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64 素直になる事

 ソルヴィが帰ってきたのは、イングリッドとソフィアの喧嘩から三日後の事。今年もお菓子やお茶など沢山のお土産を買って帰ってきた。


 その中には絵の具も。ここ最近、食器への絵付けを楽しんでいるのを知っているからだろう。

桃色に紫、金や銀など……などこれまでに無かった色も加わり、ノクティアはソルヴィに抱きついて大いに喜んだ。そして、今回も木工玩具なの他にふわふわとした子グマのぬいぐるみも……。


 これらはいつか子どもができた時の為。かつての不安は、今ではただ嬉しいものに変わっていた。

 それにしてもこの子グマのぬいぐるみは触り心地が良い。まだ子はいないので、今は独占しても良いだろうか。ふわふわもこもこの誘惑には勝てず、ノクティアはぬいぐるみを両腕でぎゅっと抱き締める。


「お土産本当にありがとう! でもね、ソルヴィが帰ってきてくれたのが一番嬉しい」


 ノクティアがやんわり笑んで言うと、すぐに額に、頬に唇にキスの雨。背を折り曲げてノクティアに口付けたソルヴィは幸せそうに笑む。


「もしかして寂しかったか?」


 大きな手で頬を撫でられるので、ノクティアがこそばゆさに彼の手を握る。


「……だって一人で寝るのは広すぎるもの。でも今日からまた一緒に寝られるの嬉しい」


 そんな風に言うと、彼の頬がカァアっと赤く色付いた。

 無論、その夜がとびきり甘くなったのは言うまでもなく……。


 真夜中。甘やかな余韻の残るベッドの上。裸のまま横たわり、ソルヴィに髪を撫でられるノクティアはじんわりとした甘い疲れと、幸福感に心地良く微睡んでいた。

 暖かくて、ずっと欲しかったぬくもりが、安心感がそこにある。


 しかし、マリオラを喪った獣害事件の時は本当に肝が冷えた事を思い出してしまった。

 今回はノクティアに救われたと言って心から感謝してくれた。冷静さを失っていた事も深く謝罪をされた。だが、やはりノクティアを危険な目に遭わせたくないと……。

『ノッティはもう妊娠していてもおかしくないだろう』と、言われた理由を思い出す。

 しかし一定の感覚で普通に月の障りが起きるので、存外人間は簡単には妊娠しないものだなとノクティアは思ってしまった。


 相思相愛になって何度も抱かれているのに。


「ねぇソルヴィ……私って赤ちゃんできるのかな」


 髪を撫でられる心地良さにふわふわと聞くと、ソルヴィはやんわりとした笑みを向ける。


「こればかりは授かり物だ。ノッティはヘルヘイムに渡った事があるとはいえ、今は健康そのものだ。適した時期に運ばれてくるんじゃないのか?」


 そう言って、彼はノクティアを抱き寄せて、薄っぺらい華奢な腰を抱き寄せ腹を撫でた。それが妙にこそばゆいが、先程の残り火が新たな熱を生むもので……。蜜蝋が蕩けるよう。じんわりとした熱が再び宿る。


「ソルヴィ……あのね私」


 少し身体を起こしたノクティアが彼の唇を食むと、答えるように深く食まれ返される。

 それが貪るような口付けに変わるのは時間も掛からず──ノクティアは再びシーツの海に組み敷かれた。


 ---


 その翌日だった。昼前に起きた二人は、遅い朝食を取ってからマリオラの墓参りに行く事にした。

 悲惨な事件から二ヶ月が経過する。マリオラの墓は、彼女の自宅の敷地に作られた。

 街の人たちとの話し合いでマリオラの家は保存される事になったらしい。


 その理由は、家の周りに植えられた見事なまでの植物の数々だ。そして一番に目を引くのは玄関の前を彩る立派な蔓薔薇で……。


 ヒグマの襲撃を受けて柱が無残に壊れてしまったものの、墓を作る際に同時に修復したのだろう。今ではすっかり新しい柱に差し替えられていて、蔓が誘引されていた。

 その蔓は今、赤色の新芽を出し始めていた。あんなに悲惨な出来事があったのに、持ち主を喪っても冷たい冬を乗り越えると芽吹く。そんな生命力の強さにノクティアは感慨深くも思った。


 そして、今日はソフィアとイングリッドも同行していた。二人とも、マリオラを知っている。そして、この家に来た事はやはり今もまだ鮮明だった。

 ソルヴィと侍女たち。四人で墓石の前祈る姿勢を取る。そうして、帰路につこうとした時に、白樺林の向こうから誰かが徒歩でやってきた。


 それは、侯爵家の庭師タリエと教会省の聖者リョースで……。

意外な組み合わせにノクティアは驚くが、何やら、園芸知識のあるタリエがこの家の植物の管理も行う事になったらしい。マリオラには生前世話になった事から、自らこの役目に買って出たそうだ。 

