その人となりを
深く認めあっていたゆえである。
司馬越、嫡男の
「学びによって得る所は浅く、
体感によって得るものは深い。
なので、
なんとなく礼法を学ぶくらいならば、
実際に儀礼に接する方がよい。
先人の残した言葉を
なんとなく読むよりも、
実際に師より学ぶ方がよい。
王承殿は、人が手本とすべきお方。
毗、お前は王承殿につき、
良く学ぶのだ」
また、こんなことも言っている。
「王承殿、
このお三方こそが手本とすべきお方。
彼らより良く学ぶように!」
王承の名しか載っていないのだが、
その原本となったと思しい、
趙家所蔵の本には、
上記の内容が書いてあったそうである。
太傅東海王鎮許昌,以王安期為記室參軍,雅相知重。敕世子毗曰:「夫學之所益者淺,體之所安者深。閑習禮度,不如式瞻儀形。諷味遺言,不如親承音旨。王參軍人倫之表,汝其師之!」或曰:「王、趙、鄧三參軍,人倫之表,汝其師之!」謂安期、鄧伯道、趙穆也。袁宏作名士傳直云王參軍。或云趙家先猶有此本。
太傅の東海王は許昌に鎮し、王安期を以て記室參軍と為し、雅より相い知りて重んず。世子の毗に敕して曰く:「夫れ學の益さる所は淺く、體の安んずる所は深し。禮度を閑習せるは、儀形を式瞻せるに如かず。遺されたる言を諷味せるは、音旨を親しく承くるに如かず。王參軍の人倫の表れたるを、汝は之を其の師とすべし!」と。或いは曰く:「王、趙、鄧の三參軍は人倫の表れたれば、汝は之を其の師とすべし!」と。謂わゆる安期、鄧伯道、趙穆なり。袁宏は名士傳を作すに、直だ王參軍を云う。或いは云う、趙家には先に猶お此の本有りと。
(賞譽34)
司馬毗
このエピソード、本当は王承らに宛てて書いてたものらしい。「うちの息子出来が悪いから、お前たちの手を煩わせることになっちゃうな、ごめんよ」的ニュアンスでのものだったとのこと。長幼の序より徳行で選びましょうよ後継者、マジで……オッサン
趙穆
明帝の諮問役に収まってる。司馬越系の旧臣は、結構がっつり東晋の礎石として活躍してる。ところで本文中の「趙」家ってのは、趙穆の家、ってことでいいんでしょうかねえ。なんか箋疏でも「おいこの趙家ってどこの家のことだよ」って言ってる。相変わらず文末に謎のテクストが異物混入を果たしているようだ。