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48 愛は呪い咲く

 こうなる事は少しだけ想像した事がある。ノクティアは自分を落ち着かせるように小さく息をつく。


「あんた誰?」


 極めて冷静に訊くと、彼は胸に手を当てて紳士的な一礼をした。


「これは失礼。教会省、聖潔保全局の聖職者──リョース申します。簡単に言えば、私は祓魔や邪教崇拝者を裁く事を専門のとする配属の者です」


「ふうん。司祭さんと違うんだね。そこの聖騎士が、偉いお坊さんが来るかもなんて言ったから、勝手にもっと堅物な年寄りだと思ってた」


 思ったままを淡々と言うと、彼は綺麗な口元に指を置きクスリと笑う。


「聞いた通り、子どものように無邪気な方だ。けれど……」


 そう言って、リョースはノクティアに近付くと、少しばかり身を屈めて耳打ちをする。


 ──貴女の背後にいるは私を恐ろしい形相で見ていますね。

 古い神話の怪物のようだ。と……その言葉にノクティアは生唾を飲む。


 しかし今は、二羽はいないはず。何が? と、言わんばかりのそぶりで背後を見るがやはりいない。ソフィアは不安そうに見ていた。片やイングリッドは腕を組みつつも、どこかに微かなハンドサインを送っていた。


 ノクティアにはそれが分かる。自警団や駐在する騎士に見つかった時に使う『逃げろ、先に行け』と……。

 ジグルドに合図を送っている。それが分かりノクティアはホッする。きっと救援は来るはずだ。時間を稼ぐかやり過ごせば良い。

 それに、ここは白昼の街中だ。麓町の人間とは顔見知りが多い。ノクティアの存在に気付いた人たちはみんなこちらを見ているもので……。


「異端審問でも何でもすればいい! どこの誰が私を魔女とほざいたかは分からないけど、私が庶子で嫌われているからだけでしょ!」


 ノクティアはたちまち怒声を張り上げた。すると、火を付けるようにどよめきが生まれ、街を行き交う人は足を留めた。あっという間に近くの商店や大衆食堂の主人やおかみさんまで出てきて、人だかりができる。


「意味の分からない難癖つけないで! 私、帰りたいの!」 


 ノクティアが大声で捲し立てると、更なるどよめきが生まれた。


「いやいや、この時代に異端審問? ノクティア様に魔女疑惑が?」

「ノクティア様って庶子って言うけど、とても良い子じゃない。どう考えても、嫌がらせでしょう」


 ──前当主様と、血の繋がりがよく分かる程に似ているもの……フィルラ様やエリセ様のやっかみじゃないかしら。

 ひそひそと、そんな言葉も聞こえた。


 あの男に似ているのはうんざりしてしまうが、それでも民衆が向ける目にノクティアは安堵する。


 ──過酷な生活をしていたから、庶民の言葉に共感できる。庶子ともう知れている。このお陰で、領民は近寄りやすく、素直さに惹きつけられている。そして、外堀を埋められるだろう。 

 ソルヴィの言葉は正解だった。今ノクティアの周りには街の人間が押し寄せ、リョースルとアーニルに向かって野次を飛ばし始めた。


「何が異端審問だい! ノクティア様を妬んでの嫌がらせに決まっているだろう!」

「純粋なお嬢さんだよ!」

「私は先日、侯爵様夫妻に助けてもらいましたよ! 悪い方とは思えません!」


 先日指輪を紛失して泣いていた寡婦の姿もある。

 押し返せるかもしれない。そう思った矢先だった。 

 リョースは唇を歪め──ノクティアの手首を強引に掴むと、懐から銀のナイフを出して、振り翳す。


「貴様どもが見ればそうだろう! だが、こちらも仕事だ! 邪魔をすれば職務妨害と見なし、王国騎士団へと内乱があったと通報する!」


 ──道を空けろ! と凜々しい怒声を上げると、場は一瞬静まった。その途端、リョースはノクティアを引き摺り歩み始める。


「痛い、離して!」


 強く掴まれた手首を振り放そうとノクティアが暴れた途端だった。


「てめぇ離せ! 嫌がっているだろ!」


 イングリッドが詰め寄ってきた。しかし、リョースの傍に控えていた聖騎士はすぐさまイングリッド

を捕らえた。


戦乙女ヴァルキュリヤ。貴女は相変わらず、血の気が多いままなのだな……」

「離せこのクソ騎士!」


 恐ろしい形相で凄むイングリッドは聖騎士に背後から囚われても尚、身を捩って暴れ藻掻く。


「ふざけるな、私の妹に何かしてみろ! 聖者だか聖騎士だか知らんが全員ぶっ殺してヴァルハラでもヘルヘイムでも送ってやる!」


 その途端だった。アーニルは腰に携えた剣を抜くと柄の部分でイングリッドのみぞおちに一撃を入れる。途端にイングリッドは黙り、アーニルの腕の中でぐったりと力を無くした。


