それから数日。アーニルとリョースは度々屋敷を尋ねて来る。冬至の祈祷は舞もある。それを教えに来てくれるのだ。
その舞というのは、単調なものを繰り返すだけ。冬至の祝福の言葉を述べ、焚き火の前で夜の精霊や火の精霊に感謝を述べ、通しで二十分ほど踊るだけ。獰猛なフィヨルドの戦士たちが神々に祝福を祈った遠い昔から今現在でもある伝統的なものだった。
昔は巫女や預言者などが踊ったらしいが、今は教会関係者がこれを担っているそうだ。
応接間を使って通しの練習もここ毎日。そしていよいよ明日が冬至祭。その休憩の最中だった。
「……そういえば、ノクティア様。ずっと気になっていたのですが、ノクティア様は結婚されていて純潔でない筈なのに、なぜ精霊が見えるのです?」
その言葉に給仕をしていた。ソフィアとイングリッドはたちまち半眼になりリョースを睨み据える。
片やノクティアは頬を掻いて、首を傾げていた。
「私はこの力、生まれつきじゃないよ。でも、なんで? 純潔じゃないと普通は見えないものなの?」
地味に気になる。ノクティアは平然と聞き返すが、リョースの近くに控えていたアーニルは目頭を押さえて首を振る。
「リョース様、淑女にそういった質問は宜しくないかと」
「本当だよ。恥じらいの常識を教育しておけクソ聖騎士」
イングリッドの言葉に、アーニルは恭しく頭を下げる。それを一瞥すると彼女はフンと一つ鼻を鳴らしてノクティアとアーニルを交互に見る。
「いいかノクティアも別に答えなくて良い」
「困る事以外、別に大丈夫だよ」
「ノクティア様申し訳ない。私は常識が欠落していようだ……」
悪かったと、しおらしくリョースが詫びるので、ノクティアがすぐに首を振る。
ここ最近、ほぼ毎日顔を合わすようになってリョースの事が少し分かった。
彼は同じ歳。厳密に言えば、春生まれでノクティアよりも数ヶ月誕生日が遅い。神秘の力が理由で、幼い頃父親に大聖堂に捨てられたらしい。
そこから大聖堂での生活だ。世間知らずは生まれ故に仕方ないように思えてしまった。勿論ソルヴィを刺したのは許していないが。
自分だって、庶子の生まれ。貴族の常識が乏しい。
「気にしないでいいよ。別に私は気にしてないし」
あっさりと答えると、彼は安堵したのか、男にしては愛らしい顔を緩めた。
「ただ、あの。私もそうですけど、神秘の力を持つ者って、異性経験が無いのが普通なのです。ノクティア様って特殊ですよね」
特殊。そんな風に言われると思いもしなかった。しかし、自分だけではないだろう。ノクティアは思案顔になる。
「そんな事無いと思うよ? だって私の知り合いのおばあさんに私みたいに精霊を見るとか精霊の力を借りられる人がいるもん」
マリオラの事だ。以前……庭師のタリエとの雑談した中で聞いたが、彼女には夫と子どもがいたらしい。夫は病気でとっくの昔に他界しているようだが、子に関しても十年以上前の戦で戦死しているとの事。
伝え聞く話をすると、彼も同じように眉を寄せて思案顔になっていた。
「女性って命を宿し生むだけでも、存在そのものが神聖で神秘的ですからね。希に特殊な人もいるのですね……」
感慨深そうにリョースは言う。
しかし、それ以上にノクティアには気になる事があった。傍に控えているイングリッドとアーニルを交互に見ると、彼らは、不思議そうな顔でノクティアを見る。
「そういえば、イングリッド。聞いていいのか分からないけど。アーニルと知り合いなの?」
毎回、この人を見ると凄く機嫌が悪そうだけど。なんて、アーニルに目をやりつつ訊くと、彼女は曖昧に頷いた。
「……昔は警邏の騎士とゴロツキ。ノクティアならどんな間柄か分かるよな? まぁ仕事は仕事だ。ノクティアが気にしなくて良い」
淡々とイングリッドは言う。まさに予想通りの答えであった。それに、アーニルも頷いた。
「過去に王都で何度も会っていますよ。気高く果敢。彼女を昔から気に入っていますが、俺は嫌われていますね」
その言葉にイングリッドは半眼になり舌打ちまで入れる。しかし、その目の縁と頬はほんのり赤らんでいた。居心地が随分悪そうで……。
長い付き合いだが、初めて見た表情だった。単純に嫌いという訳ではなさそうで。
「そう。ならいいの。イングリッドが嫌な思いするの、私は嫌だから。多分ソフィアもそう思っているんじゃないかな」
そんな風にソフィアにも訊くと、彼女も「ええ」と深く頷くが、どこか温かな視線をイングリッドに送っていた。
「私の事は気にしないでいい。平気だよ」
