三人は世代も近く、
この中では嵇康がやや年少。
……そう言うレベルかこれ?
彼らは非常に親密な交流をしていたが、
その彼らの交流には、
他にも
合流したり、しなかったりだった。
七人は竹林に集まり、
酔いにあかせて思いを解放し合っていた。
そのため、世に「竹林七賢」と呼ばれた。
そんな竹林七賢、息子たちもまたすごい。
阮籍の子は、
器のデカい人間として知られた。
嵇康の子は
清廉な人柄で知られ、
のちに
山濤の子は
寡弁にして高邁。
阮咸の子は
非常に謙虚でいながらも
志は大きかった。
弟の
明朗快活にしておおらか。
向秀の子、
ともにつつましやかで清廉。
王戎の子の
大物の風格はあったのだが、
幼くして死んでしまった。
なおこんなことを書いてはいるが、
劉伶さんの子だけは知られてない。
彼らの中でのトップが
阮瞻なのは間違いないが、
嵇紹、山簡も結構知られていた。
陳留阮籍,譙國嵇康,河內山濤,三人年皆相比,康年少亞之。預此契者:沛國劉伶,陳留阮咸,河內向秀,琅邪王戎。七人常集于竹林之下,肆意酣暢,故世謂「竹林七賢。」
陳留の阮籍、譙國の嵇康、河內の山濤、三人の年は皆な相い比し、康は年少にして之に亞ぐ。此の契りに預るは、沛國の劉伶、陳留の阮咸、河內の向秀、琅邪の王戎なり。七人は常に竹林の下に集まらば、意の酣暢なるを肆とし、故に世に「竹林七賢」と謂わる。
(任誕1)
林下諸賢,各有俊才子。籍子渾,器量弘曠。康子紹,清遠雅正。濤子簡,疏通高素。咸子瞻,虛夷有遠志。瞻弟孚,爽朗多所遺。秀子純、悌,並令淑有清流。戎子萬子,有大成之風,苗而不秀。唯伶子無聞。凡此諸子,唯瞻為冠,紹、簡亦見重當世。
林下が諸賢は、各おの俊才の子を有す。籍が子は渾、器量弘曠なり。康が子は紹、清遠雅正なり。濤が子は簡、疏通高素なり。咸が子は瞻、虛夷に遠志を有す。瞻が弟の孚、爽朗にして遺る所多し。秀が子の純と悌、並び令淑にして清流有り。戎が子の萬子、大成の風有り、苗は而して秀でず。唯だ伶が子のみを聞きたる無し。凡そ此の諸子、唯だ瞻のみが冠ぜるを為せど、紹、簡も亦た當世に重んぜらるを見ゆ。
(賞譽29)
魏晋交代期にキラリと飲んだくれた酒飲みたち、袁宏が謝安の冗談に基づきグルーピングした七人。竹林七賢。はじめの紹介エピソードで劉伶がオチ係になっていることからもわかるとおり、劉伶さんはマジでオチ担当です。お楽しみに。