なので現地に出向いた。
ら、速攻で叛乱を食らった。
どうすればいいかわからず
アワアワしてたところを
結局この経緯があって罷免を食らい、
戻ってからの身の振り方が
未だ決まっていなかった頃、
書状をしたためた。
そして、使者に手紙を渡すときに言う。
「周顗ほどの風雅人、
放置したままではおれまいよ」
周侯於荊州敗績。還、未得用。王丞相與人書曰:「雅流弘器、何可得遺?」
周侯は荊州にて敗績す。還りて未だに用いらるるを得ざれば、王丞相は人に書を與えて曰く「雅流の弘器を、何をか遺さるに得べけんや?」と。
(賞譽47)
周顗さんの株が順調に落ちて行ってて面白い。
見事なフラグメーカーでいらっしゃる。
周顗さんの略歴、ざっとまとめておきましょう。
269 年 誕生
290 年 秘書郎(起官)→尚書吏部郎
→鎮軍(司馬毗)長史
307 年 琅邪王(司馬睿)軍諮祭酒
310 年 寧遠将軍・荊州刺史
311 年 湘州で杜弢の乱(イマココ!)
317 年 吏部尚書(東晋建立)→罷免
318 年 尚書・太子少傅
320 年 尚書僕射→尚書左僕射
322 年 王敦の乱、323 年刑死