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鍾毓   諱ボクシング2

鐘会しょうかいの兄、鍾毓しょういくが黄門郎に就任。

皇帝の詔勅を伝達するなど、

皇帝の発言力に直結する要職である。


そんな職に就く鍾毓、

当然めっちゃ機転が利く。


例えばこんな話がある。


司馬師しばしと酒を飲んでいた。

そこには陳羣ちんぐんの子陳泰ちんたい武周ぶしゅうの子武陔ぶがいらも

同席していた。


そこで鍾毓、彼らから笑いものにされた。


司馬師が言う。

臯繇こうようってどんな人?」


鍾毓が返す。

「古のなるお方ですね」


さらに陳泰、武陔を見て言う。

「はて、論語にはこうあったはずだが。

 せど比せず、れど党せず。

 司馬師どのの尻馬に乗って笑うのは、

 果たして君子のありようかね?」




鍾毓為黃門郎,有機警,在景王坐燕飲。時陳群子玄伯、武周子元夏同在坐,共嘲毓。景王曰:「臯繇何如人?」對曰:「古之懿士。」顧謂玄伯、元夏曰:「君子周而不比,群而不黨。」


鍾毓の黃門郎為るに、機警を有す。景王が坐に在りて燕飲す。時に陳群の子の玄伯、武周の子の元夏が坐に同じく在り、共に毓を嘲る。景王は曰く:「臯繇は如何なる人か?」と。對えて曰く:「古の懿士なり」と。玄伯、元夏を顧みて謂いて曰く:「君子は周せども比せず、群せども黨せず」と。


(排調3)




武周・武陔

初めて名前聞いたよこの人たち。武周は臧覇ぞうは張遼ちょうりょう温恢おんかいと言った人たちと絡んでいるので、若干涼州寄りか。文官としてのリスペクトを集めていたそうだ。子の武陔は魏から晋の世になったら、魏の臣であることを理由に一線から退いたらしい。その為清廉の人として名が残っているそうだ、がそんな人が司馬師の尻馬ねぇ。まぁ、あんま深く考えちゃいけないんだろう。

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