「イングリッド!」


 ソフィアとノクティアの悲痛な叫びが劈いた。それを皮切りに群衆たちは怒声を上げる。しかし、聖者も聖騎士も刃物を持っているので誰も近寄れない。

 教会の前で騒動を聞いていたのだろう。町長でもある年老いた司祭は渋面を浮かべていた。


「……聞いていただろう。聖域を借りるぞ」


 同じ聖職者でも序列の差が違うのだろう。司祭は、複雑な面のまま頭を垂れて教会の扉を開く。



 リョースに引き摺られたまま、ノクティアは赤い絨毯の敷かれた道を進んだ。

 夕刻近い光で玻璃からは赤や橙、青と鮮やかな光が落ち、幻想的な光景を映し出している。しかし尊厳なる聖域にそぐわない、ノクティアの甲高い罵声が響き渡る。


 離せ、痛い、ふざけるな、このクソ聖職者。身を捩るが、やはり力では叶わぬもので……。


 そうして、彼に引き摺られソルヴィと夫婦となった壇上まで上がる。そこでようやくリョースはようやく手を離した。その衝撃にふらつくと彼は「おっと失礼」と戯けて言ってノクティアの腰を支える。


「……聖域に入って火傷なし。魔に憑かれている訳でもなさそうだ」


「当たり前でしょ! 私はここでソルヴィと結婚した!」


 その言葉にリョースは僅かに唇に微笑みを浮かべ、ノクティアに銀のナイフを向ける。

 この男は癇癪でも持っているのだろうか。あるいは気が触れているのか。先程は凜々しい怒声を挙げたかとおもえば、こうも微笑むのか。

 本能的に危険を感じて、ノクティアは身を縮める。


「これから神のもとで異端審問を行います。貴女が魔女でなければ銀のナイフで切られても普通に赤い血を流すだけです」

「は?」


 この男は何を言っているのだ。ノクティアは目を瞠って戦慄いた。

 本能的に分かる。逃げてもこの男は刺すだろうと。それほどに鋭い気を放っているのだ。


「異端の魔女であれば傷口に火傷を伴い、黒々とした瘴気が溢れ出ます。殺しはしません、腕でも脚でも背中でも……目立たぬ場所に少し傷をつけさせてください」


 殺さないと言葉で分かるが、本当か? 恐ろしさのあまりノクティアは動けずにいた。ヒグマと対峙した時に近い絶望だった。しかし、ジグルドがソルヴィを連れてくるにはまだ時間が……。


「早くしてください」


 苛々と彼は言う。

 気圧されたノクティアは彼に背を向けた。そうして震える指でブーナットの肩紐をずらし、ブラウスのボタンを三つ外して、肩甲骨までずらす。


 背中なら既に傷痕があるし、刺される所は見えない。それでも怖い。ノクティアは膝をつき、祈るような姿勢を取って目を固く閉じた途端だった。


 荒々しく教会のドアが開く音がした。刹那、激しい音を立てて何かが転がった。

 怖々とノクティアが目を向けると、教会の入り口にあった煤けた大型の燭台が壇上のすぐ傍に転がっていた。無言のまま激しい物音がするが、それはすぐに静まった。


 ノクティアが怖々と後ろを振り向く。

 そこにはリョースの胸倉を掴むソルヴィの姿があった。しかし、ソルヴィの脇腹には銀のナイフが刺さっており……。

 彼の鉄黒の服にシミが広がっていく。


「……侯爵、様?」


 意図せず誤ってこうなったのだろう。リョースの声は戦慄き震えていた。

 目深くかぶっていたフードは取れていた。その中身はノクティアと年端も変わらぬ若い男だった。金の髪にアイスブルーの瞳の天使のように整った面輪で……。


「おまえがどこの誰かは知らんし、どうでもいい」


 そう言って、ソルヴィはナイフを自分の身体から弾く抜くと、床に投げ捨てた。

 静謐の中でカラン。とした無機質な響いた刹那──


「ただ、俺の妻に触れるな……殺すぞ」


 と、恐ろしい程に冷えた彼の声が響いた。

 憎悪と殺意を含んだ凄みのある声でその表情も恐ろしかった。ノクティアもこんなソルヴィは見た事が無い。制御不能の猛獣のような気迫を放ち、荒い息を吐き血走った目でリョースを睨み据えていた。

 それから暫ししてからだだった。


「ノッティ帰るぞ……」


 いつもの穏やかな表情に戻った彼はノクティアに手を差し出した。そうして二人、教会を出るが外に出た途端──ソルヴィは渋面を浮かべてその場で膝をつく。

 彼がきつく押さえつける手は赤く黒い血液がべったりと付着していた。ともに歩いた赤い絨毯の道にも赤いシミが落ちており……。


「嫌、いや……ごめんなさい、私のせいで」


 また自分のせいだ。自分のせいで彼がまたも血を流した。嗚咽を溢すノクティアに、ソルヴィは苦しそうにしながらもやんわりと笑む。


「ノッティのせいじゃないさ」


 太い指で涙を拭われて、安心させるように目尻に頬に、そして唇の端にキスをされた。

 それでも涙は溢れ、破裂した感情は止まらない。


 いつも優しい笑顔向け優しさで包んでくれた。ひたむきに寄り添い愛を与えて、待ってくれた。最優先にしてくれた。そう。きっと誰よりも……。


「死んだら嫌だ。嫌だよ……私、ソルヴィを愛しているの」


 忘却の彼方に置き去りにして、受け入れる事を拒んだ感情は、とうとう花を咲かせた。

 ノクティアは彼の頬を包みこみ──自ら彼の唇を奪う。


 その途端だった。二人の周囲に光の粒子が溢れたかと思うと、極夜の夜に靡くオーロラのように蠢き、蔦に似た形状になる。そうして、ソルヴィの傷を覆い……ヒースに似た小さな光の花を次々と綻ばせた。


 まるで絵画のよう。その光景を目にした者は息を飲む。


「何が魔女だ。これではまるで……聖女だ」


 教会の中、リョースは目を瞠り祈る姿勢を取った。



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