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51 本当の夫婦になれた日

 ソルヴィに魔女だと明かしたその晩。入浴後のノクティアは脱衣所で呆然としていた。

 結婚式のその晩のよう、レースがふんだんにあしらわれた下着に、いつもと違うフリルのついた可愛らしいナイトドレスが用意されていた。リネンで濡れた身体を拭うノクティアは用意された着替えと侍女を交互に見て首を傾げる。


「どういう事?」


 聞けばソフィアは真っ赤な顔をするが、イングリッドは腕を組んで目を細めている。


「さすが鈍いノクティアでも気付いたか」


 そりゃ気付くに決まっている。しかし、いつまでも裸でいたら寒い。渋々とノクティアはそれらに着替え始めた。


「……ソルヴィの所で寝ろって?」


 急にどうしてだと、訊けばイングリッドはため息をつきつつ、やんわりと笑む。


「ノクティアが入浴中に、旦那様から直々にね。〝今晩はノッティと過ごしたい〟って私たちに言ってきたのさ」


 入浴前に脱衣所で、ソルヴィに魔女になった理由を明かした事を二人には話していた。しかしその間で……。

 彼から〝一緒に寝たい〟なんて言われた事は今までに無い。つまりはいよいよ〝そういう事なんだ〟と想像できるが……。


「でも、ソルヴィ刺されたばかりなんだけど……」


 怪我は大丈夫なのかと眉を寄せていると、イングリッドに肩を組まれて、ワシャワシャと髪を撫でられる。


「完全に傷が塞がっているからだろ? それに、ノクティアいいか? 男は手負いの方が盛る。獣と同じだ」

「は?」


 どういう事だ。意味が分からない。ノクティアが目を細めると、真っ赤になったままのソフィアがコホンと咳払い。


「……イ、イングリッド。滅多な事は言わない方がいいわ。ノクティア様は素直ですので、きっと旦那様にそのまま聞いてしまって困惑させてしまうわ」

「じゃあ、どういう事なの?」


 ノクティアがソフィアに尋ねた。すると、彼女は更に顔を赤々と染めて唇をモゴモゴと動かす。


「教えてやりなよ、ソフィア先生」


 イングリッドは今も文字の書き取りを空き時間にソフィアに教わっているので時々こんな愛称で呼ぶ。先生と。しかし、その表情ときたら悪戯する気が満々とでもいったにやけ顔で。


「つ……つまり多分、大きな怪我をするなど、命の危機があった時、動物は生存本能を出すので、気持ちが高揚して、そういう……」


 だいたい察した。

 それはもう、プルプルと震えながらソフィアが説明してくれるので、ノクティアは何だか本当に悪い事を聞いたような気がする。


「分かった。ソフィアありがと」


 さすがに可哀想だ。ノクティアは肩を組んだままのイングリッドをじろりと見る。


「イングリッド、ソフィアをいじめたらダメだからね。恥ずかしがり屋なんだもん」


 一応忠告してやると、イングリッドは「はいはい」なんて軽く言って、ノクティアを大きな鏡の前の椅子に座らせる。鏡の中のソフィアは笑っていた。


「ふふふ。ノクティア様、心配なさらないで大丈夫ですよ。イングリッドは最高に〝ぶっ飛んだ〟同僚で友人ですもん」


 綺麗な言葉をいつも使う彼女が、〝ぶっ飛んだ〟なんて言葉を言うのは、きっとそれだけイングリッドと親密なのだろうと分かる。給仕の時、掃除の時。自分のいない場所で二人は長い時間を過ごしているのだ。何だか微笑ましいような羨ましいような気持ちになってノクティアも微笑んでしまった。


「さぁてソフィア。ノクティアを目一杯可愛く仕上げてやろうじゃない!」

「ええ、勿論です!」


 鏡の中で二人はお互いの手を打ち合わせた。



 そうして閨の支度を済ませ、部屋に戻ると、ベッドの縁に座したソルヴィはノクティアを見て目を瞠る。

 彼も彼で身を清めたのか、日中とは違うガウンを纏った。


「はは。既に元が可愛いが、随分と可愛くされたな」


 そんな風に言って、彼は柔和に笑む。恥ずかしくて堪らない。ノクティアは頬を紅潮させてぷいとそっぽを向く。


「だって、イングリッドとソフィアが頑張るんだもん……」


 まるでウェディングドレスのよう。裾の広がった白のナイトドレスに、髪はハーフツインのアップにふんわりとした編み込みを。身体から発する香油の香りは、普段とは少し違う。ミルクと蜂蜜にラベンダーを混ぜたよう、甘やかな香りだった。


