目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

47 優しく甘いお礼を

 王都の聖騎士──アーニルが訪ねてから二週間以上が経過した。

 十月上旬。侯爵家の敷地から望むヘイズヴィークの周辺の落葉樹は濃い黄色に色付いていた。小さな秋は庭にも。今年も小さな庭のノリウツギは美しい赤褐色に色付いている。もう間もなく霜が降りる頃だ。


 目立った行動はしない方が良いとの忠告を受けたが、部屋にずっと閉じこもっていれば、あっという間に冬が来てしまう。ルーンヴァルドの冬はそれほど早急だ。

 なので、今野外でできる限りの事をしようと、庭師のタリエと一緒に土いじりをするなどして過ごす他に、周囲に注意しながらも、屋敷の近隣の林に赴き、自然霊たちとの繋がりを深めていた。


 そうしているお陰だろうか。ノクティアは段々と自然霊の声を聞けるようになり、会話もできるようになった。そして、彼らと会える回数が増えつつあった。


 植物に宿る自然霊たちに形は無い。ただの光の粒子だ。しかし個々が自立しており、好き勝手に話して好き勝手に動く。まるで幼い子どものようだった。 そんな存在をマリオラは一喝で従えた。しかし彼女のようには上手くはいかない。なぜだろう……そんな風に、思っていれば二羽は興味深い事を言う。


『ノクティアは彼らとは契約していませんもの。お礼が必要では?』

『そうそ。土に触れて可愛いねぇ~って愛でてチャラにしてるだろうけど、タダで働かせてるのはなぁ~契約している僕らとは違うし。多分あの婆さん精霊と契約を交わしてるか、お礼を用意してると思うぜ?』


 二羽がそう言うので、マリオラを訪ねようと思った。

 しかし、ふとアーニルの異端告発の事を思うと、同じく神秘の力を持つマリオラも危険な気がしてならない。


「そうだね。ちょっとその件、聞きながらマリオラさんの顔を見に行こうかな」


 そうしてノクティアは翌日。イングリッドとソフィアを連れて久しく街に降りた。異端告発があった手前だ。万が一危険があったら困るだろうと、ジグルドも麓の街まで着いてきてくれた。

 側仕えなのに良いのだろうか。そうは思うが、現状執務室に籠もって領地経営の事務に勤しむソルヴィに付き添って手伝う事も無いらしい。寧ろソルヴィから「街まで付き添え」と言ったそうだ。

 ヘイズヴィークの街に降りるには徒歩で二十分以上。秋晴れの坂道と冷たい空気は心地が良かった。 


そうして街でジグルドと分かれ、更に歩む事幾何か。マリオラは、家の前で小さな身体で精一杯斧を振って薪割りをしていた。


 見るからに危なっかしい。イングリッドはすぐさまマリオラに駆け寄ってお仕着せを摘まみ丁寧な一礼をすると、ノクティアの方を見る。

「私がやります」とでも言ったのだろうか。笑うイングリッドにマリオラは少し申し訳なさそうに微笑んでイングリッドに斧を手渡していた。


「あらあら。ノクティア様、こんにちは。今日はどうされたのです?」


 軽快に薪割りを始めたイングリッドに、家屋の納屋、周囲の白樺林と笹。ノクティアはぐるりと周囲を確認してからノクティアはマリオラを見ると、彼女は黒目がちな瞳をぱちくりとまたたかせる。


「どうしたのです?」

「あの後から色々とあって……マリオラさんに聞きたい事が沢山あったの。それで……家に入れてもらってもいい?」


 怖々とノクティアが聞くと、彼女は目尻に優しい皺を寄せてやんわり笑む。


「勿論ですよ。折角なのでお茶とお菓子でも用意しましょうね」


 ──侍女さんありがとうございます、お家に案内しますよ。そんな風にマリオラが声をかける。


「分かったよ、ここに置かれている分だけやったら行くよ」

 そう言ってイングリッドは手を振ってニカリと笑む。


「ノクティア様のもう一人の侍女さんは優しくて、逞しい方ですね」

「私のお姉さんみたいな人なの。子どもの頃からずっと一緒」


 そんな風に答えると、マリオラは優しく笑む。


「先日、侯爵様は初めてお会いしてお話しましたが、ノクティア様の周りは素敵な方ばかりですね。侍女さんもお二人とも素敵なお嬢さんたちですもの」


 確かにそうだ。ノクティアは頷き、ふとソフィアを見ると、彼女は頬をほんのり染めて、少し気恥ずかしそうにしていた。


「あんたは優しいお姉さん、イングリッドは強いお姉さんだよ」


 そんな風にノクティアが言うと、彼女は耳まで赤くして微笑んでくれた。


 ---


 マリオラがお茶の準備を終える頃には、イングリッドも部屋にやってきた。快活なイングリッドの性格にすぐに打ち解けたのだろう。マリオラは尚も手伝おうとするイングリッドを労い椅子に座らせていた。


