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司馬越3 東海王の教育論

司馬越しばえつ許昌きょしょうに出向した時、

王承おうしょうを秘書に任じていた。


その人となりを

深く認めあっていたゆえである。


司馬越、嫡男の司馬毗しばひに言う。


「学びによって得る所は浅く、

 体感によって得るものは深い。


 なので、


 なんとなく礼法を学ぶくらいならば、

 実際に儀礼に接する方がよい。


 先人の残した言葉を

 なんとなく読むよりも、

 実際に師より学ぶ方がよい。


 王承殿は、人が手本とすべきお方。

 毗、お前は王承殿につき、

 良く学ぶのだ」


また、こんなことも言っている。


「王承殿、趙穆ちょうぼく殿、鄧攸とうゆう殿。

 このお三方こそが手本とすべきお方。

 彼らより良く学ぶように!」


袁宏えんこうが書いた「名士伝」には

王承の名しか載っていないのだが、

その原本となったと思しい、

趙家所蔵の本には、

上記の内容が書いてあったそうである。




太傅東海王鎮許昌,以王安期為記室參軍,雅相知重。敕世子毗曰:「夫學之所益者淺,體之所安者深。閑習禮度,不如式瞻儀形。諷味遺言,不如親承音旨。王參軍人倫之表,汝其師之!」或曰:「王、趙、鄧三參軍,人倫之表,汝其師之!」謂安期、鄧伯道、趙穆也。袁宏作名士傳直云王參軍。或云趙家先猶有此本。


太傅の東海王は許昌に鎮し、王安期を以て記室參軍と為し、雅より相い知りて重んず。世子の毗に敕して曰く:「夫れ學の益さる所は淺く、體の安んずる所は深し。禮度を閑習せるは、儀形を式瞻せるに如かず。遺されたる言を諷味せるは、音旨を親しく承くるに如かず。王參軍の人倫の表れたるを、汝は之を其の師とすべし!」と。或いは曰く:「王、趙、鄧の三參軍は人倫の表れたれば、汝は之を其の師とすべし!」と。謂わゆる安期、鄧伯道、趙穆なり。袁宏は名士傳を作すに、直だ王參軍を云う。或いは云う、趙家には先に猶お此の本有りと。


(賞譽34)




司馬毗

このエピソード、本当は王承らに宛てて書いてたものらしい。「うちの息子出来が悪いから、お前たちの手を煩わせることになっちゃうな、ごめんよ」的ニュアンスでのものだったとのこと。長幼の序より徳行で選びましょうよ後継者、マジで……オッサン司馬衷しばちゅうの何見とったんや……

永嘉えいかの乱のときに王衍おうえんの近くにいたようなので、多分石勒せきろくかその周辺に殺されてる。司馬越とその息子が死んで空位になってしまった東海王の座は、司馬睿しばえい、つまり元帝が息子に継がせた。うーんこの。


趙穆

明帝の諮問役に収まってる。司馬越系の旧臣は、結構がっつり東晋の礎石として活躍してる。ところで本文中の「趙」家ってのは、趙穆の家、ってことでいいんでしょうかねえ。なんか箋疏でも「おいこの趙家ってどこの家のことだよ」って言ってる。相変わらず文末に謎のテクストが異物混入を果たしているようだ。

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