のベンチに座したあの女性を見つけると、ノクティアは急ぎ駈け出した。


「ああ、奥様……すみません」


 彼女はノクティアに気付くと急ぎ立ち上がる。


「家にも帰って今一度見ましたが、どこにも見当たらなくて……」


 あれからもまだ泣いたのだろう。彼女の瞳は赤く充血して涙の跡があった。


「私の友達が見つけ出してくれたの。カラスの巣にあったみたい。これってそう?」


 ノクティアはハンカチーフに包んだ銀の指輪を見せると彼女は口を押さえてたちまち涙ぐみ──何度も頷いた。

 良かった。どうやら失せ物は見つかったようだ。

 彼女はそれを受け取って、自分の指に嵌めるが、やはりサイズがどう見ても大きい。


「拾った時も思ったけど、かなり大きな指輪だね……」


 そんな風に聞くと、彼女ははにかむように微笑んだ。


「あの人ってば、私の指の大きさが分からなくて、自分の小指のサイズくらいで丁度良いだろうって……作ったみたいで。そしたら、どの指もぶかぶかで」


 突然のプレゼントで喜ばせたかったのだろう。そんな風に付け添えて、彼女は指輪を大事そうに薬指につける。しかしこれではまた落としてしまいそうな気さえもした。


「大事なものだから……お家で保管した方がいいかも。また落としたら大変だもの」


 ノクティアが言うと、彼女は優しく微笑み頷いた。しかし──


「肌身離さず付けておくならば、ネックレスにしてみるのはどうだろうか」


 そんな風に言って、ソルヴィは腰に携えていた物入れから革紐を取り出した。


「ご婦人、失礼。少しその指輪を貸してくれないか?」


 そんな風にソルヴィが言うので、彼女は指輪を手渡した。それからものの数分だった。ソルヴィは器用に革紐を編み込みネックレスを作った。

 それを受け取った女性はぱっと表情を明るくして、ノクティアとソルヴィに礼をする。


「領主様、奥様。本当にありがとうございます……何とお礼を言ったら」


 こんなに誰かに感謝されるのは初めてで、嬉しいような恥ずかしいような心地がした。しかし悪い心地ではない。誰かのために動く事は、見ようによっては偽善かもしれないが、それでも誰かが温かな気持ちになってくれる事は幸せだと心から思えてしまった。



 人に感謝された余韻は、屋敷に戻ってからも続いた。侍女やジグルドに土産を渡して、少し談笑している最中にヴァルディが帰ってきた。なにやら今までずっと呆けてしまって、あのオスガラスとぼんやり過ごしていたらしい。

 ヴァルディ本人は、何を争っていたかは覚えていないそう。なので、スキルを巡っていた事を言う。


『ほざけ、あいつは俺のメスだ!』 

 確かそんな台詞だったか。あの時の発言を教えると、相当恥ずかしくなったのか変な声を上げてヴァルディは消え失せてしまった。


 それから、ソルヴィと二人食事を取り、暫くして入浴の時間になった。

 そうしていつも通りにノクティアが纏っていた服を脱ぎ始めた時、傍らに控えていたソフィアの表情がたちまち真っ赤に染まったのである。


 入浴の手伝いなど無いが、洗濯の関係で彼女はいつも浴室に付き添ってくれる。勿論、業務の空き状況次第ではイングリッドも来る事もあるが……。

 しかし、ソフィアは自分の裸なんて何度も見ているはずだが……。


 ノクティアが神妙な顔をした途端に、自分の身体の事をふと思い出した。

 そうだ……昨晩。

 ノクティアが自分の胸元に視線を落とすと赤々とした花びらがまだ幾つも散らされている。今更のように気付いた。よく見ると、臍や太ももの内側にも……。


 その時だった。


「おい、ソフィア~洗濯物回収は終わったか? って……」


 いつも通りやって来たイングリッドも、ノクティアを見るなりに硬直する。


「したのか?」


 イングリッドにストレートに聞かれて、ノクティアはすぐに首を振る。


「さ、最後まではしてない」


 途方も無い羞恥にノクティアはすぐさま後ろを向いて早足で浴室に向かっていった。


 しかしノクティアは知らなかった。背中に残ってしまった鞭打ちの傷痕の上に彼の口付けの痕が残っていた事を……。


 だが、本当に困ったのはその晩だった。


「いいか! 今日も部屋で寝るな。旦那はいい奴、おまえを愛してやまないんだ。怖がるな、いいか? 痛いのは最初だけだ! 耐えろ!」


 イングリッドに肩をガッと掴まれて力説され──主人であるはずのノクティアは部屋を閉め出されてしまったのである。

 結局、この日もソルヴィと同じベッドで眠る以外選択もなく……。


「はは、悪い。俺も昨晩夢中で。身体見て変な気を使われたか……」


 閉め出されたノクティアを見て、ソルヴィは眉間を揉みつつも微笑んだ。


「俺としては、今夜もノッティを隅々まで愛でたいとこだが……」


 さすがに今日は疲れただろ? と、気遣うようにいわれて、ノクティアは紅潮しながらも何度も頷いた。


 しかし隅々まで愛でたいとは……。

 鮮明に思い出す昨晩に、ノクティアはモジモジと落ち着かなかった。


 燭台の炎を吹き消した後、彼はノクティアの唇の端にキスをする。そうして包まれるように抱き締められて──二人で過ごす穏やかな夜が更けていった。

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