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46 不審なる告発

 あの外泊から数日──その日は雨が降り、ノクティアは室内でマリオラから以前貰った本を読んでいた。ほぼ文章を読めるようになったとはいえ、言葉の言い回しで理解できない部分もある。なので、分からない部分はソフィアか時々訪ねてくるエイリクに教わる事が多かった。


 庭に植えてある花のページは全て見た。その特性、効能、育ちやすい環境に手入れの仕方。何度も目を通せば段々と頭に入ってくる。だが、ずっと本を読んで過ごしているのもつまらない。ノクティアはパラパラとページを捲っていると、ふとスズランの絵を見つけた。


(そういえばフィルラ様が好きな花……)


 あの直後、父の一件があったせいで忘れかけていたが、匂い袋をあげた。

 驚きつつも優しく微笑んでくれた顔を思い出す。庶子であって、無関心な存在に違いないのに、ああも優しく笑んでくれたのはノクティアが少し嬉しかった。


 そんな彼女が好きな花……。


 ノクティアは項目を見た。やはり素晴らしい芳香から、香水に向く花、美人の花と。効能は利尿に強心。しかし強く毒性を持ち、血圧低下、目眩、精神錯乱、心不全を起こすのだという。


(すごく良い匂いなのに毒があるんだ……)


「恐っ」なんて、一人ごちて本を閉じると、コトンとテーブルにビスケットとお茶を置かれた。


「ノクティア様、すっかり読書好きですね」


 ソフィアだった。彼女は更に二人分の茶器を用意して「ここでイングリッドと休憩してもいいですか?」なんて許可を取る。

 こう聞くのもほぼ毎日の事だが、主人と侍女という体裁だろう。


「うん。勿論」


 そう言って、ノクティアが微笑んで間もなく、イングリッドも部屋に入ってきた。


 そうして三人で夕刻までの余暇をゆったりと雑談して過ごすのは通例となっていた。

 しかし、先日の外泊後に、身体中に食まれた痕を付けられてからというものの……やはり男女関係の話をする事が多くなった。だが、いまだに純潔のまま。というのは二人に驚かれていたもので……。


「にしても、旦那様はよく耐えていると思うね。男ってある程度いくと、普通〝待て〟なんてできないんだから」


 やれやれと言ってイングリッドはビスケットを摘まむ。あまり異性の話なんてこれまでしなかったし、そんな空気も感じなかったが、イングリッドはやはり大人──知識量が豊富だった。

 だがこの言いぐさでは、それなりの経験があるのだと思しい。


「そういうものなんですか?」


 照れつつも興味津々といったかんじで、ソフィアが聞くので、イングリッドは頷き「もう坂道転がるようなもん」なんてケラケラ笑う。


「そ、そんなに……」

 ソフィアは耳まで真っ赤になって明らかにうろたえていた。


「そうさ。だからノクティアは相当大切にされてるんだよ」


 優しく笑んでイングリッドはカップに口を付けた。


「イングリッド意外だね、経験豊富……?」


 率直に訊いた途端だった。彼女は「オゴッ」なんて変な音を立てたかと思うと盛大に咽せ上がる。


「ちょっとイングリッド、大丈夫?!」


 ソフィアは、慌ててイングリッドの背を摩った。

 そうしてややあって──


「それなりだ。身内のそういう話は恥ずかしいからやめておけ」と彼女は涙目で言った。


 私の話は聞くじゃないか。ノクティアは少し不満げに頬を膨らませた時だった。部屋の叩扉が響き、入ってきたのは、ジグルドだった。

 彼が部屋に入ってくるのはとても珍しい。何事か……。


「ノクティアに客だ」

「え?」

「……旦那と一緒に来る。おまえは、旦那の部屋のソファで待ってろって。あと姉貴、ソフィー休憩中悪いが、お茶を淹れてやってくれ」


 ジグルドの示唆に全員頷くが、イングリッドとノクティアはすぐに顔を見合わせる。


「ソフィー?」


 途端にソフィアの顔は真っ赤に染まった。片やジグルドはばつの悪そうに眉間を揉む。


「へぇ、随分と仲良くなったね?」


 イングリッドはニタリと笑んで、ジグルドとソフィアを交互に見る。確かにこういうのは少しだけニヤニヤしてしまう。ましてや屋敷に来たばかりのジグルドはソフィアの事を気にしていたので……。


「あんた距離詰めるのまで早いね」


 俊敏さをロストベインの凶獣だの、クズリだの言われているだけある。からかうようにノクティアが言うと彼はたちまち顔を紅潮させた。


「だぁあうっせェ! 身内のそういう話は恥ずかしいからやめろ!」


 顔も似ているが、言う事まで同じで驚いた。それもつい数秒前同じ事を言ったばかりで。


「ああもう! 兎に角だ、頼んだ」


 そう言ってジグルドは大股歩きで去って行った。




 それから、ノクティアはソルヴィの部屋に写り、ソファにかけて待つ事暫く。ソルヴィが、見知らぬ男を連れてやって来た。

 その装いはジグルドの騎士装束とも似ているが、色は白を基調としている。


 腰には、物々しい剣を携えていた。黒髪に碧眼──涼しげで小綺麗な見た目の男だった。規格外に大きなソルヴィと比べてしまうと背は低く細身ではあるが、男性の平均的よりやや上。やはり鍛え抜かれた無骨な男の手をしていた。


