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49 謝罪と不本意な勧誘

 異端審問から三日。ノクティアの力によってソルヴィの負傷は大事に至らずに済んだ。その後、彼はよく眠っていた。何やら心地の良い眠気が続くらしい。


 これがどういう状況か、不思議とノクティアは見えていた。

 彼の傷口には、二つの加護の力が結び付いたものが見える。自分が本来持つ夜の加護と植物の精霊から借りた力が絡みつくように覆っているのだ。


 眠りと再生、それが作用しているのだと分かる。

 しかし、どうしてこうも緻密に見えて原理が理解できるようになったかは不明だった。


『もう完全に魔女は別モノだからだろ』

『魂の質が全然違いますからね……覚醒したのでしょうか』


 そんな風にスキルとヴァルディは教えてくれた。


 悪い事ではないと分かる。しかし、街の中心部、それも群衆の集まる前で力を使ってしまった。それも場所は教会の前だった。その一件があってからというものの、ノクティアは〝奇跡の乙女〟だのヘイズヴィークの地名から〝ヒースの聖女〟だの妙な異名で囁かれ始めていた。

 噂の渦中だ。侯爵家の敷地近くまで領民が様子を覗きに来ている事もあるらしい。


 そして今日、ノクティアはフィルラに応接間に呼び出されていた。来客者を交えて話がしたいとの事だが……。


 その来客者というのが、先日ソルヴィを刺した張本人、教会省・聖潔保全局の聖職者のリョース。そして聖騎士アーニルだった。

 ノクティアの隣には、リョースが座し、アーニルはリョースの傍らに姿勢正しく控えていた。


「ノクティアさん。なぜ呼び出されか分かりますわよね?」


 フィルラはこめかみを揉んで困惑気味に問う。当然この来客の顔ぶれを見ると言いたい事は分かる。ノクティアはフィルラを一瞥して頷いた。


「騒ぎを起こした事についてはごめんなさい」


 素直に詫びると、彼女はやれやれと首を振りノクティアを見る。


「そんな神聖な力を持っていた事を、なぜ早く言わなかったのです」

「色々な理由があって。でも私を異端者だと言う告発はこの屋敷からあった。それもフィルラ様の侍女の……」


 ノクティアはフィルラの傍らに立つ侍女を一瞥する。それで言わんとした事を察したのだろう。フィルラは眦を吊り上げる。


「スキュルダは関係ありません。スキュルダが厳しく指導した事を根に持った使用人たちが責任転嫁しようとしたのです」


 そう言うフィルラの傍らに立つスキュルダも、目を細めて頷いた。


 ……ノクティアを異端告発した者は、即日見つかった。

 屋敷の使用人たち全員に文字を書かせて教会省に送られた手紙と筆跡を鑑定したところ、炙り出されたのは若い女使用人二人だった。しかし、彼女たちは手紙を書いた事は認めたものの「スキュルダから依頼をされた」と証言した。それもお金を渡されたのだと。


 あまりにきな臭い。だからスキュルダにも事情聴取を行われたが、彼女には一切の証拠も他の使用人たちからの証言も無いので、関与していないだろうとの事。


 フィルラ言葉通り、この二人の女使用人とは怠惰が目立ちスキュルダから厳しく指導をされたのは事実だそうで、恨み故の戯れ言と見なされたそうだ。


 しかし、以前も似た事があった。ドレスを裂いた使用人もスキュルダに指示されたとの供述をしている。


 この家の使用人派閥の軋轢だのはもう知っている。きっと、上手い事もみ消したのだろうと憶測は容易い。そこにフィルラが関与している事は自然だ。しかし、ソルヴィへの面目もある。極力フィルラとの争い事を避けた方が良いのは重々承知だ。

 自分にできる事は……。


「フィルラ様がそう言うなら、そうなんでしょうね」


 否定はせず曖昧に濁す回答が賢明だ。噛みつくなんてもっての他。ノクティアが柔和に言うと、彼女はほんのりと微笑んだ。


「ノクティアさんが柔軟な方で良かったわ」


 この答えから成功したようだ。もうこの件は良いのだろう。


 だが、それよりも気になるのは……。

 ノクティアは目を細めて、隣に座したリョースを睨み据える。


「それで、聖職者と聖騎士は私に何の用? 筆跡鑑定は終わらせたんでしょ? 告発者も見つかったのに、なんでまた屋敷に来てるの」


 こちらの方が許せていない。ノクティアは機嫌悪く言うと、リョースはこめかみを揉みつつノクティアを見る。

 今日はフードも被らず彼は素顔を晒していた。淡い金髪にアイスブルーの双眸の甘い顔はやはり天使のよう。しかし今の彼は眉間に険しく皺を寄せている。


「引き続き、侯爵様への謝罪に決まっているでしょう。それに大きな騒動になってしまったので大奥様にも謝罪です」


 ツンとした口調でリョースは言う。そして、消え入りそうな声で「そして、貴女を怖がらせた事にも」なんて付け足すので、ノクティアは目をしばたたく。


 この男は昨日も聖騎士を連れてソルヴィに謝罪に来た。

 丁度ソルヴィも起きていたので、本人も面会を許諾した。刺した事に関しては、事故と彼自身も分かっていて、一切リョースを咎めなかった。


 ソルヴィ曰く、教会の扉を開けた瞬間にブラウスを中途半端に脱いだノクティアが背を向けて怯えていた事に頭に血がのぼり、怒りのまま巨大な燭台を投げ飛ばしていたそうだ。そしてリョースを殴り、胸ぐらを掴んだ際に、偶然ナイフが刺さってしまったそうで……。