 そうして皆、席につくとノクティアは本題を言う。

 しかし、いきなり異端告発を言うのは、不安にさせてしまいそうな気がしてならない。ノクティアは、まずは自然霊の事について聞く事にした。


「マリオラさんは白樺たちの精霊と繋がって力を使ったけど、精霊と契約ってしているの?」

「契約?」


 何が? と言わんばかりにマリオラが首を傾げたので、これは違うのだと思った。そこで、スキルとヴァルディに言われた事を言おうとするが、説明が上手くいかない。


 だが、きっとマリオラなら話が通じるだろう。

 ノクティアは二羽を呼び出すと、やはり彼女とは言葉が通じた。


「あら。この前の素敵なお嬢さん。それに喧嘩していた坊やね」


 坊やという呼び方が気に食わなかったのだろう。ヴァルディは『ケッ』なんて悪態をつくが、マリオラにビスケットを薦められて、渋々といった具合に突くが──その瞳にたちまち光が踊る。


『なんぞこれ! うんめぇ! ありがとなぁ! 婆さん!』


 即落ちではないか。そんなヴァルディを見つめてノクティアは呆れ笑い。隣でスキルはヴァルデイとは比べものにならないほど上品にビスケットを食べ始めた。


「まじでノクティア以外にも話が通じるんだ、すごい光景だな」

「ですねぇ」


 片や、ソフィアとイングリッドは驚きつつも和やかに話している。


「それでね、マリオラさん。どうしてあんなに上手に繋がれるのかなって思っていて……」

『つまり、貴女は精霊と契約を交わしているのか、あるいは対価を払っているのか、お礼はどんなものが好ましいかをノクティアは聞きたいみたいなのですよ』


 ノクティアの聞きたい事をスキルが代理に言ってくれた。

 食事は必要としない生物だが、やはり腹が膨れると眠くなるのだろう。ヴァルディはつぶらな瞳がうつらつらとしていた。そんなヴァルディを撫でながら、マリオラはやんわりと笑む。


「お礼は簡単ですよ。心からの感謝。それと精霊の類いって、皆さん甘い物とミルクが好きなんです。これは遠い昔の魔女の間で広まったものらしいですが、お礼にこうやって……」


 そう言って立ち上がった彼女は小さめなジャムの空き瓶にミルクを入れて戻ってきた。そうしてスキルとヴァルディの前にコトリと置く。


「折角来てくれましたもの。ビスケットはまだありますし、食べてちょうだい、さぁミルクもどうぞ」


 マリオラに促されてスキルはミルクの瓶に嘴を入れて飲み始めた。その途端彼女は目をキラキラと輝かせてマリオラを見る。


「美味しいでしょう?」


 やんわりと微笑むマリオラにスキルは何度も頷いた。


 つまりは、普段食事を必要としないからこそ喜ばしい。神とは完全である。だからこそ大人と同じで酒や穀物などが喜ばれる。

 しかし、神と比べてしまうと不完全な自然霊や精霊の類いはまだ子どもと同じ。甘いビスケットやミルクが好まれるだという。つまり、お礼とは供物。と、マリオラは説く。


 さっきまでしゃんとしていたスキルも今ではどういう訳だか、ヴァルディに並んでマリオラに撫でられていた。


『極楽です……最高です、私ダメになっちゃいそうです……』

『ノクティア。僕、今日この婆さんの家に泊まっていって良い?』

「いや良くないでしょ……」


 契約主は自分だ。しかしスキルまで落とすとは。彼女はとんでもない精霊たらしな気がして仕方ない。 だらしなく寛ぐカラスたちを眺めるノクティアと侍女たちはそれでも微笑ましそうに二羽を見ていた。


 しかし、あと一つ肝心な事を話さなくてはならない。ノクティアは背筋を正し、マリオラに向き合った。


「マリオラさん。私、教会省に異端告発されたの。あの後すぐに王都の聖騎士が訪ねてきて」


 その話をすると、彼女は二羽を撫でつつも沈痛な面持ちを浮かべる。


「そんな事が……教会省はまだそんな事を……」


 その言い方では、マリオラも過去に告発経験でもあるようだ。訊くと、彼女は「とても若い頃に」と苦笑いを浮かべた。


「本物の力を持っている人は、見えますし言葉も聞こえます。少なくとも、この子たちの気配は感じ取れるはず」


 そうして、彼女はスキルとヴァルディを優しい眼差しで見る。


「だけど、この子たちは神聖であっても神様ではない、だから、皆さんで気をつける他はないですね」


 その問いかけにノクティアと侍女たちは同時に頷いた。


「マリオラさんも気をつけて……」

「それは勿論です。ありがとうね、ノクティア様。でも私は年の功できっとごまかせますよ」


 いつだって頼ってくださいね。と、彼女は微笑んだ。


 ---


 話を終え、マリオラの家からの帰り道だった。

 丁度街に出た途端に、広場の前でノクティアは一人の男に声を掛けられた。

 見るからに聖職者だが異質、彼は金糸で幾何学模様の刺繍された純白の装束に身を包み、目深にフードを被っていた。


 背丈はさして高くない。ノクティアより頭一つも無い程だった。

 顔が見えぬので、若いか年寄りか分からない。しかし、彼が侍る者には見覚えが。先日訪ねてきたアーニルだった。彼は不安そうな面でノクティアを見つめている。

 純白のフードから見える薄い唇は微笑み──


「ノクティア・ヘイズヴィーク様でいらっしゃいますね。異端審問を行いに訪ねました」


 麗しい青年の声が静かにそう告げた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?