 結婚式の夜とは明らかに違う。すっかり自分を熟知したソフィア、そして知り尽くしたイングリッドが、魅力でも引き出すようにしてくれたのだろうかとノクティアは思った。


「そうだったのか。いい仕事だ」


 サイドテーブルには水差しと湯気立つお茶。就寝前の準備した侍女たち二人は笑む。


「手によりをかけて仕上げましたよ旦那様」

「可愛い奥様と、どうぞ素敵な夜を過ごしてくださいませ」


 二人はそう言って、綺麗な一礼をすると部屋を出て行ってしまった。

 二人の姿が見えなくなると、なぜだかほんの少しだけ寂しいような、不安が募った。ノクティアの不安を察したのだろう。ベッドの縁に座したソルヴィは隣を叩く。


「おいでノッティ。お茶でも飲もう」


 いつもと何ら変わらない様子で彼は言う。表情を見ても穏やかで愛おしげな眼差しを向けるだけで、情欲はそこに無い。

 それにほんの少しホッとした。ノクティアがソルヴィの隣に座すと彼はお茶の入ったカップを手渡してくれる。


「ありがとう」


 受け取ったカップを満たす液は淡い緑。果実のようなほんのりとした甘い匂いがする。ノクティアは包み込むようにカップを持ち、ゆったりとお茶を飲んだ。


 いつもと変わらぬ雑談だった。今日の来客リョースやアーニルの話。そして、アーニルがルーンヴァルド三強のうちの一人だと聞いた。過去には、王都周辺の警邏隊にいただとか。しかし、ノクティアには見覚えが無い。否、貧困街に居た頃は、窃盗で生計を立てていたので、警邏の騎士など見かけたら即刻逃げろとイングリッドから教わっていたほどだった。

 しかし、どうにもアーニルと会った時のイングリッドの不機嫌そうな反応が気になってならない。


「多分だけど、二人は知り合いかもって思うんだ。前にアーニルが一人で忠告に来た時に話をしていたし」

「ああ、それは思った。異端審問の時のあいつ、イングリッドを気絶させたんだろ? ソフィア曰く、あの後すぐにイングリッドを診療所に連れていったとか言っていたからな。それで、最後には屋敷まで届けたとかな」

「そもそも泥棒と警邏の騎士だからね……接点は充分に」


 でも、イングリッドがああも不機嫌な顔をしていたとなると詮索しない方が良いに決まっている。ノクティアはソルヴィを見てそんな風に言うと、彼は頷く。


「あまり触れて欲しくない部分は誰だってあるからな。でも、イングリッドの性格を考えれば、聞けば話してくれるかもしれないと思うけどな」


 ──それかいずれ分かるかもしれない。アーニルもリョースもまた来るだろうし。なんて、彼は呆れ気味に付け添えて、ノクティアに向き合った。


「それよりノッティ。今はノッティの口から他の男の話は聞きたくないんだが」


 少しばかり悪戯っぽく言われるが、意味が分からない。だって、普段通りの雑談だった筈なのに。ノクティアは小首を傾げると、彼はノクティアの額と頬に口付けする。


「嫉妬くらいするさ」


 ほぼ空になったカップを取り上げられてすぐ。ソルヴィはノクティアの唇の端に口付けを落とす。


「ん……」


 しかし、もうそれでは侘しいような、むずむずとした心地がする。彼はカップを再度テーブルに置くのに、ほんの身を離れた。

 たった一時なのに、何だかその距離ももどかしくて……。すぐにまた向き合ったソルヴィを見つめると、彼は困ったような顔で笑む。


「そんな寂しそうな顔して。本当に俺の奥さんは可愛いな……」


 頤を摘ままれ上を向かされる。そうして落ちてくるのは甘やかな口付けで。

 途方もない多幸感に身が甘く戦慄いた。思わず彼にしがみついてしまうと、ソルヴィはノクティアを抱き寄せ対面するよう膝の上に座らせる。


「ノッティ。抱きたい、いいか?」


 向けられた琥珀の双眸は、蜂蜜のように蕩けていて甘い情欲を宿していた。

 ノクティアは耳まで頬を紅潮させて、頷いた。

 そうして、大きな身長差のある二つの影が重なり──甘やかな一夜が始まった。


 ※


 桃色に色付いた上気した頬と涙で潤ったヒースの花に似た薄紫の瞳。視覚から見えるなにもかもに強い興奮と高揚でいっぱいだった。

 長い時間をかけた愛撫の後、ようやく一つに繋がり幾何か。今に至る。

 つい先程まで、彼女は顔を歪めて大粒の涙を溢していた。相当痛かったのだろう。中断を当然考えたが、大丈夫だと離れないで欲しいと甘えた幼子のように求められれば、続行する他無かった。


 何もかもが愛しい。対面で座るよう華奢な身体をやんわりと抱き直すと必死に手を伸ばし、何度も名を呼ばれた。


「……離れないで、ずっとそばにいて」


 そばにいてよ。と、呂律も回らないそんな甘い声で呼ばれてしまうと余計に愛しさが込み上げた。


「ああ、一生添い遂げるよ。ずっと傍にいる」


 そうして再び、何度目になるか分からない甘い口付けを交わしあった。




 そんな甘やかな行為の後。疲れ果てて眠るノクティアを見てソルヴィは笑む。


 しかし、不安があった。一生傍にいる。自分は守れても、逆はどうだ。


 スキルとヴァルディの契約もあるので平気と思いたいが……それでも女神の気まぐれでノクティアが冥府に連れ戻されるのではないのかという不安が翳る。


「女神様、お願いだ。どうかノッティをヘルヘイムに連れ戻さないでくれ……」


 祈るように願うように。涙を流したせいで少し腫れたノクティアの眦に、ソルヴィはやんわりと口付けた。


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