 彼はノクティアと目が合うと胸に手を当てて一礼する。ノクティアもソファから立ち、スカートの裾を摘まんで膝を折り、淑女の一礼をした。


「初めまして、ノクティア様。私、教会省の聖騎士──アールニと申します」

「教会省の聖騎士?」

「俺の同期だ。この国の教会を取りまとめる機関が教会省。王都にある。聖騎士はそこに配属される騎士だ」


 眉をひそめるノクティアに、ソルヴィは分かりやすい説明をする。


「聖騎士が私に何の用なの……」


 それぞれが席についた時点でノクティアが訊くと、ソルヴィは眉間を揉む。


「ノッティ……おまえが何者かに異端者として告発されている」


 その言葉にノクティアは目を瞠り、硬直した。


「何通か封書が届きまして、上等な紙を使っている事から、恐らくこの侯爵家から出ているでしょう……」


 アーニルは懐から紙を取り出して読み上げる。

 その内容というのが、夜中に儀式をしている、山羊や鶏の生き血を飲むだの出鱈目な事もあるが、身に覚えもある事も。


 二羽のカラスを使役している。

二羽のカラスとよく庭で戯れており話している。草花に話しかける異常性……。


 その告発に侍女たちとソルヴィも押し黙った。


「ノクティア様、あなたが庶子である事から、屋敷で立場が弱い事はソルヴィから聞いている。その嫌がらせと捉えられますが……これは全て間違いでしょうか?」


 訊かれるが、言葉が出てこない。すると、ソルヴィはノクティアの肩を摩る。


「アーニル悪い。妻が不安そうだから代わりに答える。カラスはだけは事実だ。妻によく懐いているワタリガラスが二羽いる。妻は異端者でない。草花と鳥が好きな普通の女性だ」


 当たり障りの無い事実と少しの嘘をソルヴィは代わりに告げると、アーニルは戸惑いつつも頷いた。


「そうか。では報告書にはそのように書こう。しかし、教会省のお偉い坊さんが来て監視する可能性がある。ノクティア様、なるべく目立つ行動はしない方がいい」


 そう助言を与えて、アーニルは席を立った。


 その帰りだった。アーニルはイングリッドを見ると、つかつかと彼女に近付き丁寧な一礼する。

 何か一言二言話したようだが、イングリッドは終始酷く煙たそうな顔をしていた。


 王都の騎士だ。そして片方は元ならず者──ネズミとネコのような間柄。しかもイングリッドは何度か捕縛経歴があり、罪人のタトゥーまで入っている。

 顔見知りだろうか。しかし、彼の去った後のイングリッドがあまりにも恐ろしい形相になるので、訊く事ができなかった。


 ---


 その日の深夜。ノクティアは、スキルとヴァルディを呼び出し聖騎士の語った事を話すと、彼らも聞いていたようで、複雑そうであった。


『なるべく出ないようにしましょう。私たちも人の気配に気をつけていますが、完全ではありません。どこで見られているかも分かりません』

『だなぁ、それがいいかも~』


 しかし、二羽に会えなくなってしまうのは寂しかった。

 表情で思いを読み取ったのだろう。本来の姿になった二羽はベッドの縁に座したノクティアの隣に座し──たちまちノクティアを抱き寄せる。


 実体は無いので透けてしまうが、ヴァルディは触れられるので、しっかりと羽毛やごつごつとした手の感触があった。


『大丈夫ですよ、いつだって貴女の傍にいます』

『しけた面すんなよぉ~』


 しかし、ほとんどカラスの姿で見ているので、目も耳も慣れない。ノクティアは照れて笑むと彼らは顔を見合わせて微笑んだ。

 その時、ふと失せ物探しをした先日を思い出した。


「あんたたち、つがいなの?」


 そう聞くと二羽は顔を見合わせてきょとんとした顔をするが──

『片割れ』と同時に答えた。 


 ……同じ源から生まれた。二羽で一つ。唯一の愛おしいメス、唯一の愛おしいオス。と、彼らは言う。

 益々よく分からない。そもそも冥府の生き物だ。人間が理解できるものではないだろう。ノクティアが一人納得した途端だった。


『だけどなぁノクティア。僕たちはおまえの目的達成と同時に消滅する契約を結んでるんだ。こんなに長生きすると思わなかったや』

『そうですよ。貴女の願いが成就して、誰か一人でも殺せば、貴女は冥府に戻るはずだった。女神様でさえ想像できない規格外の変容。あなたの傍にいるのは楽しいですし幸せです』


 そんな事初めて聞いた。

 ノクティアは二羽を見上げるが、たちまち溺れるように視界が潤った。


 彼らは家庭教師の件もヒグマの件もソルヴィを呼んで助けてくれた。いつも味方だった。

 それに彼らも、自分の意志を尊重し、人の道を歩ませようとしてくれたのだと今更分かる。


「ありがとう、私あんたたちが大好き……」


 ノクティアが俯き呟くと、スキルとヴァルディは強く抱き締めてくれた。


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