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王導19 周顗さん罷免さる

周顗しゅうぎ、荊州刺史に任命された。

なので現地に出向いた。


ら、速攻で叛乱を食らった。


どうすればいいかわからず

アワアワしてたところを

陶侃とうかんに助けられる。


結局この経緯があって罷免を食らい、

建康けんこうに出戻ることに。


戻ってからの身の振り方が

未だ決まっていなかった頃、

王導おうどうさま、周顗の任官に関する

書状をしたためた。


そして、使者に手紙を渡すときに言う。


「周顗ほどの風雅人、

 放置したままではおれまいよ」




周侯於荊州敗績。還、未得用。王丞相與人書曰:「雅流弘器、何可得遺?」


周侯は荊州にて敗績す。還りて未だに用いらるるを得ざれば、王丞相は人に書を與えて曰く「雅流の弘器を、何をか遺さるに得べけんや?」と。

(賞譽47)




周顗さんの株が順調に落ちて行ってて面白い。

見事なフラグメーカーでいらっしゃる。



周顗さんの略歴、ざっとまとめておきましょう。


269 年 誕生

290 年 秘書郎(起官)→尚書吏部郎

    →鎮軍(司馬毗)長史

307 年 琅邪王(司馬睿)軍諮祭酒

310 年 寧遠将軍・荊州刺史

311 年 湘州で杜弢の乱(イマココ!)

317 年 吏部尚書(東晋建立)→罷免

318 年 尚書・太子少傅

320 年 尚書僕射→尚書左僕射

322 年 王敦の乱、323 年刑死

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