目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

77 バケモノにはバケモノを

 監獄に入れられて三日目の朝だった。

 食事を運びに来る時間になっても人は来ず、それから二時間近くの時間を経て、鉄格子の外にぞろぞろと人がやって来た。


 ──幾度か見た看守が四名。二人の騎士を侍る物々しい雰囲気の壮年の男。麓街で何度か見覚えのある自警団の男がぞろぞろと。そして、見知った顔が二人……フィルラとスキュルダの姿があった。


 そんなフィルラの装いはまるで葬式に行くような喪服のドレス──ベールのついた帽子を深く被っていた。スキュルダはお仕着せを召しているが、こちらも全て黒で統一されていた。


「フィルラ様……」


 ノクティアは眉を寄せてフィルラを見据えると、彼女は扇子で口元を覆い、冷ややかな視線でこちらを一瞥する。


「もう進めてちょうだい」


 厳しげな壮年の男に、ねっとりとした甘い声で強請るように言う。

 男はそれに頷き、黒い革コートの内ポケットから紙を取り出すなり、ノクティアに厳しい視線で射抜いた。


「ノクティア・ヘイズヴィーク」


 その声は低く、冷たく厳しいものだった。

 声色だけで、身体の芯まで冷え切る心地だった。気圧されたノクティアは、たちまち身を戦慄かせる。


「貴様は父親である、イングルフ・ヘイズヴィークを災いの力で殺害した。ルーンヴァルト王国の法のもと、生かす価値も無い罪人と認定。ヘルヘイムへと送る処刑を行う。並びにエイリク・ベルゲソン・イスヴァン。魔女を幇助した罪により貴様も処刑だ。だが、貴様は騎士の過去がある。フィヨルドの戦士の血を引く騎士として名誉の死を望むなら、ヴァルハラへ送る選択も処刑執行人である私が許諾しよう」


 そう言い放つ男の碧眼は、酷くギラギラとした妖しい光を放っていた。

 頭で理解できる。しかし声が出ない。怯えたノクティアは後退りをする。だが、看守は鉄格子を開けると、乱暴にノクティアの手を掴んだ。


「ふざけるな! ノクティア様はイングルフ様の苦しみを緩和した。エリセ様をはじめ、あの場には多くの証人が居るだろう! 恥知らずめ」


 ──この悪魔ども!  エイリクは普段の穏やかな口調が嘘のようにがなり、冤罪を叫ぶが、牢獄から出さんとする看守に殴られ蹴られるのを見てノクティアは高い悲鳴を上げる。


 今、エイリクは歩けないのだ。それにも関わらず容赦ない暴行を与え、彼の掴まれた腕はあらぬ方向へ曲がった。耳を劈く程のエイリクの絶叫が響き、ノクティアは目を瞠って震え上がる。


 ……力を使い、この場の人間全員を眠らせればエイリクを助けられるだろうか。だが、自分の力は精神状態が左右される。だが、あの力ならば……。

 ノクティアの脳裏に、憎悪を餌とする呪詛が浮かぶ。 

 だが、だめだ。どんな災いがこの身に降りるか分からない。この状況で腹の子を心配するのもおかしな事かもしれないが、ノクティアはもう呪詛を使う選択もできなかった。そう、為す術もなく──


