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67 可憐な花の名は

 朝食の最中、ノクティアは早朝の出来事を、ソルヴィと侍女たちに話した。


 ……蔓薔薇の精霊が見えてしまった。しかも自分の使い魔たち曰く、契約済みだろうと。


 ソルヴィも侍女たちも害が無いと分かっているのか、蔓薔薇の精霊は屋敷の中まで付いてきていた。それも、煖炉の前に敷かれたラグの上、転がり寛ぐスキルとヴァルディと一緒にゴロゴロとしていて物凄い懐きようであった。

 そんな二羽と一体を尻目にノクティアは三人に訊く。


「それで私、精霊に名前を与えないといけないみたい。私、名前なんて付けた事が無くて、どう付けたら良いか分からないんだ」


 良い案は無いか? と訊くとイングリッドは腕を組んで首を捻る。ソルヴィも思案顔だった。


「とは言っても、私たちその蔓薔薇の精霊さんが見えないんですよね……二羽のカラスさんたちは見えるのですが、自然霊は違うのですね」


 ソフィアの答えに、ノクティアはそうか。と、今更のように思って肩を落とす。


「良かったらどんな姿か教えて貰えませんか?」


 続け様に言われるので、ノクティアは急いで紙とペンを持ってきて、さらさらっと簡易的に蔓薔薇の精霊を描く。すると、それを見ていた三人はぱっと顔を明るくして微笑んだ。


「ノッティやっぱ絵が上手いな……」


 そう感嘆とするソルヴィにイングリッドも頷いた。


「描けるのは植物だけじゃないんだね。私、あんたのその特技はここに来て本当に初めて知ったよ」


 そりゃ貧困街に居た頃は絵を描く余裕なんて無かっただろうけど。なんて、イングリッドは穏やかな視線を向けた。


「あらぁ可愛い……」


 感嘆とするソフィアに身体の色や瞳の色などについても訊かれたので、図案に描き込むと三人はその絵に食らいつくように見る。


「超安直だけど薔薇の子だからロージーとか?」


 イングリッドの提案した名をノクティアは絵の端に書く。


「うーん。あと、蔓薔薇は薄紅なので、紅潮や薄紅を意味するリョーズル。これを略称にするとか……」


 しかし、ソフィアは「やっぱり却下で」と苦笑い。

 言わんとした事はノクティアにも分かった。否、イングリッドとソルヴィも同じ事を思ったのか、少し笑っていた。


 ……きっと、そう。頭の中に、金髪碧眼の天使のような見た目だが、ツンツンとした聖職者が浮かんだに違いない。


 リョースという名は光や明るさを意味する、ありふれた名前だ。つまり、明るい赤を意味する薄紅はどうしても〝リョー〟と彼と被ってしまうのだ。


 本当に悩ましい。

 ノクティアはペンを置いて頬杖をつくと、ソルヴィはノクティアの肩を摩る。


「ゆっくり考えれば良いんじゃないのか? それと、あの蔓薔薇を植えた……」


 そこまで言ってソルヴィは言葉を詰まらせた。

 ソルヴィが言わんとした事をノクティアがすぐに理解した。恐らく、父にも聞いてみたらどうだと……。


 昨年の秋、ノクティアは初めて父に会った。今にも消えそうな命の煌めきを見たが、父は冬も越してまだ生きている。その生命力は面白いほどしぶといとは思う。


 ただここ最近、本当に具合が良くないようで、エイリクにもできる事なら会いに行って欲しいとの言葉は何度も言っていた。それに庭で時折会うタリエにも、容態が著しく悪化している事を聞いたし、遠回しに会いに行く事を促された。


 しかし、ノクティアはやはり会いたくなかった。

憎いには違いないし、許す事などきっと一生できないもので……。


「ノッティ、ごめん。ただ……」


 ソルヴィもこの所、遠回しに父の話をする。彼の態度からどうにも親子の蟠りを解きたいのだと窺えるが、こうも複数人に言われてしまうと、いよいよ死期が近いのだと予測できる。


 この屋敷に連れてこられてこの秋で二年になる。医者の出入りの加減で、体調に波があったように思うが、五月に入ってから毎日で。本当に父は随分と頑張って生きているとは思う。


 だが、今更で無理だ。


「ノッティごめん。ただ俺は……」


 沈痛な面輪で言うソルヴィにノクティアは首を振る。

 それに、ソルヴィが謝るような事ではない。彼にこんな表情をさせてしまうのは申し訳ないが、父とまともに話すのも無理だと思った。


「ごめん。私ね、やっぱあの人に会いたくないよ。ママの顔を思い出して悲しくなる。それにね、いくら憎くても死にそうな程弱った人に暴言なんて吐きたくないよ」


 包み隠さぬ本音を言って、ソルヴィに微笑む。彼は沈痛な面持ちのまま頷いた。


 ---


 その日の昼前。ノクティアは皿の絵付けの図案を描いていた。どうにもこの絵付けが好評なようで、教会のバザーにも出品しないかとの事で……。

 教会に似合うような鳩やオリーブの葉、スノードロップのパターンを考えているが、どうにも集中できなかった。


 その理由は、スキルとヴァルディが本来の姿に戻って蔓薔薇の妖精と戯れているのもあるだろう。

 その戯れるも、二羽に代わる代わる抱っこしてキャッキャとしているので、何だか……まるで二羽の子どものよう。似ても似つかない親子のようだが。それも必死に二羽とノクティアの名を教えている。