 リョースに関しては、ここで命を喪った三名の鎮魂の為、毎日ここに来て祈っているそう。既にここに出入りする人間の殆どと顔見知りなのだとか。


あの異端審問が理由して領民たちに非難されたが、冬至祭があった。そして、たった半年で彼も領地の一員になりつつあった。だが、あれから半年、そろそろ謹慎も終わる頃だろう。


「そろそろ私は王都に戻るとは思います。ただ、今後ヘイズヴィークを拠点にする可能性もあります。私どもの部署の仕事ってどうしても田舎町やフィヨルドの海沿いの地域が多いんですよ」


 その理由は、やはりかつての戦士たちの亡霊を鎮める為に。だいたい幽霊騒動が起きるのは海の近くばかりだとリョースは言う。

 しかし、どうにも理由はそれだけではないようで、彼は頬を掻きつつ「何より、町長が良くしてくれて……」と照れながら言った。


 聖職者としては司祭事町長の方が遙か立場が下だそうだが、やはり年の功という部分もあるからだろう。リョースは町長から教わる事が多いそうだ。そして、話を聞くからに、どうにも町長はリョースとアーニルを孫のように可愛がっているらしいと窺える。


「それと、半年滞在して、アーニルもこの領地でそれなりに仕事もしている。しかし、どうにも王都には帰りたがらないのも考えものでな」


 そんな風に言って、リョースが一瞬イングリッドに目をやった。

 恐らく、ジグルドの育成の事だろうとノクティアは思う。片やイングリッドはアーニルの名を出すと、やはり煙たげに目を細めていた。


「そっか。もう、あれから半年経ったんだね」


 まだ記憶に鮮明だが、昔の事のように思う。

 それくらい彼らは屋敷に出入りしていた。

 たった半年。されど半年。お互いを知り、純粋に向き合った事で、修復し人間関係を築くには充分な時間に違いないもので……。


 しかしノクティアからすると、それは奇跡のように思った。二年が経過しても、いまだ受け入れられないような関係はあるのだから。異端審問の時の自分は絶対信じないだろうが、こうも彼らと友好的になれた事はノクティアもただ嬉しく思えた。

 新しい仲間ができた。まさに、そんな心地だった。


「侯爵殿とノクティア様には本当に申し訳ない事をしたと思います。ですが、あなた方に出会えて本当に良かった」


 私を変えてくれた。と、優しい笑みを向けてリョースは言う。

 厳しい冬を越えここにも春が、新たな芽が出て変容しようとしている。リョースの笑顔にノクティアもソルヴィも唇を綻ばせた。


 ---


 そうして夕刻前。侯爵家に帰る前に、麓の街に立ち寄った。各自買い物などして用事が済んだら、馬車に戻る。恒例だった。

 この時間に侍女たちは各々必要なものや、休憩時間の娯楽を買っている。

 ソフィアは靴屋に。イングリッドは髪飾り探しに銀を売るアクセサリー店にそれぞれ向かって行った。

 ノクティアはソルヴィと一緒に、いつものパン屋でスキルとヴァルディの好きなサンドイッチを買い。精霊たちにあげる甘い砂糖菓子を買う。


「ノッティ他に買っておきたいものはあるか?」


 ソルヴィに聞かれてノクティアは首を振る。

 昨晩が遅かったせいもあるだろう。何だか、眠たくなってきた。ノクティアは瞼を擦りながら頷くと、ソルヴィは優しく笑んでノクティアと手を繋ぐ。


「夕刻は人通りも多い辻馬車もよく通るからな。ぼんやり歩いたら危ない」


 そんな風に言われると恥ずかしくなってしまうが、それでも彼の優しさにノクティアは唇を綻ばせる。


「ありがとソルヴィ」


 そうして馬車の留めた広場前に戻ると既にソフィアは戻っていたが、イングリッドの姿がまだなかった。

 彼女の方がこういった時、用事を済ませるなり早く帰る筈だが……。神妙に思ってソフィアに聞くと彼女も同じ事を思っていたらしい。

 その途端だった。


「──ふざけるな!」


 途端に響いた怒声はイングリッドのものだった。

 何事か。三人で顔を見合わせて、声のした方へと向かう。

 そこは教会の前。イングリッドの目の前には黒髪の聖騎士──アーニルがいた。彼はイングリッドの片手を掴み、悲しげな顔をしている。

 しかし、悲しげなのはイングリッドも同様で……。 彼女の雪雲のような色彩の双眸は潤い揺れていた。


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