……あとおまえ。と、イングリッドは続けて、アーニルを睨む。
「あんたはムカつくけど別に嫌いじゃない。私の感情を勝手に決め付けるな」
そう言って彼女は鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
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……その翌日。ノクティアは二十歳の誕生日を迎えた。
そしてこの冬至祭で、公爵夫人として、奇跡をもたらせた聖女として、民衆の前に初めて立った。
トナカイの革をなめして作ったブーツに、真っ白なウールのワンピースに常緑のヤドリギで冠を。同じような服装をしたリョースとともに、赤々とした炎の燃え盛る大きな丸太……ユールロギを囲い極夜の冬を祝福する。降りしきる冷たい雪に、時折空から見える冷たく燃える星々に。ノクティアは自分の生まれた日の季節の厳しさと、それでも感じる強い生命力を初めて知った。
何も無い、死の季節。そうは思ったが、氷精は踊り、闇を支配する精霊が冬の祝福を歌っているのがはっきりと聞こえた。そして彼らは皆……冬至の極夜に祝福された自分自身を格別に愛している。それをはっきりと感じ取れた。
──眠りの夜。死の夜。春の芽吹きを待つ、母なる大地と冷たい雪。夜の女神に祝福された子。私たちは愛している。
はっきりとその声が聞き取れて、不思議と涙が溢れてしまった。自分が生まれてきた意味が、理由が何だか繋がったような気がして、ノクティアは生まれて初めて、自分の生まれた日を愛せた。
周囲は闇に包まれていたとしても、活気に満ちていた。寒いからこそ、火がこうも暖かく、人のぬくもりも言葉も暖かい。そして、祈祷と舞を終えると真っ先にソルヴィは来てくれた。
「おつかれ、ノッティ。少し腹も減っただろ?」
抱き締められ、抱えられる。冬が、こんなに暖かく幸せなものだとは知らなかった。しかしなぜか、彼は少し良い悪戯を思いついたみたいな顔をした。
何事か。ノクティアが首を傾げると彼は周囲をぐるりと見る。
「皆! 今日は妻の誕生日なんだ! 盛大に祝ってやってくれ!」
ソルヴィのその声に民衆は沸き立ち、温かいスープや塩漬けのトナカイの肉、米のプディングなどが振る舞われた。そしてすっかり顔馴染みの夫人たちは食え食えとノクティアに食事を渡す。
そこには夏至祭の時同様に、イングリッドやソフィアもいる。更に追加されたのは、リョースとアーニルで。
あの事件で邪険に扱われた彼らだが、素晴らしい祈祷だったとリョースは街の男たちに肩を組まれていた。その表情に戸惑いの色は見えるが、明るい。彼らもこのヘイズヴィークの人間たちに受け入れられたようだった。
そんな賑やかな冬至祭から数日。新年が迫る頃、ノクティアは執務室に呼び出されていた。
また、気晴らしの腕立て伏せの負荷か……。そうは思ったが、彼は一通の手紙をノクティアにそっと渡した。
「ノッティ宛に手紙を預かっていて。まぁ随分と前のものなんだが」
その宛先人というのは……フリーダ・ビョンダルと。しかしビョンダル姓という事は。
「ソルヴィのママ……?」
ノクティアが訊くと彼は頷く。
「しっかり夫婦になったら渡しなさいって言われていた。それは俺の母さんからノッティ宛ての手紙だ」
何を書かれているのだろう。ノクティアは緊張気味に封を切って手紙を取り出すと、丁寧で読みやすく優しい字で手紙が綴られていた。
──しっかりと話すのは初めまして。これが読めるようになったのかしら。お勉強頑張ったのね。ねぇ。貴女も一緒にビョンダルの屋敷にも顔を出してちょうだい。貴女とお話してみたかったの。ソルヴィをいつもありがとう、これからもよろしくお願いしますね。
ただそれだけ、簡単で分かりやすい手紙だった。きっと文字を読めない、勉強したての自分でもきちんと読めるようにと簡単にしてくれたのが分かり、ノクティアは嬉しいような少し恥ずかしいような心地がしてぽっと頬を薄紅に染めた。
「……ソルヴィの実家においでって事?」
改めてソルヴィに訊くと彼は頷く。
「ノッティ。年越しをビョンダルで過ごさないか……俺の実家に来ないか?」
その誘いにノクティアはすぐに頷いた。
彼の両親には結婚式以来会っていない。ただ言葉遣いも下手で、不安が全くない訳ではないが……。
「お手柔らかにお願いしたいかも」
そんな風に言うと「どこで覚えたんだ」なんて彼はクスクスと笑った。