「あれは仕方ない。だが俺は、ああいうやり方が聖職者のやる事かと疑問に思った。聖騎士もなぜ止めない」


 あまりに傲慢で怠惰だと彼は青筋を立てて怒り、二人を追い返した。それが昨日の話である。


「侯爵様の言うように、私は傲慢で横暴だったかもしれません。そこは詫びます」


 そう言って、リョースはノクティアに向かい深々と頭を下げた。

 しかしどう反応して良いか分からない。暫しして、リョースは顔を上げるなり真摯な面で口を開く。


「そしてノクティア様。神聖な力を持つ貴女を教会省に迎え入れるべきだろうと相談に来たのです」

「行く訳無いでしょ」


 目を細めてノクティアが即答する。間髪入れずにフィルラは咳払いするので、自然と皆注目した。


「そちらのお話、聖者様から先に話を聞きました。ノクティアさん貴女はその尊い力を世の為人のためにその尊い力を使うのは素敵な事だと私は思いますわ」


 その言葉にリョースと彼の隣に控えたアーニルは同時に頷いた。


「貴女は結婚しているので、別に王都の大聖堂に入り尼として暮らせという訳ではないです。教会省の聖潔保全局に名を置くという事。貴女は見える側でしょう? 仕事となれば報酬も発生します」


 リョースは簡潔に説明するが、ノクティアは眉間に皺を寄せた。


 ……報酬、収入。この力で金銭を得られる。考えてみた事もない。しかしだ、これは授かった力であって元からあったものでもない。


 勿論フィルラの言うように、世のために人のために使うのは良いだろう。だが、きっとみだりに使って良いものではない。利益のためなんてもっての他。そもそも、元は貧困者だ。もしも大きなお金が一度で手に入ってしまったら、執着してしまいそうで怖く思えてしまう。ノクティアは考えが纏まると、首を振るう。


「断るよ。私はソルヴィの奥さんの肩書きだけあれば他は何もいらない。この力はみだりには使えない。仕事としては使えない」


 話は以上だろうか。ソルヴィの心配もある。なるべく今は彼の傍にいたかった。リョースに呼び止められるが無視して、ノクティアは綺麗な一礼をすると応接間を出た。


「面倒臭い事になっちゃった」


 離れに着くなり、大きなため息と同時に独りごちると、とソルヴィの苦笑いが聞こえた。起きていたのか。ノクティアは彼の元に行き、ベッドの傍らに設置された椅子に座した。


「あいつらまた来たのか」


 横たわったまま彼は呆れ気味に言う。その途端に軽快な叩扉が響く。ジグルドだった。案の定、面会の希望で。ソルヴィは断る旨を言うと、ジグルドは踵を返し戻っていった。

 そうして二人きりになると、彼は起き上がりベッドの縁に腰掛けて背伸びをする。


「で、あいつらノッティにも用事があったのか?」


 訊かれて、ノクティアは頷いた。


「聖潔保全局? に私が欲しいんだって」

「まぁ人材としては、欲しがるだろうなぁ」


 ──教会省とは信仰を司る場所。と、ソルヴィは静かに語る。

 ルーンヴァルトでは過去に戦神を主神として祀っていた。そんな話をしていると、興味を持ったのか、スキルとヴァアルディが本来の姿で姿を現した。


「俺たちの先祖は海の覇者、フィヨルドの戦士だ。けれど南西の島国に敗戦した。やがて戦神信仰を廃止され、外国で洗礼を受けた祖先が、故郷に博愛の信仰を持って帰り広めた」


 それを管理するのが教会省。今も、古い信仰を悪くは言わないが、残虐な処刑の廃止を訴えている。他にも、ルーンヴァルド建国までに現在の領地同士で血みどろの争いをしていたせいか幽霊騒動はよくある。そのため、鎮魂や除霊も行うのだと。だからそういった超常的な人材を欲するのだろうと。ソルヴィは言う。


「でも、今もルーンヴァルド人の中にヴァルハラもヘルヘイムもあるから不思議」


 ノクティアの言葉にソルヴィが頷いた矢先だった。

『正確じゃねぇけどな』

 ヴァルディが言うと、スキルは静かに語り始めた。


『無くなる事は無いでしょうが、私たちの世界は少しずつ融合されています。ヘルヘイムは本来あんな氷雪の世界ではない。氷の世界ニヴルヘイムという世界と混ざったのです。それが信仰の薄れ。ノクティアは見ているから知っているでしょう?』


 ノクティアが二羽を見つめて頷く。しかし、ソルヴィには二羽が見えていない。だが、それで察したのだろう。


「二羽がいるのか?」

「うん。神話の話が気になって来たみたい」


 スキルの語った内容を言うと、ソルヴィは複雑そうな面でノクティアを見る。


「なぁノッティ。そろそろおまえがどうして二羽に出会い、魔女になったか教えてくれないか?」


 憂いを含んだ琥珀の双眸が見つめられ、ノクティアは膝の上で拳を握りしめた。


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