「嫌、私はそんな事してない!」


 泣き濡れたノクティアは拒絶を叫び、引き摺られるように檻から出されてしまった。

 暗い通路を歩かされて、階段を上がって外に出ると、眩い初夏の日差しが視界を遮った。


 やがてノクティアの瞳に映るのは、鏡のようなフィヨルドの海。

 ……随分と荒涼とした浜辺だった。こういった地形のひっそりとした場所は、古くから戦乱時に捕虜を収監し処刑する場所としてよくある。

 目の前には波止場のような桟橋。先はシカの頭蓋骨と毛皮をくくりつけた松明が置かれ、見物席があるほどの広いデッキが設けられていた。

 海辺に重りと檻が置かれている。たった、それだけでノクティアでも〝水死刑〟と想像できた。

 海があるからこその簡単な方法だ。斬首と同様に金はかからない。そして、海は古き神話の中にあるヘルヘイムに繋がる場所だからこそ、この処刑は多かった。


 一度目の死も溺死だった。そうしてヘルヘイムに渡っている。しかし今は死にたくない。恐い。三日前までそこにあった尊い幸せを手放したくない。未練があまりにありすぎた。


 脳裏に浮かぶのは愛しい夫の顔。そして、離れに来る人たち。

 戻りたい。帰りたい。ノクティアは震えて涙を溢す。そんなノクティアをフィルラとスキュルダは見物席につき、嘲笑するように見据えていた。


 そうして、処刑執行人に檻に押し込まれようとした瞬間だった。 

 目の前で二羽の青白い蝶が舞い──雪煙を巻き上げると、二羽のカラスがギャアギャアと激しく鳴き、ノクティアを包囲する男たちに襲いかかったのである。


『遅くなってごめんなさい!』

『もうすぐ旦那が来る! おまえの味方が助けに来るぞ! おい、時間を稼ぐぞスキル!』

『勿論です、ヴァルディ!』


 二羽は雪煙になると本来の姿に戻るなり、ノクティアを抱き寄せる。

 スキルはノクティアの頤をつまむと上を向かせ──やんわりと口付けた。


 いったい何をしたのだ。ノクティアが唖然とするも束の間だった。


『旦那、悪ぃ……』


 そう呟くヴァルディに続けて噛みつくよう唇を奪われて……。

 ……いったい何を。ノクティアは唖然としたままだが、周囲の面輪を見て状況を悟った。

 看守も、処刑執行人も、フィルラたちも。皆、目を見開き、青ざめた面輪をしていた。


「バケモノめ! これが魔女という何よりも証明よ! この庶子が、このバケモノを使って私の夫を殺したわ!」


 フィルラは真っ青になって捲し立てる。対して、見物席にツカツカと歩み寄るヴァルディは『キヒヒ』と鋭い歯を見せて嗤った。


『あ? 嘘吐きババア。てめぇ、いい加減にしろよ。僕たちの可愛いご主人が、んな事するわけねぇだろボケ』

『ですねぇ、貴女は本当にとんでもない嘘吐きですよね。私、目が良いので見透かせていますよ? 貴女の魂は死してヘルヘイムに渡っても〝転生〟なんて値しない程に淀んで汚れている』


 ──まるで腐った花に似た匂いがする、穢らわしい。と、蔑むように二羽は嘲笑う。


「スキル、ヴァルディ……」


 ノクティアは自分の唇に手を当てて呆然としたままだった。命じてなどいないのに。なぜそこまでして。ノクティアは理解できなかった。実体があれば、彼らは傷付きかねないのだ。


「戻ってよ、出てきちゃだめ」


 そう口にするが、背を向けた二羽は同時には首を振るう。


『申し訳ないです。私たち、貴女との一部の契約は放棄します。半ば私のわがままですが赦せないので』


 スキルの言葉で察した。ヴァルディは本来の姿で物を掴めるが、スキルは霊体と変わらなく透過する。


『スキルだけ表に出て僕だけ隠れている訳にいかねぇよ。オスの意地もあるけど、本気でこのババア、胸糞悪い。だから、〝バケモノにはバケモノをぶつけてやろうぜ〟って話』


 二羽は僅かに振り返りノクティアに笑む。

 そして二羽は飛び立った瞬間だった。入り組んだ岩地から馬を走らせる音が幾つもやってきた。先頭は見慣れた黒馬。それに跨がるのは大斧を背負ったヒグマのような巨漢──ソルヴィだった。しかし妙だった。彼は義妹エリセを馬に乗せていた。


「処刑を始めてちょうだい!」


 叫ぶフィルラだが、二羽の猛攻を受け、男たちは混乱し散り散りになっていた。やがて、馬たちは桟橋を渡り、馴染みのある見知った顔が幾つも並んだ。

 アーニルにタリエ、それにイングリッドとソフィアまで。 

 ソルヴィは馬から下りると、猫を掴むようにエリセを乱雑に下ろす。


 ノクティアはそんなソルヴィの顔を見て絶句した。

 ここまでの怒りの形相はこれまでに見た事も無い。目の下は真っ黒になって、酷く憔悴していた。だが、瞳は興奮を越えた殺意で鈍い光を宿している。まさに、飢えた猛獣そのもので……。

 大斧を担ぐ彼は、エリセを引き摺ってフィルラのもとに歩み寄る。


「おい、妻を解放しろ。さもなければ、おまえの娘を殺す」


 穏やかな彼がここまで怒り、汚い言葉を吐くだなんて誰が想像するものか。

 ノクティアは、急ぎ止めに入ろうとした途端だった。


「お母様、もうやめて! お義姉様は、お父様を殺していない!」


 拘束されたエリセが叫ぶ。しかし、フィルラは母親らしい慈愛の面輪でエリセに向き合った。


「エリセ。その男の味はどうでした?」


 訊かれたエリセの面は、たちまちを歪む。


「私もわ。だけど、貴女は失敗した。私はエリセの幸せを願って、こうしたの。この夫婦さえ排除すれば、貴女に貴族の女としての幸せが手に入る筈よ?」


 フィルラは恍惚として言う。しかし、ノクティアには全てが意味不明だった。いや、理解したくもない。二羽言うとおり……バケモノだ。


「お母様、何を言っているの? 私は要らない、望んでいない。おかしいわ」


 対峙したエリセが震えて言葉にした途端──フィルラは扇子を閉じるとデッキに叩き付ける。

 その面は紅潮し、額に青筋が立っていた。


「……ならば貴女は今日から私の娘ではない。その男に殺されなさい?」


 ──子どもなんてまた拵えればいい。 フィルラはニタリと、冷ややかに笑む。

 そうして彼女がすっと手を上げた瞬間だった。信じられぬ言葉に驚く間もなく、看守や警護の騎士、自警団の男たち一斉に剣を抜く。それを皮切りにソルヴィは斧を構え、アーニルも剣を抜いた。


 争いの火蓋が落ちる寸前だった。

「エリセ様!」

 隅で控えていたソフィアは俊敏にエリセの手を掴むと桟橋に向かって駆け出した。


「ノクティアも逃げるぞ!」


 駆け寄るイングリッドがノクティアを抱え駆け出した。瞬時に背後は怒号で沸き立った。



 それから、幾何か。もうすぐ橋を渡り終える所で、空気を震わすような鈍い音が陸地から響き渡る。

 途端に何かが空から落ちてきた。はたはたと落ちるのは赤黒い血液の雨。

 大きな穴の開いた美しい肢体が空から落ちてくる。 


 ──ガタン。


 強い衝撃音とともに、一羽のカラスがデッキに叩き付けられた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?