 もはや赤ん坊とその両親のようにしか見えなかった。さすがに集中力も限界だ。ノクティアは立ち上がり、伸びをする。


 その時ふと、マリオラの家の蔓薔薇を思い出した。

 花の色、つき方、カップ咲きの形状……と、マリオラの家の蔓薔薇とこの離れのものは同品種だろうと前から思っていた。

 マリオラは古くから侯爵家の庭師と接点があるので、恐らく、苗を譲って貰ったのだろうと想像できる。


 あちらの薔薇もそろそろ咲くだろうか。


 まだ昼前だ。外出の許諾を得て、様子を見に行くのも良いだろうが。ノクティアは早速執務室のソルヴィの所に行くとあっさり了承が取れた。

 渡り廊下を渡って、離れに戻る途中。ふと赤髪の侍女と黒髪の騎士の姿が見える。

 二人は井戸の前で寄り添い談笑していた。


 ちょうど休憩時間なのだろう。彼の方はジグルドの鍛錬に来ていたのか。仲睦まじそうに笑うイングリッドとアーニルを遠目に見てノクティアはやんわり笑む。

 まさか、二人が元恋仲だったとは知らなかった。そして、無事エイリクの養子になって姓を得た事。色々と驚きやしたが、家族のように思う彼女が幸せそうだと、やはりノクティアは嬉しい気持ちでいっぱいだった。 

 今までそんな事一言も言わなかったし、そんな気配も匂いもしなかった。そこが彼女らしいと言えば彼女らしい。しかしお似合いだな……と見ていた矢先、イングリッドに気付かれて、すぐに手招きをされた。


「ああノクティア様、こんにちは」

「アーニルこんにちは」


 挨拶をすると、すぐさまイングリッドに肩を抱かれた。


「黙って見てないで、来りゃいいのに。ノクティアに見られるのは何だか恥ずかしいよ」

「別に気にしなくていいのに」


 そんな風に言うと、彼女は目の縁を赤くしたまま、ノクティアの髪を乱暴に撫でる。


「そういえば、イングリッド。私午後からマリオラさんの家に行こうと思うの。朝の件もあって、そっちの蔓薔薇を見たいなって。一緒に来てくれる?」


 ソルヴィに許可済み。なんて言うと、彼女はすぐに頷いた。そして傍らに立つアーニルは「同行しましょうか」なんて傅いた。


「じゃあお願いしようかな。


 そんな風に戯けて言ってみせる。


「おいノクティア」


 イングリッドは真っ赤になるが、アーニルはすぐに頷いてくれた。


 ---


 ソフィアに留守を任せ、ノクティアは午後からイングリッドとアーニルとアーニルの馬に荷車を引かせてマリオラの家へ向かった。

 初夏のような陽気だった。フィヨルドは新緑に染まり、海はキラキラと輝き、絶景だった。

 何だかノクティアは自分が少しだけ邪魔な気もしてしまうが、二人は会話にノクティアを巻き込んでいく。

 そうして会話と景色を楽しんでいれば、あっという間に街を抜けマリオラの家まで辿り着く。

 家の前で馬を留めて、荷台から降りてノクティアは薔薇を確認する。


 ここにも一輪の薔薇が綻んでいた。やはり見る限り、同じ品種だろう。カップ咲きでほんのりと芳香で葉の付き方なども同じ。ノクティアが首を傾げていれば、ふと目の前で薔薇色の光が漂い、あの蔓薔薇の精霊が姿を現した。


「あれ、屋敷で二羽と一緒に居た筈じゃ」


 そんな風に言った矢先、雪煙が舞い二羽が姿を現した。


『おお、いたいた。いきなり居なくなるから……ノクティアのとこだったのか』

『あら、ここだったのですね』


 二羽は玄関の前の柵に止まり。いきなり居なくなったからびっくりする。なんて口々に言う。

 対して薔薇の精霊はニコニコと微笑み、薔薇の周りを飛んで、何だか感慨深そうな顔でマリオラの屋敷を見つめていた。

 その時ノクティアは、不思議な光景を見た。まるでこの薔薇の精霊が振り向いた時、少し懐かしくも切ない面影が見えたのだ。

 それは小さな老婆の姿で──。


「……マリオラさん」


 名前に反応して精霊は微笑んだ。

 もしかしたら、姿形を変えて来てくれたのかもしれない。それか彼女の思念の一部か。不思議とそんな風に思えてしまった。


 その時ノクティアははっとする。

 これほど良い名は無い。きっと安直かもしれないが……。


「マリィローサ」


 ノクティアが言うと、彼女はぱっと目を丸くする。


「マリィローサ。親愛なる花の賢女が愛し紡いだ蔓薔薇の娘。あなたの名前、どう?」


 ノクティアの言葉に彼女は頷き、嬉しそうに薔薇の周りを飛ぶ。

 不思議だった。彼女は薔薇の妖精。それなのに、ほんのりと林檎にも似たカモミールに匂いがしたのだ。


 そして彼女が飛び回ると次々と薔薇色の光の粒子が漂い、蔓薔薇の蕾が綻んだ。幻想的な光景だった。その光景を眺めるイングリッドとアーニルも目を丸くして周囲を眺めていた。


『良い名前だなぁ』

『改めて宜しくね、マリィローサ』


 可愛い蔓薔薇の子。と、二羽のカラスは薔薇の精霊にそれぞれ頬を擦り寄せた。

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